001 リリメル・ベル
青く澄み渡った空の下、一際目を引く金色の髪が、軽やかな風に揺れ額に影を落とす。
地表に咲く向日葵のように眩い色彩。
全身を純白の聖服に包み、翡翠を纏った少女は、その可憐な出で立ちには不似合いな、荒々しい煉瓦造りの門の前に立っている。
――ギギギッ
重い音を立てて、分厚い木の門が内側へ開かれた。
そこにいたのは、くたびれた看守の男だ。
「『華聖』のリリメル・ベル教徒様……でしょうか?」
男は、場違いな少女の姿に怪訝な視線を送り、手元の書類へと目を落とした。
「はい!」
鈴が転がるような、明るい声。
男は不審そうに頭を掻くと、「こちらですよ」と刑務所の中へ歩き出した。
目の前の建物は、想像していたよりもずっと小さく。
広大な敷地の中心に、ぽつんと取り残されたように佇んでいた。
中を覗けば、ただ真っ直ぐの廊下が見え、右側の壁には鉄製の扉、左側には窓が並ぶ。
看守は入り口を潜り、すぐ右横の部屋へと案内した。
外観同様に、簡素で無機質な白い部屋。
真ん中には木製の机があり、向かい合うように椅子が二脚置かれている。
リリメルは促されるまま、その椅子に腰掛けた。
部屋を見渡すと、棚はほとんど空で、角には荷物をまとめたらしい木箱が積み上げられている。
「お引越しされるんですか?」
書類の準備をする男に、尋ねる。
「ああ、まあね」
男は短く息を漏らし、椅子に腰を下ろした。
数枚の書類とバインダーを整えながら、男は続けた。
「正直、あの『アドガード・ウィキ』を連れ出そうとする方が現れるとは、夢にも思ってなかったんですよ。
他の囚人はみな、誰かの随人になりましたけど、アドガードはほら、アルディス教祖が怖いですからね。
彼がこの千年刑務所を出られるのは、刑期を全うした、千年後だろうって勝手に思ってたんですよ。
だから、引き渡し書類が届いて慌てて荷物をまとめてましたんで、なんもなくて申し訳ない」
「いえいえ」と、リリメルは満面の笑みで答えた。
三枚の書類がリリメルの前に並べられ、一本のペンが添えられる。
一枚目:アドガードの経歴と犯した罪状
二枚目:宗教戦争の歴史と囚人利用の決まり
三枚目:誓約書
どの内容も、リリメルにとっては熟知しているものばかりだ。
しかし、形式上、説明を受けないわけにはいかない。
目の前の看守は、どうやら勤勉なタイプではないようで、「目を通しといてください」とだけ言い残し、自分は再び荷詰めに戻ってしまった。
一枚目と二枚目の内容は、教科書にも歴史書にも、これでもかと載っている事項だ。
最近では、子ども向けの絵本まであると聞く。
まず、アドガードの罪。
八十年前、獣人・狼族の生き残りであるアドガード・ウィキは、長年仕えていた月聖に反旗を翻し、月聖教祖の留守を狙い、教徒の三分の一を惨殺した。
殺害理由は、月聖での自身の地位の低さに対する憤り、とされている。
獣人がどれだけ功績を上げても栄誉を得られないのは事実であり、彼の不満も理解はできた。
そして、二枚目、宗教戦争について。
「宗教戦争とは」から始まる出だしは、十六年の人生で百回は読んだだろう。
この国は四つの宗派(月聖・風聖・鳥聖・華聖)が常に小競り合いを繰り返している。
その戦闘方法である法術が難解なため、多くの教徒に死者が出た。
そのため、不利と判断したらすぐ逃げられるように、教徒たちは囚人や獣人を連れて戦うという慣習が生まれた。
今リリメルが申請をした『随人制度』になる。
――最後に『誓約書』
この内容も、アドガードの連れ出し許可申請の中で確認済みだ。
