025 救助
夜が更け、深夜零時。
ようやくトリヴァラに辿り着いた風衛兵の五名は、眼前に広がる光景に言葉を失った。
すでに二百名以上が救い出されており、重症者も死亡者も確認されていない。
まるで奇跡を目の当たりにしたかのように、ただ立ち尽くす。
彼らは人波をかき分け、法術陣の中心へと歩み寄った。
そこに居たのは、華聖の純白の聖服を泥で汚しながら、もがく一人の少女。
長時間にわたり、強力な法術を発動していたのだろう。
額からは滝のように汗が流れ落ち、血走った瞳には限界の色が滲む。
白い肌に浮き出た血管と、無数の内出血の赤い斑点。
まさに身を削って人々を救っている姿だった。
風衛兵たちはその光景に息を呑み、思わず一歩を踏み出す。
「聖風衛士団だ。トリヴァラの救助に赴いた……」
だがその声は力なく、住民たちの視線は冷ややかだった。
リリメルは彼らを一瞥し、再び法術陣へと視線を戻す。
「このままで失礼致します。これからまだ四百人ほどが転送されてきます。周辺にいる住民を安全な場所へ移動させてください。もし住民の登録票があれば、生存者の確認を行い、後方にいるセレナさんと照合をお願いします。」
先頭の風衛兵が小さく頷き、仲間へ指示を飛ばす。
街の反対側に簡易な休息所が設けられ、人々がそこへと誘導されていった。
その頃、カナの前に積まれていた宝珠はすべて透明に変わっていた。
「……カナさん、ありがとうございます。あとは任せてください。」
リリメルは息を荒げながらも、転送されてきた住人へ回復法術を施し続けていた。
何か力になりたいと願っても、宝珠の尽きた今のカナにはできることがない。
胸を締め付けるような無力感に耐えながら、次の行動を模索する。
「風衛兵を呼んできます!」
カナは駆け出し、街の反対側にいた風衛兵たちの背中を見つける。
声をかけようとしたその瞬間、彼らの会話が耳に飛び込んできた。
「――あの月聖アルディス教祖が動いたと聞いて、てっきり被害状況の報告だけかと思っていたよ。」
「全くだ。余計な仕事を押し付けられたもんだな。」
軽口を叩き、笑い合う二人。
その姿に、カナの奥底から煮えたぎるような怒りが込み上げた。
必死に唇を噛み、吐き出しそうになる感情を押し殺す。
「お暇そうですね。指示を待つだけが能ではないと思うのですが」
カナの後ろから甘い声が響く。
そこには、白い風衛兵の制服がよく似合う、金髪に碧眼の整った顔立ちの男、アストレイ・グレイヴァルドが立っていた。
柔和な表情の奥には、どこか影を含んだ微かな妖しさが漂っていた。
「おや、何をすればいいかわからない? では、一人忙しそうに働く華教徒の彼女に指示を仰いでみてはいかがです?」
鼻で笑うようなアストレイの言葉に、明らかに不服そうな顔を浮かべる風衛兵二人。
「上に報告してもいいんですがね」
その一言で、二人はようやくリリメルのいる方へ歩き出す。
アストレイの横を通るとき、舌打ちがかすかに聞こえた。
アストレイはカナに話しつつも、周囲に聞こえるよう大きな声を響かせた。
「どうやら自分たちでは、何をすれば良いのかわからないようですよ」
作り笑いを添えると、二人は振り返り睨みつける。
が、小走りで逃げるように去っていった。
片眉をピクリと上げて、二人を見送ると、今度は柔らかな口調でカナに話しかける。
「あなたは休息所で、少しお休みください」
「そんな……!できないっスよ」
アストレイはカナの口元に指を立て、軽く顔を近づける。
穏やかな笑みを浮かべたその表情は、どこか色気を帯びていた。
「後は、私たちにお任せください」
