第62話 愛、成れば
「…な、なんで……?」
いるはずのない存在――ヒオリを目にしたアルカは全身に力が入らなくなる。膝から崩れ、地に手をつきそうになるが、ヒオリが優しく抱き留めてくれた。
「あのとき…死んでたはずなのに」
幻覚ではないとすぐにわかる。伝わる体温と息遣いは確かだった。
ふと、気づく。ヒオリに移植されていたヘリクの肉片が、彼女とほぼ完全に同化していることに。ヒオリを連れ出したとき、ヘリクの肉片の活動は停止していたはずだった。
『ヒオリさんはあのとき、仮死状態だったんです』
「仮死…?」
影と化したヘリクが、アルカの様子を察して答えてくれる。
『あのとき、咬合結界の中で私たちはアルカさんに殺され、ヒオリさんを延命できない状態になりかけました。ですが、私だけは《《半殺し》》の抹殺対象から外れ、邪悪なほうが死にました。私の意識はアルカさんを乗っ取る際に同化した肉体に残り、アルカさんと共生していたんです。だから、裏から延命措置を続けられた』
『ですが、アルカさんに半殺しにされた影響は確かにあって――延命させる力は弱まり、ヒオリさんは仮死状態にまで追い込まれた。ですが、アルカさんがヒオリさんを連れ出したとき、傷口に肉片をあてがった。それを使ってなんとか蘇生できたんです』
アルカが肉片を傷口にあてがったのは、ヒオリを連れてヒナのもとへ向かう道中のこと。アルカはヘリクから吸収した創生を使ってヒオリの蘇生を試みたが、失敗した。吸収した創生・顕現はオリジナルよりも劣化するからだ。
『半殺しにされた私には新しく肉片を作り出す余力はありませんでした。ですが、アルカさんが新しい肉片を供給してくれたから、ヒオリさんは生きられた。最後まで諦めなかったからこそ、功を奏した』
ヘリクはアルカのほうを見て、微笑む。
『それに――シアハさんと約束しましたから。二人は死んでも守るって…。ギリギリでしたけどね……』
今は亡きシアハを想うように、ヘリクが力無く笑う。
「死の間際、ヘリクの声が聞こえたんだ。アルカを正気に戻せるのは私しかいないと」
言いながら、ヒオリは周りを見る。要塞は崩れ、大破している。一人の少年が一人の少女を想った結果だった。
「アルカ、私はここにいる。だからもう、戦わなくていいんだ…」
ぎゅっと、ヒオリから手を握られる。その温かさにまるで心が溶けるようだった。
しかし、浮つく心に水を差すように、アルカは内念世界で咬合結界と対面する。咬合結界は狼狽し、ほとんど叫ぶようにして話しかけて来る。
『使命を果たせ! 君は何のために生まれたんだ!』
――なんの、ために?
アルカは思い出す。そもそもなぜ、遺装である自分が使命を忘れていたのかを。
『使命なんか気にするな』『あなたはあなたらしく生きるの』
二人の男女の声が聞こえた。それは生まれる前から聞いたことのある言葉だった。
――俺の幸せって?
