第十五話
この日、怜と、今年二度目の夏祭りに行った。
そして、怜は、花火のように消えてしまった。
思えば、ここ数日の怜の様子は、少しおかしかった気もする。
例えば言葉数が減ったり、例えば笑う回数が減ったり、例えば何もせずに壁を見つめていたり。
普段の俺だったら、もしかしたらそのことに気づけたかもしれない。まあ、気づいたところで、俺にはどうすることもできなかったんだが。
とにかく、俺はこの時、俺じゃなかった。
つまり、俺は、怜を好きになってしまっていた。
15,6年生きてきて、初めて誰かを好きになったんだ、その時の俺は、自分のことしか気にしていられなかった。
それに、もし仮に怜の様子に気がついても、俺の本心を読んだんだろうな、程度にしか考えなかっただろう。
そもそも、怜にバレたら恥ずかしいから、あまり考えないようにしていた上、実際には、この時の怜は、人の心が殆ど読めなくなっていたわけだが。
そんなことはどうでもいいんだ。
兎に角、この日、俺は、再び誰かを失った。
今日は8月31日。夏休み最終日だ。
朝、ふとテーブルの上を見ると、夏祭りの案内のプリントが置いてあった。この前の祭りとは違い、少し遠い場所にある、広い広場で行われる祭りのプリントだ。
かなり有名な祭りで、花火も盛大に咲く。かなり人が集まる祭り。
「慎也、その、祭り、今夜、やるそうだぞ、夏休み、最後の日だが、行くよな?」
ソファでくつろいでいる怜が、さも当然のように聞いてきた。クエスチョンマークが何の意味もなしてない。
「行かないっつったら、どうせまた泣くだろ」
ニヤッと笑って俺を見つめる。当たり前だとでも言いたげな顔だ。
まあ、この前約束したからな。口約束だが。それに寝る直前だったが。
「んで……午後五時からか。じゃあ、暫く暇になんのか」
さて、何をしよう。
怜は最近ゲームをほぼしないから、他のことをした方がいいな。だが、かと言って外に出るのも億劫だ。ただでさえ暑い上、随分前の筋肉痛が微かに残っている。
うーん……二度寝でもするか。
バシンッ!
人から鳴ってはいけない音が、顔から放たれた。鼻のあたりがジンジンと熱を持つ。
「ってぇ!!」
何事かと思い目を開けると、怜が顔を覗き込んでいた。その白く細い腕を振り上げた状態で。
ものすごいデジャブを感じる。前も同じことをされた気がするぞ。
「お、慎也、起きたか」
起きたか、じゃないんだわ。起こすんなら、もう少し優しくしてくれ。てか、もし目覚めなかったらもう一発叩くつもりだったな?
「ほら、そろそろ、祭りが、始まる、時間だぞ、起きろ」
ぼやけた視界で外を見る。まだ太陽は出ているが、時計は、午後4:52を指していた。そんなに寝てたのか。
怜の方はもうすっかり準備万端な様子。浴衣を着て、髪型まで整えている。
「…………そうだな」
何故こいつは悪びれる様子が一切ないんだ。まあ、別にいいけどさ。
改めて、浴衣に身を包んだ怜を見る。こいつは何着ても似合うなと、改めて感じた。そこまで思考を進めた時、ある違和感を覚える。
何かが俺の記憶と違う気がする。何が変なんだ?怜本人ではない、と思う。徐々に変化していたらお手上げだが、きっと伶ではない。
となると服装がおかしいのか。浴衣…………
「……あっ」
「おっ、気付いたか?」
浴衣を見せつけるように、目の前で一回転する。
怜の着ている浴衣の模様が、変わっている。
この前着ていた浴衣は、青を基調として金魚が描かれていた。これは、同じく青をベースとしているが、金魚ではなく花火が描かれている。
「お前、また新しく買ったのか?」
「ああ、そうだ、どうだ、これも、なかなか、似合って、いるだろう?」
ほんと、どうして買う余裕があるんだ。
「ほら、慎也、早く、いくぞ」
斜陽に照らされた道を歩いて数十分、祭りが行われる広場に辿り着く。この前の祭りとは違い、かなり人で混雑している。
ただ、それとは反対に、屋台の数は少ない。そこそこの広さの広場なのに、両手で数えられるほどだ。
「あまり、屋台は、ないのだな」
「あくまで花火がメインの祭りなんだろ。それでも色々、ほら、焼きそばとか売ってるぞ」
そこにある屋台の殆どは、食べ物を売るものだった。粉物が多いが、甘いものもある。それと、一つだけだが射的もある。
「花火は、何時から、打ち上がるのだ?」
「えーっと、この紙には19時頃って書いてあるな」
「なら、早く、並んだほうが、いいな」
タッタッタッと、楽しそうにかき氷を販売する屋台の列に並ぶ。甘いのから食うのかこいつ。
まあ、どの屋台も既に大勢が並んでるから、そんなには買えないだろうから、好きなやつから買うのは普通か。
これだけ混雑してりゃ、前みたいに怜が大量に食料を買って、腹十二分目まで食う羽目にはならないはずだ。そもそも、家に持ち帰ればいいと知ったからな。
「結局、そんなに、買えなかったな」
右手に射的でとったぬいぐるみを抱え、左手のわたあめを食べながら、俺の真横を歩く。もうすぐ花火が打ち上がる時間。
「いや、十分食っただろ」
屋台は思いのほか回転率がよく、長蛇の列でも案外早く順番が来た。平均と比べたら、結構買った方だと思う。少なくとも、普通に俺は満腹だ。
このまま歩き続ければ、花火が上がる川に辿り着く。大抵の人は、その川岸まで向かい、そこにレジャーシートを敷いたりそのまま地べたに座ったりして、各々花火を楽しむ。
しかし、その他にも、花火を楽しめる場所がいくつかある。所謂穴場というやつだ。少し花火からの距離は離れてしまうが、代わりに人が少なく、人目を気にしなくて良い。
「慎也、当然、こっちに、行くだろう?」
怜が指す方向は、丁度今から行こうと思っていた場所だった。まあ、俺が知ってるのだから、こいつも当然知ってるよな。
「ほら、早く、行くぞ」
少し小高い場所に辿り着く。時計は19時15分前をさしている。ここからでも、大勢の人が集まっている川岸が見えた。
「人が、一人も、いないな」
ふと、遠い昔の記憶を思い出す。まだ両親がこの世界で生きていた時の記憶だ。その時、この場所を教えてもらった。記憶の中のこの場所は、他にもチラホラと集団があったが、今年はあまり祭りに参加する人がいないのか、それとも他の穴場が人気になったのか、どちらにせよ俺たち以外に人影は見えない。
「ラッキーだな」
パラパラと、一定間隔を保って設置されたベンチが目に入る。これも記憶にある通りだ。心なしか朽ちているように見えるが、まだまだ現役そうだ。
「私は、お手洗いに、行ってくるな」
ぬいぐるみを俺に預け、花火柄の浴衣を翻し、楽しそうな足取りで歩いていく。いつの間にかわたあめは消えていた。
……さて、座って、落ち着いて、思考を整理しよう。
改めて、俺は怜のことが好き、これは恐らくもう疑いようのない事実なんだろう。
なるべく考えないようにしているが、どうしたって意識するし、考えてしまう。
初めての感情だ。初対面ではあんなやつに恋するなんて思わなかったのにな。
それでだ。
この気持ちを、言葉で伝えるべきか?
