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017 チャーム

 翌朝

 カナは窓から差し込む淡い光で目を覚ました。

 

 ほんのりと温まり始めた部屋の空気は心地よく、二度寝の誘惑を振り切るにはかなりの忍耐力が必要だ。

 

 ふと隣を見れば、リリメルの姿はどこにもなかった。

 ベッドの上に無造作に置かれた宝珠(ほうじゅ)の束が目に留まる。

 カナは思わず深いため息を漏らした。

 

(まったく……あの子は宝珠の価値を、本当にわかっているんだろうか)

 

 全てが昨日、目にしたものと同等だとすれば、あの塊はざっと計算しても五十万コルトは下らないだろう。

 二万五千コルトという自らの月収を考えれば、それは年収をまるごと注いでも到底足りない額だった。

 宝の山を目の前に、カナの深いため息がカビ臭い空気を振るわせた。

 

(だいたい、法術師(ほうじゅつし)がジャラジャラと宝珠をぶら下げて……それだけでもみっともないのに)

 宝珠は基本的に法力(ほうりょく)のない者が使う道具だ。

 法術師が所持する場合、それは「自身の法力の少なさを補うため」であることが多い。

 つまり宝珠を身につける法術師は、暗に『実力の低い者』と見なされがちなのだ。

 

「はぁぁ……」

 

 この旅が、カナにとって利益のあるものなのか、次第に疑い始めていた。

 ベッドから立ち上がり、準備を始める。



 

 港町の朝は早い。

 

 太陽がその全容を現す頃には、街は昨日と同じ喧騒の渦に飲み込まれていた。

 

 宿を出たリリメルの足は、迷うことなく峻険な山岳部へと向けられる。

 彼女の無鉄砲さに心の中で嘆きながら、カナはその肩を掴んだ。

 

「待ってください、リリメルさん! 川沿いを歩きましょう」

 

 リリメルが不思議そうに首を傾げて振り返る。

 アドガードはどちらでも良さそうに、一度大きく伸びをして、話の結末を待っていた。


 

(普通は、獣人や盗賊が出る山道なんて進まないんスよ!)

 

 喉元まで出かかった言葉を必死で飲み込み、カナは続けた。

 

「空を飛べるリリメルさんや、獣人のアドガードさんには平気かもしれませんが、私にその道は険しすぎるっス」

 

 切実な訴えに、リリメルは「そうでしたね」と優しい微笑みを浮かべた。

 

「じゃあ、ローデン運河を歩きましょうか」


 一行は待合所から川辺へと階段を下り、ローデン運河の川岸へと足を踏み入れた。

 

 カナは昨日歩いてきた道を一度だけ振り返る。

 白んだ南の空と、労働者たちの汗の匂い。

 北からは、体の芯を冷やすような峻烈な風が吹き抜けてくる。

 

(カルディナまで同行して、まともな記事にできなければ、潔く社に戻ろう)

 

 一隻の船が、南へと力強く舵を切っていく。

 



 

 ローデン運河を北上すること、半日。

 

 太陽が天頂を過ぎ、西の空へ傾き始めた頃、切り立つ谷の底に、真っ白な祝祭のキャンドルを並べたような街が現れた。円錐形の屋根は、いまにも柔らかな火が灯りそうなほど愛らしい。

 

「可愛らしい街ですね」

 

 リリメルの翡翠色の瞳が輝く。

 カナはわざとらしく胸を張った。

 

「連れてきた人は、皆そう言ってくれるっスよ!」

 

 対岸のトリヴァラを眺める三人の前を、高く跳ね上がった水飛沫が覆う。

 

「で、どうするつもりなんだ?」

 

 アドガードが激しい濁流に目をやった。

 川を挟んだ対岸までは約百八十メートル。

 到底、飛び越えられる距離ではない。

 

「お任せください!」

 

 リリメルが自信満々に胸を叩くと後ろで一際大きな飛沫があがった。

 いつものように胸の宝石に触れ、法術陣を展開した。

 翠輝(すいき)が形をなし、掌に金色の精密な時計が現れる。

 短針と長針があり、それぞれが00から09の数字が二重円に描かれている。

 どうやら時計ではないようで、リリメルは長針を01、短針を00へと合わせ、法力を注ぐとその中心から翠輝が爆ぜる。

 親指ほどの金色のチャームが生成されていた。

 

「これは転送陣(てんそうじん)になります。私が向こうまで渡るので、お二人でこのチャームを持っていてください!」

 

 次の瞬間、リリメルのブーツが翠輝を放つ。

 彼女はそのまま空中を歩くように、滔々と流れる運河を渡り始める。

 

「便利だな」

「そうっスね……」

 

 その背を、アドガードとカナは短い言葉で見送った。

 

 カナは手の中にあるチャームの冷たさを確かめるように、一度だけ強く握りしめる。

 

 隣に立つ大男を見やると、ただのんびりと対岸を見守っていた。

 到底見えはしないが、八十年前にこの大河を簡単に飛び越える法術師たちを、二百人も惨殺した「怪物」なのだ。

 歴史書によれば、遺体はどれも喉を噛み千切られ、爪で心臓を抉られていたという。

 

 急激な身震いがカナを襲った。

 縛りがなければ、到底近寄りたくなどない。

 

(それほどの力がありながら、どうしてリリメルさんに協力するんだろうか)

 

 カナが首を傾げた時、「おい」と低い声が響いた。

 顔を上げれば、アドガードが対岸に着いて大きく手を振るリリメルを指差した。

 

 二人がチャームを握りしめた瞬間、翡翠色の光が視界を真っ白に染め上げた。

 水の香りが新緑へと変わり、風も少し冷たさを和らげた。

 閉じた目を開くと二人はリリメルの目の前に立っている。

 

「初めて転送陣ってものを経験したっス……!」

 

 嬉しそうなカナに、リリメルは笑みを浮かべる。

 

「連絡を取り合えるので便利なんですけど、個別特定を書き換えるのは大変なので、事前に作っておいたんです!」

 

(なるほど……一応、準備はしてきたんだ)

 

 ここまでリリメルの計画は杜撰としか言いようがなく、国家統一を掲げる彼女は、カナにとって「大口を叩くだけの危うい子供」でしかなかった。

 けれど、太陽を反射するこの金色のチャームには繊細な法術陣が刻まれ、中心に凹みがある。

 小さな法術でもはめ込めば、移動中でも連絡が取れる優れものだ。


(法術の知識だけは、本当に豊富だね)

 

「それはカナさんが持っていてください」

 

 返そうとした手を拒まれる。

 

「……では、お言葉に甘えて」

 

 カナはその小さなチャームを、無造作に鞄の奥へ突っ込んだ。

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