夜戦と入国管理チーム
夜戦ゲーム会へ参加する黒木美津子、そこで紺の服装で統一するチームと出会う。
そして物語は思わぬ方向へ。
第十二話〈夜戦と入国管理チーム〉
<前編>
廃墟ヘルスセンターでの死闘から、しばらく時間が過ぎていた。
黒木美津子は、自宅のリビングでスマートフォンの画面を静かにスクロールしていた。表示されているのは、関東近郊のサバイバルゲームフィールド情報サイト。無数のフィールド名とイベント告知が並び、どれもそれなりに魅力的に見える。
だが、美津子の指はなかなか止まらなかった。
(同じ場所ばかりじゃ、読み合いが固定される……)
廃墟戦の記憶がまだ身体に残っている。あのときの緊張感、空気の重さ、そして最後の一人として立ち続けたあの瞬間――。それを思い出すたび、胸の奥がわずかに熱を帯びた。
だが同時に、冷静な思考も働いている。
(違う環境で戦わないと、腕は鈍る)
画面を滑らせていた指が、ある一点で止まった。
――土曜夜戦ゲーム会
――18時〜23時
「……夜戦」
小さく呟く。
やったことはない。少なくとも、本格的な夜戦は経験がなかった。
レビュー欄を開く。設備は良好、運営も丁寧、初心者でも安心――そんな無難な評価が並んでいる。悪くない。
(夜は、視界が制限される……読みと感覚の比重が上がる)
スナイパーにとっては不利とも言える。だが、だからこそ試す価値がある。
美津子はエントリーボタンを押した。
画面に「予約完了」の文字が表示される。
決断は、早かった。
◆
「今度の土曜、帰り遅くなるから」
キッチンでコーヒーを淹れながら、美津子は何気なく言った。
リビングでは、成人した息子がスマホをいじりながら顔を上げる。
「またサバゲー?」
「そうよ。夜戦」
「夜戦か……母さん、最近ほんとハマってるね」
呆れ半分、興味半分といった声音だった。
「同じフィールドばかりじゃね。変わったところにも行かないと」
カップに口をつけ、一口。苦味が舌に広がる。
「非日常を楽しまないと」
そう言って、タバコに火をつけた。
煙がゆっくりと天井へ昇る。
「山猫さんと行くの?」
息子がふと口にする。
「……いいえ、一人よ」
「え、一人?夜戦で?」
「一人の方が気楽なの」
即答だった。
息子は肩をすくめる。
「ふーん。なんかいい感じなのかと思ってたけど」
「そんなんじゃないわよ」
煙を吐きながら、淡々と返す。
「ただのサバゲー仲間」
だが、その言葉の奥にほんのわずかな余白があることを、自分でも自覚していた。
◆
半月後。
夕暮れが迫る高速道路を、美津子の車は走っていた。
渋滞に軽く巻き込まれながらも、焦りはない。むしろ、夜戦という未知への静かな高揚があった。
到着したのは17時30分。
フィールドにはすでに三十人ほどのプレイヤーが集まっていた。
受付を済ませ、空いているテーブルに装備を置く。
そのとき、視界の端に妙な統一感が映った。
隣のテーブル――紺色で統一された六人組。
しかも女性がいる。
(夜戦で女性……珍しいわね)
自然と視線が向く。
すると、その中の一人――リーダー格らしき男が、美津子に気づいて声をかけてきた。
「お一人ですか?」
穏やかな口調だが、どこか隙がない。
「ええ」
「よろしければご一緒にどうですか?」
一瞬考える。
だが、美津子は首を軽く振った。
「私はスナイパーなので、単独行動が多いんです。それでもよければ」
「もちろん」
男はすぐに頷いた。
「チームカラーだけ合わせてもらえれば大丈夫です」
「わかりました」
形式的なやり取り。
だが――
(妙ね……)
違和感が残る。
「皆さん、服を統一してるんですね」
何気なく尋ねると、男は一瞬だけ間を置いてから、小さく答えた。
「ああ……仕事着なんですよ」
その声音は、ほんのわずかに低くなっていた。
それ以上は踏み込ませない、という線引き。
(隠してる……)
直感だった。
だが、それ以上追及する理由もない。
◆
更衣スペースで、美津子は手際よく準備を進めた。
ウッドランド迷彩服に袖を通し、髪をポニーテールにまとめる。ブーニーハットを被ると、鏡の中にはいつもの“戦闘の顔”があった。
チームカラーは緑。
マガジンに蓄光バイオ弾を装填していく。小さな球体が、わずかに光を帯びている。
L96、FAMAS、シグP226。
それぞれの重量と感触を確かめる。
準備完了。
◆
喫煙所でタバコに火をつける。
空はまだ完全には暗くなっていない。だが、確実に夜が近づいている。
