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029 アストレイ・グレイヴァルド


 アイゼンガルド 聖風衛士団(せいふうえいしだん) 本部

 

 磨き込まれた大理石の床に、規則正しい足音が響く。

 

 アストレイは背筋を伸ばし、足早に廊下を進んでいた。

 

 太陽は高度を上げ、庇に阻まれた日差しは廊下に暗い影を落とす。

 その突き当たり、一際暗く沈んだ先に、木製の重厚な扉が姿を現した。

 金と瑠璃の装飾が施されたその扉は、聖風衛士団(せいふうえいしだん)の中でも最高位の者の――つまり五人の師団長が集う会議室だ。

 師団長の前で報告する、そう考えるだけで口の中が渇いた。

 

 大きく息を吸い込むと空気が気道を冷やす。

 昨夜、トリヴァラで発生した大規模災害(・・・・・)について報告する。

 事件の中心にいた、奇跡を持つ新たな怪物の脅威を正しく伝えなければならない。

 アストレイはゆっくりと息を吐いて、扉を三回ノックした。


「――入れ」

 

 嗄れた、されど威厳のある武人の声、ガルナス卿が来ている。

 背筋が伸び、緊張が肌を刺した。

 

「失礼致します」

 

 扉を押し開けると、広間には円卓が鎮座し、その机を囲う五人の師団長、そして扉の正面に白髪交じりの髭を蓄えた男、十聖家が一人、シェリド・ガルナス卿がいた。

 聖風衛士団の総括を任された、国の中枢を担う老将である。

 

 アストレイは音もなく進み出て、目の前のガルナス卿に深々と首を垂れる。

 心の中で五秒を数え、ゆっくりと頭を上げた。

 

「――ご報告いたします」

 

 わずかに言葉の端が震えた。

 

「トリヴァラで発生した災害は、月聖(げっせい)アルディス教祖によりもたらされたものに間違いありません。

 街に残されていた法術陣(ほうじゅつじん)からは、僅かではありますがアルディス教祖固有の法力(ほうりょく)が検出されました。我々が到着した時には、街は跡形もなく消え失せ、小高い土の丘が残されていたのです」

 

 精鋭たちの鋭い視線がアストレイを刺した。

 一度言葉を切り呼吸を整える。

 彼らの反応を確かめるように視線を巡らせ、話を続ける。

 

「街を丸ごと消滅させる規模の法力。

 しかも、それほどの法術陣を一瞬で描き上げたと考えられる痕跡、これをアルディス教祖の仕業と断じるに、異存ございません」

 

 刀部門の師団長、セラフィム・ヴァルクが鼻を鳴らす。

 最年少師団長にして、最も不敵な男だ。

 

「全く困ったものだ」

 

 ガルナス卿が、深々とため息を吐き、指先で机を叩く。

 

「して、被害状況はどうだ」

 

 アストレイは真っ直ぐに視線を上げた。

 

「死傷者は――零。

 建物の倒壊は甚大でありましたが……トリヴァラの街は、一人の少女によって、ほぼ元通りの姿へと戻されました」

 

 師団長同士が視線を交わし、眉を顰めた。

 

「すまないが、もう少し細かく教えてくれないか。無くなった街がなぜ元通りに戻る?」

 

 そう問いたのは、法術部門の師団長ルシウス・クロムウェル、アストレイの上司にあたる人物だ。

 

「無くなったのではなく、大地を削り反転させられていました。その少女が同じ法術陣を再利用して、元通りにしてみせたのです」

 

 ルシウスの喉が鳴った。

 目を見開き、ゆっくりとアストレイへ問い返す。

 

「街そのものを持ち上げて、ひっくり返したと?」

 

「左様でございます」

 

 ルシウスがその言葉に掌で口を覆う。

 息を潜め円卓の中心を睨んでいた。

 

「ルシウスよ、それほどに脅威なことか?ワシのような法術の使えんモンにはピンとこん」

 

 大剣部門の師団長、バルドール・グレンウォールが快活な声で問う。

 

「私が百人集まってもできません」

 

 そう答えたのは、回復部門の師団長、アミラ・サラスワティだ。

 華聖から出向中で唯一の女性の師団長である。

 

