第十六話
「何から、話そうか」
そう言って暫く考え込んだ後、怜は、ポツリポツリと話し始めた。
薄暗かった。なのに、暑かった。それは、中学一年生の時。夏の、夜明け前の、ことだった。
気がついたら、私は、見知らぬ、建物の中に、立っていたんだ。
初めは、夢だと、思った。私は、その前の晩、確かに、ベッドの、上で、寝たはずだった。
その時、不意に、得体の、知れない、恐怖を、覚えた。なにか、よからぬ事が、私に、起きている、気がした。
だから、すぐに、夢から、覚めようとした。朝日が、昇って、沈んで、また昇るまで、考えつく、全てを、試した。
不思議と、空腹も、眠気も、感じなかったため、時間は、心配の、一つには、ならなかった。
けれど、何をしても、世界は、変わらなかった。
私は、いよいよ、受け入れざるを、得なくなった。私が、夢だと、思っていた、世界は、どうしようもなく、現実であると、いうことを。
ありとあらゆる、不安が、その時、一気に、襲いかかってきた。二度と、家族にも、友達にも、会えない、かもしれない。そう思うと、涙が、止まらなかった。
泣いて、泣いて、泣き続けた。
だけど、私は、強かった。
何とかして、また、元に、戻ろうと、奮起した。
そこで、一体、何故私は、こんな場所に、立っているのか、改めて、思考を試みた。頭が、作動する、直前に、何かしらの、病に、侵されているのだと、直感した。
知らない間に、見知らぬ場所に、立たされる、病など、空想だと、思うか?
だがな、私には、そういう、確信が、持てたんだ。理由なんか、ないが、兎に角、私は、病気を、患っていると、思った。
だから、それが、何の、病気かを、調べようと、一度、その場所から、外に出た。その時には、もう、空が、二度目の、青みを、帯びていた。
振り返って、その建物を見ると、青空に、似合わない程、寂れた、ビルだった。もう、誰も、使っては、いないのだろう。それほど、ボロボロだった。
この建物こそが、私と、お前が、出会った、場所だ。
あたりを、見ると、一切、記憶にない、風景だった。建ち並ぶ、家々も、遠くに見える、学校も、勿論、背後の、廃ビルも。だから、一先ず、人の多そうな、場所を、目指して、道を、歩いた。
ふと、前をみると、一人の、男性が、歩いてきた。
黒いスーツに、身を包み、鞄を、手に提げた、若い、男性だった。
顔立ちが、判別できる程度、大体、3、4mくらいの距離まで、近づいた時、突然、頭の中で、声が、響いた。
その、内容は、ひたすらに、仕事が嫌だ、というものだった。しかし、内容は、大した意味を、持たない。重要なのは、他人の、考えが、分かったと、いうことだ。言い方を、変えるなら、私は、人の心が、読めるように、なった。
これも、病と、同じ、根拠なき直感だ。だが、現に、私は、心が、読める。
この時の、私は、やけに、感覚が、優れていたんだ。いや、優れていたとは、言わないな、第六感と、言った方が、いい。
初めは、なんとも、思っていなかった。いや、むしろ、人の考えが、読めることは、何らかの、役に立つだろう、幸運だとすら、思った。しかしな、人と、すれ違うたび、強制的に、思考が、流れ込むと、いうのは、なんとも、精神的に、辛いものだった。例えるなら、ずうっと、頭痛が、するような、ものだ。
そのために、私は、その、形のない、喧騒に、慣れるまでは、人混みを、避けなければ、ならなかった。少人数なら、まだ耐えられたが、それでも、眉に、皺がよった。
しばらく、人気のない、道を、歩いていると、幸運にも、地図が、あった。さらに、それは、近くに、図書館があると、言っていた。
図書館であれば、運が、良ければ、ネットが、なくとも、何らかの本は、置いてあるだろう。そう考え、すぐに、そこに、向かった。
人を、なるべく、避けながら、歩いていたため、想定より、時間をくったが、私は、図書館に、辿り着いた。思っていたよりは、大きな、書籍館だった。
昼間だからだろう、その、涼しい、空間には、ありがたいことに、僅かな人しか、居なかった。
所謂、インターネットの類は、そこには、なかったため、私は、医学書を、適当に選び、目的の、情報が、載っていないか、一日中、探した。しかし、いくら探せど、一切、見つからない。そりゃそうだ、夢にも、思わないような、症状というか、副産物というか、兎に角、これほどの、奇病が、普通の、本に、あるわけが