風が冷たい。
遠くで、誰かの笑い声がした。
それを聞きながら、美津子は静かに煙を吐いた。
(夜は……誤魔化しが効かない)
視界、距離感、気配。
すべてが曖昧になる。
だが、その曖昧さの中でこそ、本当の実力が問われる。
◆
ゲーム開始。
ホーンが鳴り響いた。
フラッグ戦――単純だが、夜では別物になる。
美津子は右側の境界線を選んだ。
(まずは地形把握)
慎重に進む。
すぐに建物が現れた。
内部は闇。
ハンドライトを天井に向けて点灯する。
反射光が部屋全体をぼんやりと浮かび上がらせた。
障害物、出口、影。
すべてを一瞬で記憶する。
すぐにライトを消す。
闇が戻る。
ゆっくりと出口へ。
外を覗く。
――銃声。
だが、姿は見えない。
(近ければ見えるはず……)
蓄光弾は、軌跡を裏切らない。
建物を出て、小道へ。
両脇は濃いブッシュ。
そのとき――
正面に、影。
美津子は即座にブッシュへ滑り込んだ。
呼吸を止める。
L96を構える。
スコープを覗く。
(見えない……)
光が足りない。
影だけが、揺れる。
次の瞬間。
影がわずかに動いた。
――撃つ。
トリガーを絞る。
緑の弾が一直線に飛ぶ。
ヒット。
だが――
直後、赤い光の線が幾筋も走った。
「っ……!」
反射的に伏せる。
弾が頭上をかすめる。
(まずい……位置を読まれた)
反撃は危険。
美津子はそのまま地面を這い、後退した。
土の冷たさが服越しに伝わる。
心拍が上がる。
だが、冷静さは保っていた。
◆
――タイムアップ。
わずか二十分。
だが、体感は倍以上だった。
セーフティに戻り、コーヒーを口にする。
温かさが喉を通る。
横を見ると、例の紺のグループが笑いながら戻ってきた。
「さっきの突撃、やばかったな」
「全滅したら意味ないだろ」
軽口を叩き合っている。
だが、その動きには無駄がなかった。
(素人じゃない……)
確信に近い感覚。
◆
美津子は静かにバッグを開けた。
取り出したのは、小さな箱。
中には――暗視スコープ。
電池を入れ、スイッチを入れる。
覗く。
――世界が変わる。
闇が、輪郭を持つ。
「……これね」
第二世代。古いが、十分使える。
前面のBB弾避けカーボネートが、鈍く光る。
(次は……負けない)
〈後編〉
暗視装置を覗いた瞬間、美津子の中で“夜”という概念が書き換わった。
それまでただの闇だったものが、濃淡と輪郭を持ちはじめる。木々の幹、ブッシュの密度、地面の起伏――すべてが緑がかった視界の中に浮かび上がる。
(見える……)
思わず息を呑む。
視界を得たことで、恐怖は減った。だが同時に、新たな緊張が生まれる。
――見えるということは、撃てるということだ。
そして撃てば、必ず“居場所が露見する”。
次のゲーム開始のホーンが鳴る。
美津子は境界線沿いに進みながら、暗視スコープ越しに周囲を探った。
微かな動き。
ブッシュの奥に、敵影。
迷いはなかった。
トリガーを絞る。
緑の蓄光弾が一直線に闇を切り裂いた。
ヒット。
――だがその瞬間。
複数の赤い光線が、逆方向から走る。
「……っ!」
反射的に横へ転がる。
着弾音が連続して耳元で弾ける。
(早い……)
位置の特定が速すぎる。
夜戦では弾道そのものが“軌跡”になる。狙撃という行為自体が、位置情報の開示に等しい。
美津子はすぐに体勢を低くし、後方へ滑るように移動した。
呼吸を抑える。
心拍がうるさい。
(撃ったら、必ず移動……)
それがこの戦場のルールだった。
◆
数ゲームを重ねるごとに、美津子は違和感を覚え始めていた。
(単独は……きつい)
昼間なら成立していたスタイルが、夜では通用しない。
視界は限定され、索敵に時間がかかる。その間に前線は動き、孤立する。
そして何より――
(集中砲火を受けたとき、逃げ場がない)
味方の位置が見えない夜では、援護も期待できない。
静かに息を吐く。
視線の先には、あの紺色のグループ。
彼らは常にまとまって動き、無駄がない。突撃も撤退も、タイミングが揃っている。
(……連動するしかない)
次のゲーム。
美津子は決断した。
◆
スタートの合図。
紺のグループは迷いなく中央へ進んだ。
正面突破。
夜戦ではリスクの高い選択だが、彼らには躊躇がない。
美津子は少し距離を置いて、その後を追った。
木々の間を抜ける。
暗視越しに、前方の六人が連携して展開していくのが見える。
左右に分かれ、中央を一人が押し上げる。
(統制が取れてる……)
