016 ローデン・ハブ
「なら、俺は二十万セイン出す!」
突如として始まった競りの咆哮は人々を集め熱を帯びていく。
欲望に突き動かされた群衆に包囲され、四苦八苦するリリメルの背後から、ひときわ大きな溜息が漏れた。
カナは仕方ないと頭を振り、声を張り上げる。
「セインじゃ売れないっス! 誰か、コルトを持ってませんか」
群衆とリリメルの間に割って入る。
民衆の熱狂は『コルト』の言葉で一気に冷め、舌打ちを漏らし、悪態をつきながら一人、また一人と離れ始めた。
セイン札を握りしめ、罵声を浴びせながら散っていく群衆。
その中で唯一コルト札を差し出す男がいた。
男は胸を張り周囲を見下すように一瞥し、コルト紙幣を差し出した。
「俺はコルトを持ってるぜ。買ってやるよ、いくらだい?」
カナはその男が差し出した「百コルト札」を一瞥すると、背後のリリメルから宝珠を無造作に受け取った。
それを掲げ、逆光に透かして価値を目算する。
回しながら確認した後、納得したように頷いた。
「一万コルトっスね」
カナが冷静に告げた瞬間、男は力なく肩を落とした。
コルト札の端がわずかに震え、握る爪が白くなる。
その背中に、周囲から容赦のない嘲笑が浴びせられた。
「見ろよ、あいつ。コルト欲しさに、大切に育てた野菜を叩き売ったってのに」
「バカだねぇ。ありゃあ、今年は冬を越せないよ」
「俺らみたいな学のないもんが、風聖様相手に商売しようなんてぇのが、そもそも間違いなのさ」
人々は男の窮状を肴に笑いながら、霧散していく。
その笑い声に男は歯を鳴らし、乱暴にコルト札を懐にしまう。
投げやりな足取りで歩く背中が、どこか小さく頼りない。
自然とカナの握る宝珠へと視線が吸い寄せられた。
「――ダメっスよ」
掌に宝珠を隠しながら、カナが振り返る。
「彼は、自分の領分を間違えたんです。不用意な救いは混乱の元っスよ。」
鋭いカナの声に、リリメルは言葉を飲み込んだ。
カナの顔は心配する姉のように見えて、リリメルは小さく頷いた。
絶え間なく地面を這いずるように舞う土埃を見ながら、リリメルは顎に人差し指を添え、手元の本に何かを書き留めた。
顔を上げると、カナとアドガードの顔を交互に見つめ、納得したように笑顔を浮かべた。
「では、質屋か道具屋を探しましょう」
踏み出したリリメルの腕が強く引かれる。
腕を掴んだカナが呆れたように睨みつけ、腰に付けた宝珠を指さしている。
「それ、仕舞えるなら今すぐそうした方がいいっス。――無くなりますよ」
「……そんな馬鹿な」
リリメルは苦笑したが、これまでのカナの視線がじっとりと絡みつく。
考えてみれば、彼女の忠告はすべて正鵠を射ていた。
リリメルはいそいそと宝珠を外し、法術陣の中へとしまい込む。
「イヤリングと胸元の宝石もです。片付けてください」
「えっ? 胸元なんて盗られませんよ。第一、これがないと法術が使えなくて……」
「じゃあ、せめて服の内側に隠してください。そのイヤリングだって宝珠っスよね? しまってくださいね!」
「……はい」
カナもまた、いつもよりきつく鞄の紐を括り直し、それを胸の前で抱え込むように持った。
三人は、欲望が濁流となって渦巻き、乾いた風が肌を刺す街へと、静かに踏み出した。
結局、夕刻まで街中を歩き回ってもコルトを扱う店は見つからなかった。
お世辞にも綺麗とは言い難い部屋と、無理やり二つベッドを詰め込んだような宿屋の一室でリリメルは酷い徒労感に包まれていた。
埃っぽい匂いも気にせず、ベッドへと倒れ込むと湿っぽいシーツが肌に貼りつく。
「なんだか……とても疲れました……」
柔らかな布団に、吸い込まれるように力が抜けていく。
結局、宝珠はひとつも売れていない。
当然、法外な乗船代を工面できるはずもなかった。
「中立国は、トリヴァラのように風聖の影響が強い街でなければ、基本はセインが流通紙幣なんスよ。」
カナが呆れ混じりに言うと、リリメルは「もう許してください……」と言わんばかりに枕に顔を埋めた。
カナの粗い鼻息が責めるように響く。
正直これ以上迷惑はかけたくない、が、初めから抱いていた疑問を聞かずに眠ることもできなかった。
リリメルは改めて起き上がり、ベッドの端に腰掛けて、腕組みをするカナと向き合った。
「ところで、どうしてセインではダメなのでしょうか?」
目を細め、視線をさらに鋭くし、呆れたように眉根を寄せた。
「セインは偽札が横行してるんス。昼間、おばあさんが差し出してたセイン札も何枚かは偽造でしたよ。中立国でしか使えないから船にも乗れません。本当不便ですよね」
吐き捨てるようなカナの言葉。
「なるほど……」と項垂れるリリメルに、叱責の混じるカナの声が鼓膜を揺らす。
「で、どうするんスか? ここからアイゼンガルドへ引き返すと、到底カーヴェインとの面会には間に合いませんよ」
腕を組み、答えるまで寝かせないといわんばかりのカナ。
リリメルは一度、低く唸り声を上げながら、忙しなくカナの表情を確認しては視線を外した。
枕を掴み取り、自分を守る盾でも手に入れたかのように抱きしめた。
「……このまま、北へ進みます」
「はぁ!? 何を言ってるんスか! このまま北に進んだって、対岸へ渡る手段なんてありませんよ!」
「大丈夫です。法術で渡りますから……」
そのままリリメルは再びベッドへ倒れ込む。
カナは目を瞬かせ、確かに法術士であればそれも不可能ではないだろう。
しかし、だとすれば一つの疑問が首をもたげる。
「法術で渡れるなら……なんでわざわざ、お金をかけて船で行こうなんてしたんですか?」
再びゆっくりと起き上がり、ベッドの縁へ腰を掛け直した。
そして、カナの瞳を真っ直ぐに見据える。
「私は、この国の王になります。法術で渡るのは簡単ですが、それではこの国で、どんな問題が起きているのかが分かりません。私は……ちゃんと、この国を良い国にしたいんです」
その言葉に迷いはなかった。
カナは、その眼差しに宿る意志の強さに射抜かれたように、形にならない言葉が唇を動かす。
リリメルが、カナの膝の上で固く握られていた手を取り、そっと両手で包み込む。
「カナさんが居てくださって、本当に良かったです。これからも、よろしくお願いしますね」
一瞬見せた鋭さを隠すように、リリメルは幼さの残る無邪気な笑顔を見せる。
「こ、こちらこそ」
その返事を聞くと、リリメルは満足げに「おやすみなさい」と告げ、吸い込まれるようにベッドへと潜り込んだ。
カナは頭を掻きながらも、眠りに落ちたリリメルから目を離すことができなかった。




