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23/59

022 禍


 小さな窓からわずかに夕陽が射し込む。

 

 黒い大理石で飾られた床と壁は冷たく、光を拒むように艶めいていた。

 中央には、重厚な木製の机と椅子。

 その机の上に転がるのは一本のダーツと、積み上げられた書類の山。

 

 椅子に腰かけていたのは、齢十二、三の黒髪の少年だった。

 髪は短く整えられ、無邪気な笑みを浮かべている。

 

「古今東西ダーツの旅!」

 

 一人で拍手をしながら無邪気な声が、陰鬱な部屋に不釣り合いに響く。

 

 その隣に控える執事風の男は、やれやれといった顔を浮かべつつも、止めようとはしない。

 

 ――この少年こそが現月聖教祖(げっせいきょうそ)、アルディス・ルナ=ゼノラート。

 

 最強の名を冠する存在である。

 

 アルディスは軽やかに椅子から飛び降り、手にしたダーツを構える。

 視線の先には一枚の大きな地図。

 

 振り抜かれた腕の先で、ダーツが突き刺さった。

 

 執事の男――セヴラン・ノクティスが音もなく歩み寄り、刺さった場所を確認する。

 

「……トリヴァラですね。現在、いずれの宗派にも属していない街になります。治安維持のみ、風聖(ふうせい)に依頼しています。」

 

「いいじゃない」

 

 アルディスは短くそう告げ、月聖教祖の証である白銀のローブを羽織った。

 

「じゃあちょっと、お散歩にでも行こうかな。セヴランはどうする?」

 

「もちろんお供致します。」

 

 セヴランが恭しく礼をすると、アルディスが窓枠に軽やかに足をかける。

 

 吹き抜ける風がローブを煽って危なっかしく(ひるがえ)る。

 

 塔の最上階から見下ろせば、無数の屋根がはるか眼下に小さく並んでいた。

 

「またそんなところから……お行儀が悪いですよ」

 

 セヴランが微笑みを漏らしつつ、落ち着いた足取りで後を追う。

 アルディスはそのまま大空へ倒れこむ。

 体は布が羽ばたくように宙に浮いた。

 無邪気な笑みを浮かべ、空中を鳥のように自由に舞う。

 

「下まで降りるの、面倒なんだもの」

 

 風を切る声は子どもの戯れそのものだった。

 

 次の瞬間――その笑顔が冷たく凍りつく。

 

「さあ――街をひとつ、滅ぼしに行こうか」

 

 金色の瞳が鋭く光り、凍てつくような威圧感が放たれる。

 

 セヴランはその視線を見上げ、悩ましげな吐息が漏れた。

 頬は紅潮し、体の芯がゾクリと震える。

 眩い光に目を細めるように、その冷たい金色の瞳を覗く。

 教祖の狂気と力に酔い痴れるような、甘美な戦慄であった。


 

 ***


 

 川のほとりに焚き火がはぜる音と川のせせらぎが響く。

 瞬く星も、山の中の動物たちも息を潜めているような、やけに静かな夜だった。

 

「アドガードさんが、犬にもなれるなんて知りませんでした」

 

「狼だ」


 カナとアドガードの軽快な対話を横目に、リリメルはリンゴを一欠片口に運ぶ。

 瑞々しい甘さが口の中を覆い、頬が歓喜に震える。

 甘味は旅人には大変貴重だ。

 

(いいことはするものですね)

 

 リリメルは頬に手を当て満足げに余韻を楽しむ。

 カナもアドガードも珍しい豪華な晩御飯に、手と口がせわしない。


「カナさん、せっかくなのにセレナさんと過ごさなくてよかったんですか?」


「リオくん元気過ぎてこっちのが安眠できるんスよ。それに今日は晩御飯が豪華ですからね!」

 

 輝くカナの目がおかしくて、笑い声が静かな夜に反響した。

 

 その時――

 

 背後から突如、昼を思わせるほどの翠輝(すいき)の柱が立ちのぼり、大地が裂けるような地響きが走った。

 焚き火の上の食べ物が無残に散らばった。

 必死に掴める場所を探して手が彷徨う。

 

