表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
32/59

031 オリバー・エルドリッチ


「オレは庶民出身だから、ああいうのは逆に難しいけどな」

 

 そう言って肩を竦める彼の胸には、九つの星が輝いていた。

 それは師団長の証。

 リリメルは笑う横顔にほんの少しの警戒を抱く。

 

「庶民出身で師団長なんて、すごく優秀なのですね」

 

 普段よりほんの少し落ち着いた声が響く。

 その機微をオリバーは見逃さず、困ったように笑ってみせた。

 

 まるで、「そんなに警戒しないでくれよ」と言っているようだった。


「そんな大層なもんじゃねぇんだ。たまたまコイツを扱うのに向いてたってだけさ」

 

 オリバーは軽く腰のエヴァンを叩く。

 そのまま親指の腹で撫でる姿は、薄いガラスの鳥に触れるように繊細だった。

 一瞬射した影が、すぐに気さくな調子へと変わり話を切り替える。

 

「嬢ちゃんの思う風衛兵(ふうえいへい)っつーと……あれだな、セラフィム・ヴァルクには会ったか? ちょうどアドガードの釈放の日に中央都市(ちゅうおうとし)に派遣されていたはずだが」

 

 アドガードが体を強張らせ、身震いをした。

 リリメルはその様子に首を傾げながら、オリバーの緑の目を覗き込む。


 聖風衛士団の師団長と言えば、構成員十万人のトップになる。

 こんな短期間でそんなに出会うことがあるでしょうか、リリメルの胸に(わだかま)りが残る。

 

「はははっ! アドガードの方は会ったんだな。プライドの化身みたいだったろ?」

 

 アドガードは首筋を撫でながら顔をしかめた。

 

「ゴミでも見るような目だった」

 

 オリバーはアドガードに合わせるように苦笑いを浮かべ「だろうな」と付け足した。

 

「オレだって会議で顔を合わせるたび舌打ちされてる。『庶民には似つかわしくない場』だの『エヴァンは美しくない』だの、小言付きだ。知るかってんだ。オレだって好きで師団長やってるわけじゃねぇっての」

 

 オリバーがリリメルの困惑を見透かしたように、からりと笑って見せる。

 リリメルもなんとなく、それに合わせてみた。

 そんな和やかさを装う雰囲気を破るような鐘の音が、三時を告げている。

 

「時間になったみたいです。またお会いしたらお話聞かせてください」

 

「おっと、引き留めちまったな。あぁ是非話そうぜ」

 

 リリメルとアドガードが急ぎ足で拘留所の中へ消えていく。

 オリバーは小さく手を振りながらその背を見送った。

 笑みを残したその顔に、わずかに影が射す。

 

 

「あの……カーヴェインさーん!聞こえてますかぁ?」

 

 リリメル・ベルは鉄格子に額がつくほど身を寄せ、両手で掴む。

 必死に声を張り上げても、虚ろな牢の空気に吸い込まれるばかりだ。

 

 オリバーと別れ、面会のための手続きを済ませて案内されたのは、奥まった一角にある薄暗い牢。

 そこにいたのはゼフィルド・カーヴェイン――名の知れた天才にして、狂気の科学者だ。

 

 彼は鉄格子に背を向け、壁の前に立ち微動だにしない。

 右手の白いチョークはすでに粉で削れて短く、指先は白く染まっていた。

 コンクリートの壁一面には、意味のわからない数式や、幾何学的な図形、符号めいた文字列が散らばっている。

 

「カーヴェインさぁぁぁん!!」

 

 掠れた喉で声を絞り出しても、カーヴェインが振り返ることはなかった。

 まるで目の前に見えない壁でもあるようだ。

 

 ただ時おり壁に新しい線を走らせるカーヴェインの姿は、遊びに夢中な子どものようでもあり、孤独な狂人のようでもあった。

 そうやって、人形なのではとの疑念も薄れていく。

 人形の方がまだ話は早いかもしれない。

 

 無情にも、時計の鐘が響く。――午後四時。

 

「面会時間の終了です」

 

 背後から看守が小さく告げた。

 

「まっ、待ってください! まだ一言も話していないんです!」

 

 リリメルは振り返りざま、縋るように声を張り上げたが、返ってきたのは、事務的な言葉だけ。

 

「ルールですので」

 

 無情な響きに肩を落としながらも、彼女は諦めきれず、すぐエントランス横の受付に駆け込んだ。

 

「次の予約を! 今すぐ、お願いします!」

 

 締めかけていた受付の鍵が、リリメルの勢いに押されて開かれる。

 受付の女性は迷惑そうに眉を顰めた。

 

「ゼフィルド・カーヴェインの空き枠は、十日以降となります。ご都合はいかがでしょうか」

 

 あくまでも事務的に、完全に熱を排除した話し方だ。

 リリメルはカウンターに突っ伏すように項垂れる。

 

「そ、そんなに、待てませ……もう少し早く予約は取れませんか?」

 

「予約はすべて埋まっています」

 

 それでもリリメルは身を乗り出し、ぐっと受付に近づいた。

 

「お願いします!なんとか、どこかで少しだけでも!」

 

「ルールですから」

 

「お昼休みの合間とか、ほんの十分だけでも! 壁越しでもいいんです!」

 

 必死に食い下がるリリメル。

 その横でアドガードは腕を組み、半ば呆れ顔で成り行きを見守っていた。

 

 どれほど粘っても、返ってくるのは冷たい一句。

 

「ルールですから」

 

 その無機質な言葉が、リリメルの胸にずしりと響く。

 

 十五分ほど経つと、ついに事務員は強制的に受付窓を閉じようとした。

 リリメルは最後まで食い下がったが、結局はしぶしぶ十日後の一番早い枠を予約し、肩を落としたまま重い扉を押し開ける。

 

 石畳の上に出た瞬間、ひんやりとした夕風が頬を撫でる。

 深いため息が風に攫われる。

 項垂れたまま門前の階段を降りかけた、その時――

 

「話はできたか。お嬢さん」

 

 勢いよく顔を上げると、庁舎の脇にある花壇の縁に、オリバーが腰掛けて片手を小さく上げていた。

 

 タバコを指に挟み、紫煙を揺らしながら、不敵に口元を歪めている。

 

「その様子じゃあ、無理だったみたいだな」

 

 苦笑混じりの言葉に、リリメルもつられて肩をすくめ、力なく笑った。

 

 ふと、彼女は首を傾げる。

 

「オリバーさんはどうしてカーヴェインさんに会いに来てたんですか。確か聖風衛士団(せいふうえいしだん)は、宗戦には不可侵協定を結んでいたはずじゃ」

 

「よく知ってるな」

 

 オリバーは目を細め、一瞬拘留所の二階に視線を走らせる。

 建物の影が夕陽を裂き、リリメルたちの足元まで迫っている。

 不意に二人の間を風が駆け抜け、苦味のある香りをリリメルに届けた。

 その香りに、今朝の握手を思い出す。

 

「ここじゃあなんだ、晩飯でもどうだ?ご馳走するよ」

 

 オリバーの表情は、逆光に埋もれて見えなかった。

 

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