直後、銃撃戦が始まった。
赤と緑の光線が交錯する。
前衛の彼らが撃ち合いを引き受ける。
美津子は後方で膝をつき、スコープを覗いた。
(今……)
敵が前方に意識を集中している。
その後方からの圧力には気づいていない。
トリガーを引く。
ヒット。
すぐに位置をずらす。
再び覗く。
別の敵。
撃つ。
また移動。
その繰り返し。
前衛が撃ち合い、敵の視線を固定する。
その隙に、後方から一人ずつ削る。
(これ……やりやすい)
単独では得られなかった“余裕”が生まれる。
敵の動きが、手に取るようにわかる。
美津子の中で、狙撃の感覚が研ぎ澄まされていく。
呼吸、タイミング、引き金。
すべてが噛み合う。
(これが……アクティブスナイパー)
静止ではない。
動きながら撃つ。
流れの中で仕留める。
その感覚に、美津子はわずかに高揚した。
◆
ゲームは激しさを増していく。
中央の攻防は拮抗していた。
前衛の一人が被弾。
「ヒット!」
すぐに別の一人がその穴を埋める。
動きに無駄がない。
美津子は後方から支援を続ける。
だが――
敵も学習していた。
赤い弾道が、後方へと伸びてくる。
(見られてる……)
狙撃位置が読まれ始めている。
美津子は即座に移動。
ブッシュを抜け、別の角度へ。
スコープを覗く。
敵がこちらを探している。
その瞬間。
撃つ。
ヒット。
だが同時に、弾幕が返ってくる。
伏せる。
土の匂い。
息を殺す。
(ギリギリ……)
この距離、この緊張。
昼間とは別物だ。
◆
やがて、ラストゲーム。
夜は完全に深まっていた。
空気が冷たい。
吐く息が白くなる。
スタート。
再び中央。
だが今度は、敵の抵抗が激しい。
開始直後から激しい撃ち合い。
光線が乱舞する。
視界の中で、無数の弾道が交差する。
美津子は後方で位置を取る。
(焦らない……)
一人、また一人。
確実に削る。
だが前衛も押されている。
「右、来てる!」
声が飛ぶ。
紺のグループが素早く対応する。
だが敵の数が多い。
距離が詰まる。
(近い……)
狙撃では対応しきれない距離。
美津子はL96を背負い、FAMASを構えた。
フルオート。
緑の弾が連続して飛ぶ。
敵がひるむ。
その隙に前衛が押し返す。
だが弾幕は続かない。
――弾切れ。
「っ……!」
即座にシグP226を抜く。
連射。
至近距離で敵を止める。
その一瞬でFAMASをリロード。
再び構える。
撃つ。
押し返す。
息が荒い。
だが思考は冴えている。
(まだいける)
最後まで立っている感覚。
それが身体に残っていた。
◆
――終了。
ホーンが鳴る。
静寂。
耳鳴りのような余韻。
美津子はゆっくりと立ち上がった。
◆
セーフティエリア。
装備を外しながら、深く息を吐く。
横では、紺のグループが談笑している。
「いい連携でしたね」
美津子が声をかける。
リーダーが振り向いた。
「こちらこそ。いい支援でした」
短い言葉。
だが、確かな評価。
◆
片付けをしながら、何気ない会話。
その流れで、リーダーがふと声を落とした。
「僕ら……入管なんです」
「えっ?」
思わず手が止まる。
「入国管理官チームです」
小さな声。
周囲に聞こえないように。
(やっぱり……)
違和感の正体が腑に落ちる。
「海外へ行く怪しい人って……いるんですか?」
何気ない風を装って尋ねる。
「いますよ。いろいろとね」
曖昧な笑み。
だが、その目は笑っていない。
「最近は……サバゲー経験者で、身寄りのない人がいましたね」
「え……」
「荷物からエアガンが出て、足がついたり」
軽く言う。
だが内容は重い。
「それ……わかりそうなものじゃないですか」
「本人は、本気でしたよ」
一拍。
「海外の戦争に参加するって」
空気が冷える。
「そんな人……いるんですね」
「銃を触ったことがある、というだけで“戦える”と思ってしまうんでしょうね」
淡々とした口調。
「即戦力には……なりやすいのでは?」
「……どうでしょうね」
わずかな間。
「何のために行くのかは……本人にしかわからない」
「お金……ですか?」
「そういう話もあります。命と引き換えに」
静かな声。
夜の空気に溶ける。
◆
装備を片付けながらの何気ない会話の中で、それは唐突に差し込まれた。
「最近、ゲーマーで……ちょっと変わった人を見ていませんか?」
入管チームのリーダーは、あくまで軽い調子でそう言った。
だが、その声の奥には、明らかに“仕事の匂い”が混じっていた。