まるでダンスのエスコートでもするように、さりげなくカナを休息所へ案内し、椅子に座らせる。
彼は、肩越しに意味ありげな笑みを残しつつ、何事もなかったかのようにリリメルの元へ戻っていった。
***
アストレイは転送法術の補助のため、リリメルの方へと向かう。
すると、先ほど見送った風衛兵が、百名余りの住民を避難所に誘導している。
(おや、こんな短時間で随分と多いような……)
アストレイの横顔に強い光が飛び込んだ。
目の前には翠輝の柱が天へ届くほど立ち上がっている。
吸い込んだ空気が出口を見失い、留まる。
膨大な法力が翠輝を形作り、辺りはまるで昼のようだ。
「――まさか!」
生まれた時から風聖に仕え、常に翠輝を見てきたアストレイでさえ、これほどの規模は目にしたことがなかった。
思わず足が早まり、やがて駆け足に変わっていた。
柱の下には、百人を超える救助者の群れ。
その中心に、またも彼女の姿がある。
肩で息をつきながらも、少女は怪我人がいないか一人ひとり確認して回っていた。
これほどの大災害にもかかわらず、負傷者はほとんどいない理由がこれだ。
確信と畏怖が臓器を駆け巡る。
先に到着していた風衛兵に生存者確認と避難誘導を指示し終えると、アストレイはゆっくりと少女へ歩み寄った。
「初めまして。お嬢さん」
アストレイは胸の奥に湧き上がる衝動に抗えず、一歩踏み出した。
この娘は危ない……少しでも情報を取れと脳に警告音が響く。
右手を胸に添え、もう片方の手で少女の手を取る。
少女の手がピクリと震えた。
「私はアストレイ・グレイヴァルド。風聖に属する者として、この名を告げましょう。」
真摯な声音。
けれどそこには余裕などなく、ただ素直すぎるほどの熱がにじんでいた。
突然のことにリリメルは目を瞬かせる。
「し、失礼。お名前を伺っても?」
「あ……はい。リリメル・ベルです。華聖に属しています。」
名乗った瞬間、リリメルの視線が街へと逸れる。
――崩れた瓦礫の穴から、巨大な影が這い出してきた。
「アドガード――ウィキ!」
驚くアストレイの手を振りほどき、リリメルは反射的に法術陣を展開する。
煌めく紋が宙を走り、転送法術陣の紙束が次々と形を成していった。
誰からも恐れられるこの獣は、汗と泥にまみれ、両肩で大きく息をしながらこちらへと歩みを進める。
大きく膨れ上がった筋肉からは湯気が立ち上り、僅かに痙攣している。
近づくだけで、熱さを感じた。
暗闇に青く煌る瞳が訝しげに見下ろせば、体の芯に冷たいモノが走り、肌が粟立つ。
(そうか、この二人が噂になっている……)
「下に落ちてるヤツがいる。あれは俺じゃ行けない。」
「じゃあ、私が――」
リリメルが踏み出そうとした瞬間、アストレイは咄嗟に手を差し出した。
「私が行きましょう。その法術陣を少し分けていただけますか?」
アドガードは訝しげにアストレイを一瞥したが、迷いは短かった。
紙束から数枚を渡すと、すぐに踵を返す。
「アドガードさん、大丈夫ですか?回復法術をかけましょうか?」
リリメルの声に、アドガードは振り返りもせず、ただ大きな手で彼女の頭をぐしゃりと撫でた。
「お前の方が大丈夫か。俺は問題ない」
彼女が数回瞬きを繰り返すと、張り詰めていた緊張がほんのわずかに、緩んだ。
大きく空気を吸い込むリリメル。
次の瞬間にはもう、ひりつくような緊張がその横顔に戻っていた。
そう言い残し、巨体は暗い穴へと消えていった。
――残されたアストレイは、掌の法術陣を握りしめて立ち尽くす。
心臓の鼓動ばかりが大きく響き、時が止まったかのように思えた。