それから、私は、毎日のように、そこに通った。無論、ずっと、医療の、本ばかり、読んでいた、訳ではない。飽きたら、別の本も、読んだ。この時の、私は、心の、どこかで、楽観していたのだ。別に、私が、頑張らなくとも、いつの日か、きっと、戻るだろうと。まあ、それは、どうしようもなく、間違いだったのだがな。
目に染みる程の、暑さと、けたたましい、蝉の声が、勢いを、落とし始めた。いつの間にか、八月の、終わりの方に、なっていた。
濁流のような、人の、声も、少しずつではあるが、慣れてきた頃。私は、何の気なしに、一枚の、新聞を、手に取った。
その頃には、もう、医学書を、読むことに、飽きていて、ただ、惰性で、図書館に、訪れていた。
しょうがないだろう?私は、元来、飽き性なんだ。残念ながら、こんな、奇妙な、状況ですら、それを、変えられなかった。楽観も、相まって、知らない場所で、眠気も、食欲も、なしに、自由に、暮らせるだけだと、感じてすら、いたのだ。
その時、一枚の、地方紙が、目に留まった。名前すら、聞いたことのない、新聞だった。ペラペラと、何の気なしに、眺めていると、一つ、興味を引く、記事が載っていた。とある、病の、治療薬と、なり得るものが、日本の、とあるグループの、手によって、出来たのだそうだ。
その、病の名は、聞き覚えが、まるでなかった。もしやと思い、図書館中の、本から、その病を、探した。
果たして、予想は、当たりだった。いや、そう決めつけるには、情報が、少し足りなかったな。私の、直感が、そう告げたと、言った、方が、正しい。
異国語で、書かれた、書籍が、いうには、その、私を蝕んでいる、病気は、神経に、作用して、長い眠りに、誘うのだそうだ。
もし、概要が、それだけなら、私は、全くの、無関係だと、考えただろう。だが、その患者と、そっくりな人物の、全然異なる場所での、目撃情報が、寄せられることが、あるという話が、与太話として、載っていた。その人物は、時に、助けを求めるのだそうだ。俺は、気付いたら、ここにいた、どうすれば、いい、といった、具合でな。その、人物の、体の特徴や、記憶は、その多くが、患者のそれと、類似するらしい。
私は、確信した。つまり、今の私が、この、そっくりな人物と、いうことだろうと。
そして、同時に、歓喜した。この薬が、できるということは、まもなく、元に、戻れるということだ。
日本で、作られた、薬なら、恐らくは、日本の、患者に、投与されるはず。そして、こんな、奇怪な、病気など、同じ国に、二人といないだろう。だから、私に、使われる。そう思った。
その日から、廃ビルでの、生活も、辛くなくなった。勿論、気持ち以外の、全ては、一切変わらず、質素という、言葉でも、足りない程だったが、それでも、純粋に、物事に、楽しさを、感じることが、できるようになった。
その時の私は、眠気を、感じないから現実逃避以外の、理由がない時は、寝ることが、あまり好きではなかった。だから、よく、星空を、見ていた。
その場所で見る、星空は、今まで見た、どんな星空より、綺麗だった。遥かに、多くの星々が、瞬いていたのを、覚えている。
もうすぐ、その景色も、見られなくなると、思うと、ほんの少し、寂しく、思った。
数日が過ぎた。八月の、最終日に、なった。
地方紙によれば、その日、いよいよ、薬が、使われるそうだった。薬の、効き目が、どれほどで、出るのかは、未知数だったが、なんにせよ、元の、生活は、すぐそこまで、迫っているかのように、思われた。
その晩は、すぐに、眠りについた。明日が、来るのが、待ち遠しかったからだ。
次に、目覚めたのは、多分、眠りについて、三時間と、経っていない、頃だっただろう。
周りを、見渡すと、その場所は、変わらず、廃ビルだった。
それだけなら、まだ良かった。薬の、効き目が、まだ、出ていない、だけかもしれないからな。
だが、私は、残酷な、事実に、気付いてしまった。
星空を見た。そして、違和感を覚えた。
明らかに、昨夜の、星空の、連続では、なかった。丁度、私が、廃ビルで、目覚めた時の、星空と、酷似していた。
タイムリープなど、あり得ないと、思うか?創作だと、感じるか?