アルカはプジットの指示に従い、五百年の眠りから目覚め、王国に到着した。しかし、道中で大怪我を負い、使命を果たせない状態にあった。そのとき、シュドーに拾われた。人の温もりを知った。シュドーの強さと優しさに守られ、いつしかその背を追いかけるようになった。自分もシュドーのように誰かを守れる人間になりたい、と。だから、騎士団に入った。沢山の人を守れるように。
そして、誰よりも守りたいと思える存在と出会った。その人との日々を――
『ふざけるな! そんなことで僕たちの悲願を潰すのか!?』
咬合結界が両手をわなわなと震わせる。焦りに声が裏返っている。
しかし、その声はアルカの耳にほとんど届いていない。アルカは内念世界よりも、現実で今も生きるヒオリしか目に入っていない。
『待て! 待ってくれ! それじゃあ皆が報われない! 嫌だそんなの! 僕たちはどうなる!? 報われないまま死ぬのか!?』
咬合結界は挙措を失う。アルカとを繋ぐ内念世界の接続はどんどん薄れてゆく。
そのとき、内念世界の中で咬合結界は背後から肩を掴まれた。それは白い人影だった。同じ咬合結界だが、意見の違う存在。
『それは、アルカに背負わせるべきではありません。わかっているはずです。アルカにはアルカの人生がある。それを絶たれる痛みは誰よりも私たちが知っているはずです』
『いやだいやだいやだいやだ! 復讐…を………――!』
咬合結界の声が何かに遮られるように徐々に小さくなる。やがて、声は完全に聞こえなくなる。
『アルカさん、私を殺して下さい』
現実に意識を戻していたアルカは、ヘリクに話しかけられる。
『もうすぐ、私は消えます。そうなれば、ヒオリさんを延命できなくなる。その前に、アルカさんの能力で私の顕現を吸収するんです』
「でも…俺が吸収すれば、顕現は劣化してしまう。また…ヒオリが死ぬ」
『なら、私を呑み込んで下さい』
その提案を理解できず、アルカは疑問符を浮かべる。
『いいですか? ヒオリさんを延命できたのは、私がアルカさんと共生し、裏で延命措置を続けられたからです。それならまた、共生する形に戻ればいい』
そのとき、アルカが切り刻んで転がったままのヘリクの肉体が一箇所に集う。それは塊状の骨へと変化し、ころころとアルカの足元に転がってくる。
『これに……私の意識が宿る。私はアルカさんの血肉となり、ヒオリさんを生かし続ける』
「…いいのか? これじゃ、ほとんど死んでるようなものじゃないか」
アルカの血肉となれば、意識をほとんど喪失し、ヒオリを延命するだけの機械になる。それを進んで受けるヘリクに、アルカは眉を曇らせる。
『構いません。最初は罰のつもりでそうしようと思っていました。でも、今は違います。あなたたちの幸せが私の幸せなんです。あなたたちを、守らせて下さい。』
曇りのない言葉だった。
「ありがとう…お前のこと、忘れないよ」
アルカは託された骨を呑み込む。瞬間、骨が体全体に行き渡り、一体になる感覚が迸る。体は熱を帯び、順応するように血が巡る。やがて熱が収まり、順応が完了すると同時、ヘリクの影が希薄になる。
『お幸せに』
そう言って、ヘリクが霧散する。遺灰のような粒子が舞う。それは風に吹かれ、去っていく。アルカたちは静かに見送るのだった。
「ヒオリ…」
「ああ、何ともない」
アルカは確かめるように、ヒオリの頬に触れる。ヒオリの容態に変化はない。アルカはほっと胸に手を当てた。
そして、その光景に同じく、安堵するように息を漏らす者がいた。
「リズリア様」
ヒオリは、遠くのリズリアへ声をかけ、近づく。
「――ごめんなさい、ごめんなさい…!」
リズリアは嬉しいような、怯えるような、複雑な表情で泣いていた。
「いいえ、よく――頑張りましたね」
ヒオリは、俯いて泣き咽ぶリズリアを抱きしめ、頭を優しく撫でる。それは、王と騎士という縦の立場ではなく、親友同士として。
「アルカ、犠牲になることは私が願い出たことなんだ」
ヒオリはリズリアを抱きしめながら、視線を移さずにアルカに言った。
「だから、リズリア様を恨まないでほしい」
「…」
「いいえ…許す必要はありません。私はそれだけのことをしてしまった」
リズリアはヒオリの胸から離れ、力強く涙を拭う。
アルカも同意見だった。許せと言われて許すほど、この怒りは安いものでなかった。しかし、ふと周りの様子が目に入る。
崩れる要塞に、倒してきた兵士たち。アルカは自らが引き起こした惨事を省みた。
「なんで、こんなことを…」
冷静になり、言葉通りの疑問が今更になって浮かぶ。
