8 決別
「リゼットお嬢様。本当に……本当に大きくなられましたね」
「クレアったら。ここ数日で、もう何度聞いたか分からないくらいね」
目元に浮かんだ涙を拭いながらそう言うクレアに、私は笑みを返した。
ロザベール侯爵邸に滞在してしばらく経った頃、王宮から一通の手紙が届いた。
差出人はセドリック王子ではなく、ルドヴィカ嬢だった。
手紙には、自分たちの婚約を発表する宴に、ぜひ参加してほしいと綴られていた。
未来の夫の元婚約者に、わざわざそんな手紙を送ってくるのだから、ルドヴィカ嬢も決して何も知らない純粋無垢なお嬢様ではないらしい。
私はその手紙に、もちろん参加すると返事をした。
けれど、何の準備もないまま急遽王宮を飛び出し、侯爵邸へ帰ってきたせいで、社交界に着ていくドレスがない。
どうしたものかと焦っていた私のもとへ、先日、大慌てで商人が訪ねてきた。
彼は、無事にラディア公爵家へ戻ったクロードに命じられ、ドレスと装飾品を届けに来たという。
セドリック王子好みの愛らしさ全開の、どこか子供っぽいドレスではない。
上品なワインレッドを基調に、散りばめられたパールが上品な輝きを添える、豪華でありながら品のあるそのドレスを、私はひと目で気に入った。
下ろした前髪と、念入りに施された化粧のおかげで、額に残る醜い傷は出来る限り目立たなくなっている。
「ありがとう、クレア。あなたには感謝してもし足りないわ」
彼女の歳の数だけ刻まれた手を取り、力強く握りしめると、そっと口づけを落す。
「本当に……あなたに感謝している」
冷たい布団の中で一人寂しさに震えていた私を優しく抱きしめてくれた人。
親が子に当然のように与えるはずの愛情を、私は両親から満足にもらえなかった。その代わりに、クレアが惜しみなく優しさを注いでくれた。
私の乳母でありながら、実の母よりもずっと近い存在。
幼い頃の私が寂しさに押し潰されずにいられたのは、彼女がそばにいてくれたからだ。
今晩の宴会が終われば、私は約束どおりラディア公爵家へ行くことになる。
そうなれば、またクレアと離れ離れになる。
これまで以上に、彼女と再会する機会はなくなってしまうだろう。
「大好きよ、クレア」
「……私の可愛いリゼットお嬢様。私もお嬢様のことが大好きですよ」
クレアはそう言うと、優しく私を抱きしめてくれた。
何も知らず、すべてに怯えていた私が王宮へ向かった、あの日と同じように。
何かが欠けたまま大人になった私にとって、彼女はかけがえのない存在だった。
慰めるかのように何度も優しく背中をさすられると、今にも涙が溢れ出しそう。その温もりに身を委ねながら、私は静かに目を閉じた。
あの日と違うことは、恐怖や不安と共に確かに存在していた期待や羨望が、すっかりと抜け落ちてしまっているということだった。
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「公爵殿と共に、セレディア帝国へ行けばよかったものを……」
「恥をかくだけだというのに、なぜわざわざ出向いていくのか、わたくしには理解できないわ」
クレアに見送られ、馬の最終確認を済ませに行った御者を待っていると、どこからともなく現れた両親が不服そうに口を挟んできた。
私がロザベール侯爵邸に滞在している間、二人は常に居心地が悪そうにしていた。
侯爵邸に戻ってからというもの、奇妙なほど徹底して丁重にもてなされていたが、それは家族としてではなく、あくまで客人としての扱いだった。
私よりいくつか年下の弟と妹にも、一度として顔を合わせていない。二人が私と接触させないよう徹底しているからだと、クレアから聞いていた。
傷物となり、王子から婚約破棄を言い渡された娘。
運よく公爵に見初められ、まだ利用価値のある娘。
彼らにとって、私はその程度の存在でしかない。目の上のたんこぶである私を一刻も早く視界から消し去りたくてたまらないのだろう。
「これは私が決めたことですから。それに、公爵様も私の意志に賛成してくださいました」
「夫の言葉に従わない妻など、あってはならないことだと散々言い聞かせたはずなのに……。まったく、みっともない。そんな子に育てたつもりはないのだけれど?」
母はそう言うと、煙たいものでも見るかのように私を鋭く見据え、顔を背けた。
やはり、この家に私の居場所はどこにもないらしい。
かつては、頭を反らせて見上げなければならなかった二人も、今ではほとんど身長差がなくなっていた。
彼らと視線が合うことを求め続けたあの頃の私が、今のこの状況を見たら、何を思うだろう。
「お父様、お母様。私をこの世に産んでくださったことには、とても感謝しています。ですが、お二人は何か大きな勘違いをなさっているようですから、ここではっきりと申し上げておきます」
貴族の娘に生まれた以上、親のために生き、親のために死ぬ。それが当たり前なのだと、私は教えられてきた。
だからこそ、これから私がしようとしていることは、貴族令嬢として正しくないのかもしれない。
「私は確かに、お二人の子供です。けれど、お二人に育てられた覚えは一切ありません」
それでも、今日この選択をしたことを、いつか後悔する日が来るとは思えなかった。
「まだたった六歳の自分の子を、王室に売り渡すような真似は、私には絶対にできません。もしも私に子供ができれば、何があっても自分の子を一番に考え、その気持ちを尊重し、大切に守り抜くでしょう」
二人は自分の駒として見ていた従順な子供が始めて歯向かう姿に、不愉快そうに顔をしかめた。
それでも私は構わずに、傲慢に顎を突き上げて告げた。
「あなたたちとは違って」
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両親が私に向けた、あの拒絶的な眼差しを思い返すだけで息が詰まりそうになる。
それでも二人は、それ以上私に文句を言うこともなく、ただ黙ってその場を去っていった。
いっそのこと、生意気だと叱ってくれれば、まだ何か思うところもあったのかもしれない。
彼らはどこまでも、私に向ける親としての愛情など持ち合わせていないようだった。
そんな皮肉めいた考えを振り払うように、私は馬車の座席から立ち上がり、王室の大広間へと向かった。
会場の入り口にたどり着くと、大扉の両脇に立っていた二人の衛兵が、私の姿を認めて驚いたように目を見開いた。
今夜、この場ではセドリックとルドヴィカの婚約を祝う宴が催されている。
つまり、今この場に最もそぐわない人間こそ、私だった。
元婚約者が、現婚約者のもとへわざわざ足を運ぶのだ。衛兵たちが警戒するのも無理はない。
婚約を解消された腹いせに、会場をめちゃくちゃにしに来たとでも思われているのだろうか。
「何をしているの? 私は正式に招かれた客人よ。分かったら、すぐに自分たちの仕事を全うしなさい」
私は懐から取り出した、王家の金印が押された招待状を二人に見せつけながら言い放つ。
すると、彼らは慌てて背筋を伸ばし、声を張り上げた。
「リゼット・ロザベール侯爵令嬢、ご入来!」
二人の衛兵がかりで大扉がゆっくりと開かれる。
私は誰かにエスコートされることもなく、一人で会場へ足を踏み入れた。