「僕が千人集まってもできませんよ」

 

 ルシウスが肩をすくめて見せる。

 

 二人の答えを受けて、バルドールは太い腕を組み考え込んだ。

 

 場が沈黙に支配された頃、ルシウスが代表してアストレイへ向き直る。

 

「その奇跡を起こして見せた少女とはどこの誰なんだ?」

 

 一斉にアストレイへ向けられた視線を、正面から受け止め、静かに告げる。

 

「名を――リリメル・ベル。

 彼女は先日、中央都市から千年刑に処されていたアドガード・ウィキを連れ出した、華聖(かせい)の教徒であります」

 

 その名を口にした瞬間、室内の空気がさらに一段階、重く沈んだ。

 円卓に落ちる時計の音だけが、やけに大きく響いた。

 

「リリメル……ベル?」

 

 アミラが顎に手を置き、小さく首を傾げる。

 

「そうだ!アミラよ、知らんか?同じ華聖じゃろ」

 

 バルドールが隣のアミラに椅子を向ける。

 アミラは困ったように眉根を下げたが、すぐに円卓へと向き直った。

 

「ほんの十数年ほど前に教祖様が直接お育てになっていた孤児の名前が、確かそのような名だったかと……」

 

「なんじゃ自信なさげじゃのぉ!」

 

 バルドールの大声に、アミラは目を細めて睨みつけた。

 

「仕方ありません。その頃には私はもうこちらでお世話になっていて、聖地にはほとんど帰れてませんでしたから」

 

 フンッとアミラが優雅に顎を上げる。

 そのまま再びアストレイに向き直った。

 

「それにしても、大地を反転させられて死傷者ゼロはあまりにも信じ難いのですが?」

 

 他の者も興味深く机に乗り出して耳を傾ける。

 アストレイは一度大きく息を吐き出し、全員を見渡しながら話し出す。

 

「彼女は転送法術(てんそうほうじゅつ)回復法術(かいふくほうじゅつ)を、一晩中、途切れることなく行使しました。

 そうすることで、地中の人々を治療し続けたのです。

 実際私も中に赴きましたが、十数メートル下へ落ちたはずの民間人すら血のついた服を着ながら無傷でした」

 

「何を言っているの、アストレイ。そのようなことは不可能です」

 

 アミラが鋭く言い放つ。

 医療専門の法術師(ほうじゅつし)である彼女の瞳に、厳格な光が宿った。

 回復法術とは相手の状態を見ながら適した陣を利用するものであり、確認もなく行使できるものではないと切々と問いてみせる。

 

 しかし、その話にアストレイはただ瞳を閉じて、首を横に振るだけだった。

 

「本来であれば、そうなのかもしれません」

 

 その言葉にアミラは力なく椅子にもたれ掛かる。


「本当にそんなことができたと言うならば、それは……」


 アミラの唇が小さく震える。

 その先の言葉を話すことが恐ろしくてたまらない、そんな風にアストレイの瞳には映った。

 

 誰もが互いに目配せし合いながら、その事実をどう受け止めてよいのかわからずにいた。

 

 やがて、ガルナス卿が低く唸る。

 それは、アミラが続きを話せなかった言葉であった。

 

「まさかとは思うが、アルディスをも凌駕する。と言いたいのではあるまいな?」

 

 アストレイは静かに首を振った。

 会議室の空気が一度上昇し、誰もが椅子へ深く腰掛けた。

 

 しかし、次の言葉が落ちた瞬間、再び空気は凍りつく。

 

「――同等かと存じます」

 

 誰もが息を呑み、誰もが言葉を失う。

 アストレイは淡々と、しかし重々しく結んだ。

 

「彼女の危険性について、疑う余地はございません。ゆえにこそ、迅速なご決断を仰ぎたく、馳せ参じました」

 

 そのまま、深く、深く頭を垂れる。

 

 長い沈黙の後、ガルナス卿がしわがれた声で告げた。

 

「……よい、下がれ」

「はっ」

 

 アストレイは姿勢を正し、扉へと歩を進める。

 

 背後からは、痛いほどの沈黙。

 

 扉を閉じたとき、重苦しい空気が背中にまとわりつくのを、彼は確かに感じていた。


 

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