018 トリヴァラ
トリヴァラ境界門
小人の国のような可愛らしい街には少し無骨な、木の板が張られただけの扉が顔を出す。
その両翼には高さ二メートルを超える鉄格子が街を一周している。
粗い鉄格子の間を植物の蔦で補強している姿は、怯えて毛布を被る姿に似ていた。
鉄格子を興味深く見つめるリリメルの背後からカナが声をかけた。
「この辺りは山間部で、昔は獣人の被害がよく出たんです。二年前の事件以来、ぱったりとなくなりましたけど……」
カナはそこで不意に言葉を切る。
ほんの一瞬アドガードへ視線を走らせ、その視線は宙を彷徨った。
(獣人の被害……大昔のことかと思ってました)
アドガードが狼族であることは周知の事実。
外見がどれほど人間にしか見えなくとも、千年刑務所の囚人服を着ている限り、彼が獣人であることを知らない人はいない。
「……待て」
門を通ろうとした時、目の前に槍が一本差し込まれる。
そこには顔を青ざめさせた、一人の若い風衛兵が立っていた。
その視線は、磁石に吸い寄せられるようにアドガードから離れなくなった。
先端が細かく揺れているのは、風のせいではない。
姿勢は低く、何か起こればすぐに動けそうだ。
「拘束法術の確認と、発動条件の提示を願う」
アドガードが無言で差し出した太い腕に、リリメルの小さな手が触れた。
スッと撫でると、浅黒い肌の下から翡翠色の法術陣が浮かび上がる。
「発動条件は?」
「法力を込めながら、『錐下』と唱えることで発動します」
風衛兵はなおも目を細めて訝しみ、質問を続けた。
リリメルは怯むことなく、にこやかな笑顔で答えていく。
「はいはい、もういいっスよね!」
そんな問答が十を超える頃に、カナが二人の間に割って入る。
太陽はすでに山の頂に半分隠れ、周囲には夜の気配が忍び寄っていた。
風衛兵は、渋々「……通れ」と呟いた。
石で舗装された道は多少の凹凸こそあれ、中央都市に比べれば格段に歩きやすい。
「そういえば二年前の事件って、『熊族の村討伐事件』のことですか?」
リリメルの問いに、カナは体を強張らせた。
気付かれないようにアドガードへ再び視線を走らせる。
「そうっス。風聖と『獣人団』がどんな密約を結んだのかは分かりませんが……あれ以来、獣人の被害も討伐の話も、全く聞かなくなりましたよね」
「獣人団?」
聞き慣れない言葉に、アドガードが低い声で問い返す。
カナが鞄に手を入れて荷物の中から、一冊の手帳を取り出した。
元の厚みの倍以上に膨れ上がった分厚い手帳の紐を解く。
慎重にページをめくり、隙間に挟まれていた一枚の新聞記事を抜き出して、アドガードに差し出す。
「俺は字は読めない」
一瞥し、記事をカナへと突き返した。
肩をすくめてから「では」と一拍置いて読みはじめる。
「――『北西の街で増えた獣人被害に伴い、聖風衛士団が討伐へ。そこへ現れたのは、種族を超えた一万匹の獣人の群れ。それらを束ねる総帥ナハトと、衛士団隊長の間で不戦条約が交わされた』……」
アドガードの目が大きく見開かれ、息を呑み込む音が小さく響いた。
「獣人が種族関係なく、一万も集まるなんてあるわけがない。」
信じられないと首を振る。
「人間は知らないだろうが、獣人同士の方がよほど捕食関係は強いし、何より生活時間も環境も種族ごとで大きく違う。それを束ねるなんて……」
「できるはずがない」
アドガードの眉間の皺が深く刻まれ、声には緊張が帯びている。
カナは慎重に記事を手帳に挟み直しながら、困惑するアドガードへ言葉を返した。
「それをやってのけたのが、わずか十四歳の少年なんスから驚きですよね。」
「しかも、当時はまだ十二歳だったんですよ。」
カナとリリメルの口から出てくる言葉に、どこか寂しげな視線を向ける。
長い前髪が顔に影を落とした。
やがて、絞り出すような低い声を響かせる。
「……本当にそんな奴がいるなら、会ってみたい」
今度はリリメルたちが目を丸くする番だ。
アドガードが自らの「望み」を口にしたのは、これが初めてのことだった。
「ナハト総帥は謎だらけなんスよ。蝙蝠族の族長だってこと以外は、何も……」
カナの言葉に、アドガードは「そうか……」とだけ呟き、視線を伏せた。
そんな彼の背中を、リリメルが力強く叩く。
「安心してください! いつか必ず、会わせてあげますから!」
白い歯を見せて笑うその姿は幼く、けれど不思議な説得力に満ちていた。
「……期待せずに待っておく」
そのうちに、カナは一軒の家の前で足を止めた。
白い円錐形の建物に、可愛らしい木製の扉。カナが迷わずベルを鳴らす。
「ここです。仕事場は、隣の縫製所ですよ」
カナが指差した先には、廊下で繋がったもう一つの円錐形の建物があった。
「――はい」
落ち着いた声とともに、扉が開いた。
そこに立っていたのは、カナによく似た面差しの女性だ。
桃色の髪を後ろでゆるく結んだ彼女――姉のセレナは、腕の中にまだ生まれたばかりの赤子を抱いていた。
「カナ……!」
セレナの瞳に驚きと喜びが混じり、二人は強く抱き合う。
「久しぶりね。帰ってくるなら、連絡してくれればよかったのに」
ふと、セレナの視線が一点で止まった。
夕闇の中でも分かるほど、彼女の顔から血の気が引いていく。
視線はアドガードへ。
そして、すぐに腕の中の我が子――リオへと移った。
リオを抱く腕に力がこもり、彼女の肩が微かに震え始める。
「……っ」
セレナはカナに身を寄せ、震える声で何かを耳打ちした。
アドガードの口元から、かすかに漏れていた吐息が止まった。
「……外で待つ」
それだけを言い残すと、彼は一度も振り返ることなく、静かに扉を閉めた。
――パタン
扉の閉まる音がやけに大きく響いた。