 大地の悲鳴のような重低音に芯まで震わせながらも、誰もがその光から目が離せなかった。


 翠輝の柱が一点へ収束しはじめ、街を囲う柵のわずか外側を囲むように強く光を放つ。

 円形に大地が抉れ、まるで巨大な手に掬われるように、街全体が翠輝に包まれ、空に持ち上げられていく。

 

 美しい円錐の街が……トリヴァラの街が宙へと浮かび上がっていく。

 

 鼓動が大きく跳ね上がり、息ができない。

 体を動かそうとしても、まるで時間が止まったかのようにピクリともしない。

 

 ただ、美しい街が凌辱される様を、血が出るほど唇を噛みしめて睨みつけた。

 

 やがて、その塊が空中で動きを止める。

 ゆっくりと反転したトリヴァラの街から、窓を突き破った家具や剥がれ落ちた街路が空へと零れ落ちていく。

 遠く離れたこの場所にまで届くのは、無数の悲鳴とうなり声だ。

 

 天地が逆さまになった街は、ドーム状の大地をまといながら緩やかに落下する。

 

 ドームの頂は月に向かって突き出され、巨大な蓋のように大地へと押し込まれた。

 

 地面が跳ね上がり、衝撃で体が宙に浮く。

 土埃を舞い上げた強風が、視界を奪った。

 小さく咳き込みながら、なんとか薄らと目を開く。

 地中に呑み込まれた、トリヴァラの街、その頂に二つの影が揺らめいた。

 土埃を掻き分け、月明かりに照らされた影を睨む。

 リリメルは直感した。

 これほどのことができるのは、この世にただ一人。

 

 月聖教祖(げっせいきょうそ)――アルディス・ルナ=ゼノラート。


 リリメルは振り返ることなく、まっすぐにその影へ駆け出した。

 

 走りながら掌に法術陣を展開する。

 淡い光が弓の形を結び、彼女の怒りを矢として宿す。

 

 二人の影は輪郭を現し、月明かりの下でその姿が鮮明になる。

 

 白銀のローブを纏う少年、アルディス。

 隣には執事のセヴラン。

 

 彼らは反転した街の惨状をしばし眺め、まるで芸術作品を鑑賞したかのように満足げに頷き、踵を返した。

 

「――アルディス=ゼノラート!」

 

 リリメルの声が夜を裂く。

 

 振り返った二人は、怒りに震える少女の姿を目にし、同時に薄ら笑みを浮かべる。

 

 弓を構える彼女を、まるで道化でも眺めるかのように。

 

「君か、噂のリリメル・ベル華教徒(かきょうと)。まさかこんな所で会うなんてね」

 

 アルディスの声は軽く、愉快そうに弾む。

 

「なぜ、こんなことを……!」

 

 リリメルの叫びに、アルディスはわざとらしく肩をすくめる。

 

「なぜ? そうだな……退屈してたから、かな?」

 

 無邪気な笑顔。

 

 リリメルは舌打ちをして、弓を引き絞る。

 

「退屈だなんてご冗談を、書類が山をなしていましたよ」

 

 冗談を言い合ったような軽快な二人の笑い声が、リリメルの額の血管を膨れあがらせる。

 

「何が面白い!!」

 

 リリメルの咆哮と同時に、矢が空を裂き、一直線にアルディスへ飛んだ。


 ――が寸前、彼の前に淡い法術陣(ほうじゅつじん)が浮かび、矢はそこへと吸い込まれた。

 

 続けざまに放つもすべて、同じように飲み込まれていく。


「私はあなたを絶対に許さない……必ず、必ず倒しにいきます!」

 

 リリメルの決意に、アルディスは空中で腹を抱えて笑い転げた。

 リリメルは奥歯を噛みしめる。

 

「あははっ、おっかしい……」

 

 アルディスが目じりの涙を指で拭う。

 その金色の瞳が再びリリメルを捕らえた。

 

「今の矢がどこへ行ったのか……後悔するといいよ、リリメル・ベル。次に会う時を楽しみにしている」

 

 アルディスはひらひらと手を振り、からかうように法術陣(ほうじゅつじん)へ姿を消した。

 

 残されたセヴランは深々と礼をしてから、主に続き同じ光の中へと消えていく。

 

 夜風に残るのは、街を埋め尽くす静寂と、リリメルの怒りに震える呼吸だけだった。

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