第59話 道具か、人か
『アルカを止めて』
アルカによってヒオリを連れ去られた直後の部屋に、誰とも知れない声が響く。
「誰だ!?」
部屋の中央に白い粒子が集まり、人の形になる。異様な光景に、ツアーは構える。
『私たちは咬合結界』
現れた白い人影から、何重にも重なるような声が発せられる。ツアーはその奇妙さに警戒をさらに強めた。
『手短に伝えます。アルカは今、物実の樹を破壊しようとしています。アルカを止められるのはあなたたちしかいません』
「物実の樹を破壊? 何を言っている」
「……詳しく聞きましょう」
訝しげに問うツアーをリズリアが制し、先を促すように白い人影を見据えた。リズリアの感情検知の顕現は、白い人影から敵意こそ感じ取っていたが、殺意は感じない。それに、アルカが物実の樹を破壊するという情報は気がかりだった。
『今は時間がない。移動しながら話しましょう』
◇
リズリアとツアー、そして咬合結界と名乗る白い人影が一つの馬車に乗り、物実の樹へ向かっていた。そこに同乗者がもう一人いた。
「これが咬合結界ちゃん?」
対ヘリクの毒を開発したノクター・チルが、興味津々そうに白い人影に触れていた。白い人影は鬱陶しそうに避けるが、チルは構わず触りに行こうとする。
「話が進まないではないか…」
ツアーはチルの両脇に腕を通して持ち上げ、馬車の壁際に押し込める。ぐえ、と小さな声を出すが、気に留めない。
そもそもチルを同乗させるつもりはなかった。前方の馬車にフーリエとシン、ムナがおり、そこに乗せるつもりだったが、リズリアの危機ならばと言って聞かないのだった。
『それでは、話しましょうか』
さて本題、というふうに白い人影は気にせず話し出す。語られたのは、咬合結界とアルカの正体だった。
「王国が、そんなことを…」
リズリアは思わず、口に手を当てる。
咬合結界が一万と千人の犠牲をもとに作られたなど、知らなかった。過去の王――つまり、リズリアの先祖は大量の犠牲を強行した。そして、過ちは繰り返す。リズリアはヒオリを犠牲にした。過去と何も変わっていないことに寒気を感じた。
『アルカは物実の樹を破壊しようとしています。五百年分の地震が一気に解放されますが、それだけではありません。彼にはミラから会得した古今統一があります。それを使えば、少なくとも千年分の地震が王国を襲います』
「「!?」」
チル以外の全員が驚愕する。それはもはや天変地異と変わらず、王国の滅亡は免れない。
「なるほど…。それで君たちはなんなのだ? どうして僕たちに教えてくれる? 王国が…憎くないのか?」
『恨んでいるに決まっているでしょう。王国なんて滅べばいいと思っています。ですが――アルカに私たちの悲願を果たさせるのは、違います。アルカは私たちと違って道具ではありません。アルカは遺装として材料になった母――いえ、婦人が身籠っていた胎児そのもの。アルカにはアルカの幸福がある。それは彼の両親も望んでいることです』
白い人影がそう言い切る。
『しかし、私たちの意見は少数派で、大多数はアルカに使命を果たさせようとしています』
「ほー、犠牲者一万千人の中でも意見が割れてるんだ」
チルはふむふむと頷いていた。
『ええ。多数派がアルカを悲願の代行者に仕立てた。アルカは王国を滅ぼすと、使命を終えて死ぬ仕組みになっています。役割に惑わされ、人生を棒に振ろうとしている彼を、見過ごすことはできません。だからこうして真実を告げたのです』
リズリアの感情検知は、嘘を感じなかった。純粋にアルカを想っての行動だとわかった。
「どうしますか? 姉上」
「もちろん、アルカを止めます」
応えなければならない。ヒオリの願いを叶えられなかった個人的な責任と、王国を統べる者としての義務が彼女を奮い立たせる。
「では、姉上は国外へと退避してください。あとは我々が対応します」
「嫌です」『それは許さない』
リズリアと咬合結界の拒否する声が、同時に発せられる。
