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010 セラフィム・ヴァルク


 鋭い切先が薄皮一枚のところで通り過ぎる。

 トルクの間を通る刃は執拗に首だけを狙ってくる。

 逃げられる範囲は狭い……

 正確な太刀筋と広い攻撃範囲、それに人間離れした速さで、狭い路地裏では逃げ回るには限界がある。

 

「オレ大丈夫だよ。オレを抱えてたら、今度こそ捕まっちゃうよ。」

 

 悔しいが、このシャルンの言葉は正しい。

 

 頭上を越えようと挑戦してもみたが、驚くことにセラフィムの飛躍力はアドガードに匹敵していた。

 飛んだ分、間合いに入りやすく、防ぐ方法もないのでそれ以降上には飛べていない。

 

 (本当にコイツ人間なのか)

 

 だんだんと自分と同じような人間に化けた獣人なのではないかとすら思えてきた。

 

 救いは相手が本気ではないことだ。

 一回攻撃すると必ず距離をとり、こちらにしばしの猶予を与える。

 まるで、「逃げ場所の最適解を探してみろ。」と言われているようだった。

 

 ならばと建物を背にして、刀を引っ掛けてやろうと思ってもみた。

 しかし、刀は正確に首を刎ねにきて、奇跡のように建物には掠めもしなかった。

 背に壁があるせいで逃げることもできない。

 彼が二回連続で攻撃を加えてきたら、もう息はしていなかっただろう。

 

 片手でくるくると刀を回して、柄を握りなおす。また構えに入る。

 

 (くそっ……せめて攻撃ができれば、まだやりようもあるのに)

 

 随人が力を振るうには、教徒の許可が必要になる。

 相手は風衛兵だ。

 治安組織なら、この規則違反は見逃さないだろう。

 

 セラフィムが足を踏み込んだ、その時……

 

「師団長、何してるんですか?」

 

 新たな男が後ろから現れ、構えた右手をそっと押さえる。

 こちらも細身だが、「師団長」と呼ばれた男より10センチほど背が高い。

 胸にある小さな星は六つ。

 白のローブは風衛兵(ふうえいへい)の制服だろう。

 

「悪い癖ですよ。」

 

 セラフィムは残念そうに、そして諦め顔で刀を鞘に戻した。

 マティアス・クローヴ、刀士団でセラフィムの補佐をしている。

 階級は副長にあたる男だ。

 

 マティアスの登場で、幾分息がしやすくなった。

 後ろのシャルンの無事を確認し、視線を周りに走らせる。

 この場から逃げる方法を探していたアドガードに冷たい緊張が刺した。

 セラフィムの鋭く冷たい眼光は「逃げれば殺す」と言っていた。

 

 アドガードは唾を飲み込む。

 この隙間だらけの路地裏が、千年刑務所の冷たい石壁よりも、よほど逃げ場のない監獄に感じられた。

 

「……さて、では聞かせてもらおうか。」

 

 セラフィムの低く落ち着いた声が、冷気のように周囲に広がる。

 刀の先にはまだ微かに緊張が残り、しかし威圧の中心は揺るがない。

 

 ――そこに立っているだけで、死を連想させる。

 

 胃が迫り上がり、奥歯を噛み締める不快な音が脳内に響いた。

 

「アドガードくん。これはどういうことかな?」

 

 師団長の指の先には気を失ったグリンドが倒れている。

 

 まずい、この場でこの状況……獣人のそれも千年刑を受けた自分の言葉はどれだけ信じてもらえるのだろうか……

 

 師団長セラフィム・ヴァルクが、重圧そのものの気配を纏い詰め寄ってくる。

 緊張の檻に逃げ場はない。

 

 アドガードは片手を後ろに回し、シャルンを背中に隠した。

 

 その重苦しさを裂いたのは、側近マティアス・クローヴだった。

 

「……師団長。グリンドが目を覚ましました。」

 

 落ち着いた声が差し込む。

 セラフィムの表情に一瞬、嫌悪の色が走り、興を削がれて視線だけをゆっくりと巡らせた。

 不愉快そうに眉間に皺を寄せ、グリンドを見下ろす。

 

 かすれた呻き声が背後から漏れた。

 

「……う、ぐ……」

 

 血に濡れた胸を押さえながら、グリンドが必死に呼吸を繋いでいた。

 