あいつは心が読める、だから、まあ、もう気づいているだろう。いくら考えないようにしてるとはいえ。
つまりだ、態々言う必要はないわけだ。
まあ、そんなこと、俺にはできなさそうだな。
必要性とか妥当性とか合理性とか、そんなことを考えながら生きられる程、俺はちゃんとした人間じゃない。
迷惑かもしれない、きっと自分勝手な行為なのだろう。
それでも、俺は、言葉で言いたい。
そこまで考えた時、ふと意識が現実世界に戻される。どれくらいの間ウダウダと一人会議をしていたんだ。時間を確認すると、花火が上がるまで五分をきっている。怜はまだだろうか。
そう思った時、背後に何者かを感じた。そして、視界が遮られた。
「だーれだ?」
思っていたより、少し低い声が後ろで放たれた。口調も少し変えられてる気がする。
ただ、その声は、その程度では隠しきれないほど、聞き覚えのある声だった。
「……怜だろ?」
視界がひらける。その少女は、ベンチに沿ってまわり込み、俺の目の前に立って、やれやれとジェスチャーをする。
「お前は、反応が、つまらんな」
そのまま流れるように俺の横に座る。よほど花火が楽しみなのだろう、かなり笑顔だ。
その時、少し離れた場所から、花火の打ち上げを知らせる放送が聞こえた。もうすぐ打ち上がるのだろう。
ふと、心臓が、喉から飛び出るのではないかと思う程、激しく動いていることに気づく。少なからず緊張しているのだ。
突然、俺の真横の小さな少女と、遠くの川岸の群衆から、歓声が上がった。ヒューという音も聞こえる。遂に花火大会が始まった。
思考を止めて川の方を見ると、視界のちょうど中央あたりを火の玉が縦に飛んでいるところだった。古い記憶のそれと似通った、人魂のような形をした光の玉だ。
懐かしさに浸る間もなく、その火の玉は夜空に消え、数瞬の後、巨大な花を咲かせた。一瞬遅れて、けたたましい爆発音が世界を揺らす。
それを皮切りに、夜空に無数の火の玉が、咲いては散り、咲いては散り、夏の夜空を綺麗に彩る。
その綺麗さに、思わず、声が漏れる。
隣にいる怜も、最初こそ歓声を上げていたものの、今は静かにその景色を楽しんでいるようだ。
今話しかけるのは流石に自己中だな。俺も純粋に楽しもう。
随分と長い間火の花に見惚れていた気がする。ちらりと時間を確認すると、花火大会終了予定時刻まであと五分程度。
横を見る。怜は、相変わらず花火を楽しんでいる様子だった。
覚悟を決めて、立ち上がる。
心の臓が、かつてないほどの速度で鼓動する。
「どうした、慎也、もしや、愛の、告白か?」
隣の少女が、ニヒヒと笑いながら煽ってくる。
「ああ、そうだ」
怜が、ポカンとした顔を浮かべている。まったく、予想だにしていなかったらしい。
深呼吸を、一つする。相も変わらず心臓の音はうるさいが、幾分かマシになる。
「一番最初に会った時、お前に『恋しろ』って言われて、最初はありえないと思ったんだ」
怜は何も言わない。ただ、座ったまま、俺を見上げている。少し遠いところで咲く花火は、少し勢いが落ち着いてきているが、まだ何発もが立ち上がり続けている。
「ただ、ずっと一緒にいて、色々知っていくうちに、段々と怜のことが好きになってきて」
頭の中で整理していたはずの言葉の羅列が、花火と心臓の音でボロボロと崩れていく。
「だから」
心の信じるまま、言葉を並べる。
「これからも!」
頭を、提げる。
「俺と一緒に居てください!」
「慎也」
怜に呼ばれ、顔を上げる。
そこには、笑顔と悲しげな顔を混ぜたような表情で泣いている、伶がいた。
「私の、秘密を、教えて、やろう」
遙か遠くで、ひときわ大きな花火が上がり、歓声で満ち、それ以降、静寂が壊されることはなかった。
夏の終わりを、静かに感じた。