「変わった人……?」
美津子は、弾をマガジンから抜く手を止めずに聞き返す。
「ええ。なんというか……ゲーマーっぽくないというか。もっとこう、慣れすぎているというか。プロっぽい人で、少し年配の」
その瞬間だった。
――澤登亮。
名前が、まるで水面に浮かぶ影のように、脳裏に現れた。
呼吸がわずかに乱れる。
(……まさか)
すぐに否定する。
あの男は確かに独特だ。
動きも、判断も、常人のそれではない。
だが――
(違う……はずよ)
あの廃墟での戦い。
あの連携。
あの言葉。
すべてが“遊び”の延長にあったはずだ。
だが。
ふとした違和感が、胸の奥に引っかかる。
――なぜ、あれほどの戦術を“知っている”のか。
――なぜ、あれほど“躊躇がない”のか。
沈黙が落ちた。
「……何か、気になることでも?」
リーダーの声が、わずかに踏み込む。
「いや……」
美津子は一度言葉を切った。
喉の奥で、何かが引っかかる。
「まー、少し……ちょっと独特なスナイパーの方とは、最近会いましたが……」
慎重に選んだ言葉。
だが、完全には隠しきれていない。
「その人は、今日は来ていないんですか?」
即座に返ってくる問い。
早い。
(食いつきが……)
「ええ。特に誘ってないので」
あえて視線を外しながら答える。
リーダーは小さく頷いた。
「そうですか……」
一瞬の間。
空気がわずかに張り詰める。
「もし次に会うようなら、私に連絡いただけますか?」
「……何か、その人に問題でも?」
思わず、踏み込んでしまう。
リーダーは、わずかに口元を緩めた。
「いえいえ。ただの噂ですよ」
軽い口調。
だが、視線は逸らさない。
「最近、“凄いスナイパーがいる”って話を聞きましてね」
ゆっくりと続ける。
「通称、“山猫”だそうです」
その名前が出た瞬間――
美津子の心臓が、ひときわ強く打った。
(やっぱり……)
偶然にしては、出来すぎている。
「どんな方なのか、一度会ってみたいなと思って」
柔らかな言葉。
だが、その奥にあるものは明らかだった。
“観察”ではない。
“確認”だ。
「……あー、警戒しないでください」
リーダーは軽く笑った。
「私の個人的な興味ですから」
その笑顔は、場に溶け込む程度には自然だった。
だが――
目だけが、違っていた。
光を逃さない獣のような、冷たい鋭さ。
美津子は無意識に、指先に力を込めていた。
(個人的……?)
そんなはずがない。
あの動き。
あの間合い。
あの言葉。
澤登亮という男の中には、確かに“何か”がある。
だがそれが何なのか――
今まで、考えようとしなかっただけだ。
ふいに、別の言葉が蘇る。
――身寄りのないサバゲーマーが、消えている。
――断った人がいない。
――どこかへ連れていかれている。
冷たいものが背筋を這い上がる。
(まさか……)
思考が、ひとつの可能性に触れかける。
だが、同時に拒絶する。
(違う……そんなはず……)
けれど。
もし。
仮に――
“戦える人間”を選別しているのだとしたら?
そして、その“選別”に関わる存在がいるのだとしたら?
その中に、“山猫”が含まれているとしたら。
「……わかりました」
気づけば、そう答えていた。
「もし会うことがあれば……連絡します」
リーダーは満足げに頷いた。
「ありがとうございます」
短い一言。
だが、その重さは軽くなかった。
◆
帰り支度を終え、フィールドを後にする頃には、夜は完全に深まっていた。
エンジンをかける。
ヘッドライトが闇を切り裂く。
だが、美津子の視界の奥には、別の“闇”が残っていた。
澤登亮。
山猫。
あの男は――
本当に、ただのサバゲーマーなのか。
それとも。
もっと別の、何かを背負った存在なのか。
◆
窓越しにリーダーが駆け寄る。
「これ、記念にどうぞ」
差し出されたのは、小さなケース。
「指紋朱肉……?」
「仕事柄、余ってるんですよ」
意味深な笑み。
受け取る。
わずかに重い。
(証明……識別……)
そんな言葉が頭をよぎる。
◆
「またどこかのゲームで」
「ええ」
別れの挨拶。
だが、その背中を見送りながら――
美津子は、確かな違和感を抱いていた。
夜戦の興奮とは別の、冷たい感覚。
闇の中で見えたもの。
そして、まだ見えていないもの。
それらが静かに、彼女の中で繋がり始めていた。
濃紺で統一したチームは入国管理チーム、彼らは純粋なゲーマーなのか?
山猫こと澤登亮の正体とは?
失踪したゲーマー、葛城裕太はどうなったのか?