しかしな、そうでなくては、私の身に、起きた事を、私は、説明できない。
そもそも、あり得ないような、病気を、患っている、時点で、どんな、SFじみた、話でも、否定を、しきれないしな。
話が、逸れたな。
もしかしたら、タイムリープをしているのかも、知れない。そんな、夢物語が、事実だという、可能性を、わずかに抱いた時、私は、廃ビルを、飛び出して、走っていた。
どこに行くでも、何をするでもなく、一切の、理由もなく、ひたすらに、走った。
朝が来るまで、走って、走って、走り続けて、ついに見覚えのない、人影のない、通りに、辿り着いた。
そして、泣き喚いた。
人目も、憚らず、泣き腫らした。
その時、私を、心配して、話しかけて、くれたのが、慎也、お前なんだ。
学校の、朝礼前、遅刻しそうにも、関わらず、態々、心配の、声を、かけ、ハンカチを、渡してくれた。
お前に、その、記憶が、ないことは、分かっている。なんせ、何十回も、前の、夏の始まりの、ことだし、そもそも、時が、巻き戻れば、私以外の、記憶は、無くなる筈だからな。
私はな、慎也、その時から、お前に、惚れているんだ。もし、仮に、お前と、一緒に、居られるのなら、二度と、元に、戻れなくとも、構わないと、思う程度に。
なんとも、酷な、状況下で、一つ、願望が、できた。或いは、心の、拠り所と、いってもいい。私は、その時、慎也と、ずっと、一緒に、居たいという、なんとも、身勝手な、願いだ。
だから、私は、私の、力を、最大限、使う事にした。
幸いな事に、お前の、通う、高校は、私の、普段、使っている、廃ビルの、近くだと、分かったから、そこで、秘密売り場なんて、いかにも、怪しい、店を、構えた。多くの学徒、あわよくば、お前が、来てくれないかと、思って。
それも、これも、全部、私の、利己心に、塗れた、欲望のため。
しばらく経って、私は、別の力に、気がついた。どうやら、私には、狭い範囲であれば、常識を、変える、力が、あるらしい。いや、むしろ、この力の、副産物が、読心であって、あくまで、主体は、常識改変なのかも、しれない。
なんにせよ、これも、利用する事で、私の元には、お前の、高校の、生徒が、多く、訪れた。
そして、夏が、本格的に、始まらんと、する頃、お前が、やってきた。
奇跡が、起きたと、思った。
皮肉だな。私の、身体は、恨んでも、恨みきれない、残酷な、病気で、蝕まれているというのに、その、おかげで、お前と、出会えたんだ。
ただ、一度目の、会合は、端的に、言えば、失敗に、終わった。緊張の、あまり、話すことすら、ままならなかったんだ。
この時ばかりは、私を、夏に、縛り付ける、時間の逆行に、感謝した。
私にとっては、二度目でも、お前からしたら、初対面に、なるわけだからな。
やがて、三度目の、夏が、訪れた。
今度こそは、上手くやると、奮起した。
同じように、秘密売り場を、構えて、同じように、多くを、集めて、お前に、漕ぎ着いた。
今度は、まだマシだったが、今度は、大いに、焦ってしまってな、つまり、失敗した。
四度目、五度目と、夏を、繰り返し、いつしか、数えるのすら、億劫に、なった頃、私は、ようやく、一歩、前進した。
感触の、良い、受け答えを、見つけたのだ。それが、お前の、記憶にある、初対面の時の、会話だがな。
詳しく、話せば、あまりに、長くなるから、割愛するが、兎に角、こんな具合に、一歩、また一歩と、前進し続けた。
お前が、いつ、どんな事を、するのか、何を、考えるのか、あらかた、分かっている。
でも、水族館からの、帰りで、突然、抱きしめられたのは、予想外だった。そして、大きな、前進を、感じたんだ。
そして、現に今、何度目の、夏かは、わからないが、ここまで、きた。
お前が、思いを、伝えてくれて、私は、感無量ですら、足りない程、嬉しいんだよ。
そしてな、分かるんだ。多分、願望が、私を、この夏に、縛り付けて、いる。だから、願いが、満たされた今、この、利己的な思念体は、薬の力で、消えてしまうんだと。
私が、消えてしまえば、恐らく、この夏の、記憶は、一切思い出せなくなる。つまり、今生の、別れだ、慎也。