「王としての責務を果たしますわ。そもそもこれは私の失態が招いたものですから」
『わかっているなら、いいでしょう。言うことはありません』
王国の罪を清算する機会を、王無くして済ますことはできない。その覚悟を感じ取ってか、白い人影は口を出さなかった。
「……わかりました。ですが、僕から離れないでください」
物実の樹には半日で着く。待つしかできない時間がリズリアには焦れったく、ドレスを握り締め、努めて冷静を装う。
一分一秒を悠久のように感じながら、アルカと再び相まみえるのを待つのだった。
◇
一方、アルカはヒオリの遺体を抱き、王都にあるエンゲツ家の屋敷に訪れていた。以前、ヒオリから看病を受けた屋敷だった。一ヶ月ぶりの再訪だが、色んなことがあり過ぎて、アルカは懐かしく感じていた。
アルカは夜闇に紛れ、屋敷へ忍び込み、人気のない廊下を歩く。
「お兄ちゃん…?」
そのとき、廊下の先のドアが開く。ヒオリの妹であるヒナが出てきた。
「久しぶりだな、ヒナ」
アルカはヒナに近づき、頭を撫でようと手を伸ばすが、やめてしまう。
「お…お姉ちゃん…?」
アルカが近づくことによって、ヒナが気づく。大好きな姉の姿に。ヒナは確かめるようにヒオリの頬に触れるが、冷たさに動揺したのか、すぐに手を引っ込めた。
アルカはヒナの部屋に入り、ベッドの上にヒオリの死体を乗せる。
「ヒオリは王国に見捨てられて、死んだ。いや殺されたんだ」
残酷な真実を告げる。ヒナはヒオリの横に立ち、手を握ったまま項垂れ、一滴の涙を流す。そして、堰を切ったように溢れ出す。
――リズリア。お前が下した選択は、こういうことなんだぞ
嗚咽混じりに泣くヒナを見ながら、アルカは盲目の少女へ憎悪の念を膨らませる。
「ヒナ。俺、王国を滅ぼそうと思うんだ。でも、ヒナとルードには生きて欲しいから二人だけは助けるよ」
泣き続けるヒナに、アルカは拳大ほどの自分の骨を渡した。それはヘリクの創生を利用したもの。アルカの意志で殻のような形態になり、外部の衝撃から所有者を守ってくれる。
「これを肌身離さず持つんだ。必ずヒナを守ってくれる」
アルカはそれを握らせ、去ろうとする。が、服の裾を掴まれた。
「どうしてお姉ちゃんは死なないといけないの?」
「俺も…知りたいよ。ヒオリには生きてほしかった」
思わず、手が震えた。
「…王国を滅ぼせるの?」
「ああ、今の俺ならできるよ」
「お兄ちゃんはそれで、うんってわかるの?」
おそらく、納得できるかどうかを聞いているのだろう。
「ああ。これが俺の使命だから。でも、ヒナは俺の決断を…どう思う?」
迷っていた。王国への恨みはある。圧倒的な力もある。しかし、立ち止まる理性もあった。これまでの旅でアルカは成長した。体だけではなく、心も。だからこそ、迷う。王国を滅ぼすか、滅ぼさないか。
「お兄ちゃんの…一番よくわかるほうを選んで。…あとでこうすれば良かったって思わないように…。私もそうすると思うから」
その言葉に、はっとさせられる。
『アルカ、早く物実の樹へ向かったほうがいい。どうやら、裏切り者がいたようだ』
そのとき、内念世界を通じて脳内に咬合結界の声が響く。
「ヒナ、その骨を持ってルードのところへ行くんだ。それが二人を守ってくれる」
アルカは屋敷を抜け出し、目的の方角へ走る。ヘリクから会得した顕現により、全身が力に溢れる。今の彼は馬より早く、夜を切り裂くように駆け抜ける。
――結局、シュドーの墓には行けなかったな
シュドーに憧れて、誰かを守りたくて、騎士団に入った。だが、ヒオリを守れなかった。今はもう、守りたい人なんてほとんどいない。
「そうだよな…このままじゃ終われない。やらないよりは、ずっと納得できる」
ヒオリを犠牲にした王国を、滅ぼすに足る口実を見つけた。
「そうだ――俺は人だ。使命に従う道具なんかじゃない。人として、自由に…!」
その言葉とともに、物実の樹との距離は徐々に縮まっていくのだった。