「罰を、受けるよ。俺もそれだけのことをした」
自首するようにリズリアへ近づく。ヒオリによって復讐の心から解放されたアルカは、自分の罪を認めるときがやってきた。
「別にいいでしょ。あれだけのことをされたら、誰だってそうするって」
そのとき、知らない声が響く。その女性はなぜか酒の匂いを漂わせていた。リズリアの様子を見るに、彼女の部下だとわかった。
「チル」
「兵士たち全員診たよ。傷を負った人はたくさんいたけど、死者はなんとゼロ」
チルと呼ばれた女性は、両手を使って頭上に大きなゼロを作る。
「最後の最後まで、誰か止めてくれるって思ってたんでしょ? 優しいなぁ、ちみは」
「いや…俺は」
「いや、じゃないでしょ。君はどうしたいの? 義務感でお縄についたってここまでやらかした君だよ? どうせすぐ暴走しちゃうでしょ。――だから、好きにしなよ。周りが見えなくなるくらい大切なものが、まだあるんでしょ」
その言葉にはっと、ヒオリを見つめた。そして、思わずその手を握る。瞬間、握った手を、ヒオリから握り返される。強く、痛いほどに。まるで放さないぞと意思表示されるように。
「――リズリア様、しばし暇を頂きたく存じます」
「ええ、あとは私の方でどうにかします。きっと、幸せになるんですよ」
「はい」
ヒオリの申し出を、リズリアは事も無げに了承した。ヒオリは、リズリアに別れを告げるようにアルカの手を握ったまま、駆け出す。
アルカはヒオリに連れられ、入って来たほうとは別の門から、外へ出る。アルカはいきなりのことに困惑するが、立ち止まることはしなかった。
「アルカ、どこに行こうか」
ヒオリはまるで旅行の行き先を決めるような気軽さで言った。その表情にアルカの心は浮き立つ。これからそんな平穏な暮らしが待っていると思うと、顔が綻ぶのも仕方がないことだった。
「そうだな…。静かなところに行こう。今まで話せなかった分、話そう」
二人だけの逃避行を、弾むように駆ける。
二人を紡ぐ糸は一度途切れかけた。だが、今度は離さないようにとさらに強く撚り合わされた。死が二人を分かつとも、それは続いてゆく――。
◇
リズリアは、遠ざかる二人の足音を聞き届けていた。まるで二人の行く末を祝福するような、軽快な足音だった。
「――っぱ、駆け落ちエンドが最高よな」
と、ツアーたちの手当てをしながら、チルが言う。チルは一仕事こなしたかのように満足げな様子だ。
「助かりましたわ、チル。あなたのおかげで二人を送り出せた。私にはあんなふうにすぐに決断できなかった」
「愛に準じたまでですよ。そ~れ~よ~り~? 私もリズリア様のことが好きなんですけど〜、どうですか?」
「あなたは顔のいい女性が好きなだけでしょう。それに、同性婚は認めていません。でも――ありがとう、助かりましたわ」
「リズリア様最高! 抱いて〜」
治療をほっぽり出し、チルが抱き着こうとしてくる。
「いいから治療に専念しなさいな」
リズリアは、擦り寄ってくるチルを拒否するように押し退ける。そのやり取りに日常が戻ってきたことを実感する。
ヘリクの復活から始まった一連の出来事はたったの三ヶ月のこと。しかし、そうとは思えないほど濃密で、過ぎゆくのはあっという間だった。
そして、問題はまだ解決していない。王国は今後の在り方を改めなければならない。犠牲を強行する姿勢が今も続くことはリズリア自身が証明した。これからの王国を想うならば、王族ならば、改善に務めなければならない。
リズリアは、アルカたちが去る直前に交わした約束を思い出す。
『私は全ての国民がこの国に生まれてよかったと思える国にしたい。でも、ヒオリを犠牲にした私は、それを破った。過ちは繰り返させない。これから私が間違った方向を歩き出したとき、それを正す存在が必要なのです』
『それこそ、アルカしかいないと考えています。過去の悲劇の産物であるアルカならば、公平に見ることができる。だから、ほとぼりが冷めたときに戻ってきてほしいのです。不躾なお願いだということは重々承知しています。でも、もう二度と悲劇を起こしたくない』
「――……わかった。いつか、戻って来るよ」
アルカから伝わる感情から、納得できていないことがわかる。だが、アルカは最終的に期待の感情を寄せてくれた。リズリアはその期待を決して裏切らないと誓った。
『ありがとうございます。……そうですわね。戻ってきたときは、二人の結婚式を挙げましょう。よかったら――私も同席していいかしら?』
その日を、心待ちにする。リズリアの将来の楽しみが一つ増えた瞬間だった。