回復法術(かいふくほうじゅつ)をかけますか?」

 

 マティアスの問いに、セラフィムは大きくため息をついて頷く。

 

「……話せる程度に。」

 

 マティアスは腰の小さな鞄から手帳を一冊取り出した。

 ページをめくり目的の法術陣(ほうじゅつじん)を開きグリンドの胸に置く。

 その上に手を重ねるとグリンドの体を翠輝(すいき)が包む。

 一度大きく咳き込んだグリンドが、血を吐き出す。

 虚ろな目で白い風衛兵(ふうえいへい)の制服を認識すると、先ほどの出来事を思い出して頭に血がのぼる。

 

「私をこんな目に合わせたのは、鳥聖(ちょうせい)の教徒だ!!大男で、名をラン・フェンと言った!」

 

 血を吐きながらも怒りは冷めやらぬようで、グリンドの甲高い叫び声が不快に路地裏の空気を揺らす。

 

「アイツを捕まえてくれ!!」と騒ぎ立てるグリンドに、フンッと鼻を鳴らしたセラフィムの冷ややかな視線。

 

「その鳥聖(ちょうせい)の教徒に感謝すべきだね。」

 

 吐き捨てるように告げた声は、氷の刃より鋭い。

 

「もし僕が先に出会っていれば――君の頭と胴は、もう繋がってはいなかっただろう。」

 

 グリンドの顔が恐怖に歪む。

 セラフィムの眼差しは情を欠き、まるで処刑人そのものだった。

 

「今回の風衛兵(ふうえいへい)の任務は……君を捕らえることだ、グリンド。」

 

 マティアスがセラフィムに耳打ちする。

 話を聞いたあと、視線は天を仰ぎ、口からは大きなため息が漏れていた。

 アドガードへと視線を移す。

 

「大変残念なことだが」

 

 セラフィムはわざとらしく前置きし、肩をすくめた。

 

法術(ほうじゅつ)の縛りは機能している。君がグリンドを傷つけたわけでもないようだ」

 

 その言葉に、アドガードはわずかに肩の力を抜いた。

 ――生じた、一瞬の隙。


 次の瞬間、空気が爆ぜた。

 

「――だが、シャルン(そちら)は違う」

 

 言葉が鼓膜に届くより早く、鋭い閃光がシャルンを襲った。

 

「が、あ……っ!」

 

 鮮血が石畳を汚す。

 シャルンの腕が、重力を失ったように宙を舞った。


 ぼとり……と嫌な音を立てて腕が地面へと落ちる。

 アドガードの背筋が凍りついた。

 

「首を落としたつもりだったが……流石は獣人、反応が早い」

 

セラフィムは無造作に刀を振り、付着した血を払う。

 その瞳には、先ほどまでの「遊び」の熱は消え、事務的に対象を排除する「処刑人」の冷徹さが宿っていた。

 

「待て、なぜこいつを襲うんだ!」

 

 アドガードはセラフィムの前に躍り出て、シャルンに逃げろと合図した。

 シャルンは踵を返し、近くの屋根へと飛び上がる。

 

 追いかけようとしたセラフィムの腕をアドガードが掴む。

 スッと見上げたセラフィムの視線に背筋が泡立った。

 マティアスに対して反対の手を挙げ、屋根の上に向けて下す。

 マティアスはすぐにシャルンを追いかけた。

 

「これは公務執行妨害になると思うが、どうかな?」

 

 セラフィムは刀を鞘に納めた。

 

「なぜシャルンを襲う?」

 

 二度目の問いに、セラフィムは小さくため息をついた。

 

「縛りを失った獣人を野放しにしてはいけない。鉄則だ。」

 

 呆れたように首を傾げ、逆に問い返す。

 

「……僕にも聞かせてくれないか。君は今日、千年刑務所(せんねんけいむしょ)から出所したばかりのはずだ。

 なぜ庇う? 知り合いというわけでもないだろう。」

 

 アドガードは目を見開いてから「なぜ?」の答えが自分の中にないことに気付く。

 シャルンはグリンドの刺客で、元々リリメルを殺そうとした敵でしかない。

 行動を共にしたのも、わずか数時間。

「獣人同士」なんて仲間意識はない。そもそも狼族(おおかみぞく)獅子族(ししぞく)では住む場所も活動時間も違う。

 

「理由なんてない。」


 今できる唯一の答えだった。

 

 


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