一つ、囚人には必ず手枷、または法術を施し、逃げられないように監視すること。
一つ、宗教戦争において定められた役割を逸脱させないこと。
一つ、囚人・獣人が主を離れて彷徨っていた場合、それが自聖のものでなくとも、対処すること。
など、三十項目がずらりと並ぶ。
最後に「この誓約に違反した者は、死刑、またはそれ以上の刑に処す」という厳重な脅しまで付いていた。
リリメルは、「はいはい、完璧に把握していますよ」とばかりに鼻を鳴らし、誓約書にサインをする。
いつ見ていたのか、看守は荷詰めの手を止め、すぐにリリメルの前に座った。
サインされた書類を確認し始める。
――意外とマメなのかもしれない。
「問題ありません」
そう言って、誓約書以外の書類をリリメルに突き返す。
ここで初めて看守は、彼女をまっすぐ見つめた。
「アドガードは……その……知ってらっしゃるとは思うんですが、長年仕えた月聖も、癇癪で裏切ってしまうようなヤツでして。
その上、並の法術師じゃ相手にならない桁外れの強者です。」
机の前で組んだ指を、忙しなく組み替える。
「――俺なんかがこんなこと言うのもおかしいんですが、華聖って、戦争にすら参加してない宗派じゃないですか?
あの、そこんとこ、どう思われてるのかなって、いや本当、変な話なんですけどね」
彼はバツが悪そうに頭を掻いた。
「もし、アドガードが裏切ったら――あんたみたいなお嬢さんに、何が起こるかわかりません。
……寝付きが悪いっつーか……その……ウチにも教徒様くらいの娘がいるもんで、いや、本当……変な話なんですけど……」
二度繰り返された「変な話」という言葉は、彼が自分の立場を理解しながらも、娘を持つ親としての良心を抑えきれなかったのだろう。
リリメルの胸がチクリと痛んだ。
できる限り心配を振り払えるように、笑顔を浮かべる。
「――ご心配ありがとうございます。
でも、大丈夫です!
私はこの国を統一して絶対王になりますから!」
その満面の笑顔には、まだ拭いきれない幼さが浮かんでいた。
男は、その言葉にますます不安になったようで、頭を掻きむしる。
しばらく書類の署名欄を睨みつけて、渋々と立ち上がった。
彼は重そうな鍵の束を取り出し、「こちらです」と先陣を切って歩き出す。
石の廊下に、リリメルの軽やかな靴音と、看守の重い足音の二つのリズムが響いた。
――キンッ
場違いな高い金属音にリリメルは一瞬振り返る。
(気のせいでしょうか?)
向き直る彼女の目に映る、窓に切り取られた空は、相変わらず青く晴れ渡っている。
「なんで窓が、こんなにあるか知ってますか?」
看守が一番奥の扉の前で立ち止まり、壁の穴に鍵を差し込む。
「いえ、なぜですか?」
ガチャン
――長年開くことの無かった鍵は、重い金属音を響かせた。
看守が取手を引くと、錆びついた重厚な扉が悲鳴を上げながら、ゆっくりと外側へ開いた。
現れたのは、冷たい石造りの階段。
その深黒は、地獄の底に導くように手招きしている。
リリメルは一歩前に踏み出し、内側へと足を踏み入れた。
「規則上、扉を閉めることになってますんで。
話が終わりましたら、内側にあるベルを鳴らしてください。
扉の鍵を解除しますから」
そう言って扉は、またゆっくりと閉じる。
その隙に、看守は先ほどの質問に答えた。
「暗闇で長く幽閉されていた囚人が、日の下に出られた喜びを感じるためだそうですよ。
貴方の旅路にも、喜び多からんことを……」
――扉が重く閉ざされると同時に、
リリメルは、完全な冷たい闇に包まれた。
――この先にアドガード・ウィキがいる。
少女は唾を飲み込んだ。




