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021 華教徒たるもの


「少し、遊んでやっただけだ」


 アドガードの言葉に、カナが安堵の溜息をつく。

 後ろからはリリメルの弾んだ声が飛んできた。

 

「カナさん。この街に診療所はありますか?」

 

「診療所はないですね。小さな街っスから」

 

「では、お年寄りが集まるところは?」

 

 カナは少し考え、「ちょっと待っててくださいね」と言い残し、家の中へ駆け戻る。

 

 相変わらず、通り過ぎる人々の視線は冷たく、鋭い。

 アドガードはリリメルの横顔を見つめた後、小さく溜息を吐いた。

 

「……何をするつもりだ」

 

 アドガードの怪訝な問いに、リリメルは迷いなく答える。

 

「もちろん、華教徒(かきょうと)たるもの、人助けですよ!」

 

 にっこりと笑い、自信満々に胸を叩く。

 

「人助け?」

 

 その時、玄関の扉が開き、地図を持ったカナが現れる。

 現在地を指で示しながら、老人が集まるという広場の場所を教えてくれた。

 「ありがとうございます!」と元気よく手を振り、リリメルは迷いのない足取りで広場へと向かう。

 

「……で、具体的に何をするつもりなんだ?」

 

「こういう小さな街では、体が悪くてもなかなか診療所に行けないんです。だからこそ、立ち寄った街ではできる限りの御奉仕をする! これこそが華聖(かせい)の慈愛と救済の精神ですから!」

 

 輝く瞳と真っ直ぐな答えに、アドガードは諦めて肩を落とす。

 この少女は、一度言い出したら意見を変えたりはしない。

 アドガードはふわりと姿を消し、代わりに一頭の巨大な狼へ姿を変えた。

 

 焦茶色の毛並みを震わせ、悠然と歩き出した彼を見て、リリメルは足を止める。

 

「狼の姿にもなれるんですね」

 

「……まあな」

 

 そんなやり取りをしているうちに、広場へと到着する。

 

 そこには、数人の老人が玉を転がす遊びに興じたり、あるいは井戸端会議に花を咲かせていた。

 リリメルは臆することなくその輪の中へ飛び込んだ。

 

「おはようございます。私は華聖(かせい)の教徒、リリメル・ベルと申します。今日はこの広場で、慈善活動をさせていただきます。どなたか、お体の具合が悪い方はいらっしゃいませんか?」

 

 その言葉が終わるか否か、一斉に「腰が痛い」「足がだるい」と声が上がる。

 誰が何を訴えているのか判別できないほどの賑やかさに、リリメルは圧倒されるどころか、いっそ嬉しそうに目を細めた。

 

「よければ、私に治療させてもらえませんか?」

 

「あら、そうなの? 助かるわぁ」

 

「この辺じゃ、診療所に行くのにも山を越えなきゃならなくてねぇ」

 

「不便だ」と嘆く人々の顔は、どこか自慢げにも見える。

 リリメルは近くのベンチに腰を下ろすと、膝の上に白い布を敷く。

 

「では、お一人ずつ診させていただきます。こちらに並んでいただけますか?」

 

 あっという間に長蛇の列ができた。

 リリメルは先頭の老婆を隣に座らせると、その膝に白布を広げてかける。

 

「あら? 私が痛いのは腰なのよ、お嬢さん」

 

 心配そうに頬に手を当てる老婆に、リリメルは無邪気な笑みを返す。

 

「ご安心ください」

 

 膝の上の布へ法術陣(ほうじゅつじん)を展開する。

 翠輝(すいき)が老婆を包み込み、温かな光がじわりと浸透していく。

 患部が少し痛みを伴うが、翠輝が終息するにつれて共に消えた。

 

「おぉー!」と並ぶ民衆から歓声が上がった。

 こんな辺境の地では、法術(ほうじゅつ)自体を目にすることは少ないのだろう。

 

「終わりました。腰の具合はいかがですか?」

 

「あら……! あらあら、本当に楽になったわ!」

 

 老婆は信じられないといった様子で立ち上がると、踊りながら、足取り軽くくるりと回る。

 

「なんだか足まで軽いわ。あなた、すごいのねぇ」

 

 感心した老婆に手を握られ、リリメルは和やかにその温もりを分かつ。

 

 その後も彼女は一人一人に術を施し、瞬く間に全員を癒やしていった。

 

 アドガードは木陰に身を伏せ、丸くなって昼寝を試みる。

 しかし、通りすがりの者たちが「まあ、大きな犬だねぇ」「お利口さんだね」と笑いながら撫でていくせいで、落ち着いて眠る暇などなかった。

 

 広場には人だかりができ、感謝と活気を含んだ新緑の香りが街路を心地よく吹き抜けていく。


 

 夕陽が白い壁を朱に染め始めた頃、リリメルはその日最後の治療を終えた。

 彼女の傍らには、感謝の言葉とともに贈られた野菜や果物、手細工の品々が、山のように積み上げられている。

 

「できることなら、ずっとこの街にいてほしいものだよ」

 

 最後に治療を受けた老夫が、深く刻まれた皺をほころばせ、名残惜しげに微笑んだ。

 

華聖(かせい)の教徒は、皆さまが困っているときにいつでも駆けつけますから」

 

 リリメルは明るい声をあげて、老人の手を優しく包み返す。

 

 穏やかな空気の中、遠くから呼び声が響いた。

 

「リリメルさーん!」

 

 カナが肩で息を切りながら、両手を振って駆け寄ってくる。

 

「カナさん、どうされたんですか?」

 

「いやぁ、街ですごい噂になってたんで、居ても立ってもいられなくて来ちゃいました」

 

 カナはリリメルの横に高く積まれた供物の山に、目を丸くした。

 

「うわぁ……すごい量っスね。一体、何人を治療したんスか?」

 

「さあ……数えてはいませんでしたけれど」

 

 あっさりと、リリメルは笑う。

 カナは感心して頷く。

 回復法術は極めて高度な専門知識が必要だと聞く。

 その上高い集中力と膨大な法力(ほうりょく)を消耗するはずだ。

 本来なら法術師(ほうじゅつし)数人がかりで行う治療を、いとも簡単にやってのけてしまった。


 (実力者か愚者か……悩ましい)

 

 怪訝そうに眉をひそめたカナが、ふと辺りを見回して声を潜め耳打ちする。

 

「アドガードさんは、どこにいるんスか?」

 

「ふふ、あちらです」

 

 リリメルが視線を向けた先――庭木の根元には、一頭の大きな「犬」が、夕陽を浴びて無防備に寝そべっていた。

 

「えっ……?」

 

 困惑するカナがリリメルに視線を送る。

 リリメルはその大きな犬へ歩み寄り、頭を優しく撫でながら満面の笑みを浮かべた。

 

「こちらですよ。とってもお利口さんに、私を待っていてくれたんです」

 

 最強の獣人が「お利口さんな犬」として紹介されるシュールな光景。

 

 リリメルの眩しいほどの笑顔は、この街に訪れる不穏な影など気付くこともない、純粋さに満ちていた。

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