第58話 滅亡の一歩目
水深五百メートル。そこに咬合結界があった。アルカとヘリクを封じた咬合結界は復活を考慮され、海に沈められた。
そのとき、ごぽりと、咬合結界が息を吹き返す。立ち昇り、消えゆく泡はこれからの王国を示しているようだった。
◇
「全ては僕の独断専行です」
リズリアは、ツアーと対面していた。
現在、リズリアはアルカたちが封印された近くの宿に来ていた。ツアーがアルカたちを確保したと聞き、駆けつけたのだ。
「私の命令に背いた、ということですね」
「はい。全ては僕の責任です」
事後報告だった。リズリアはツアーと、横に並ぶシンとフーリエに諌める態度を突きつける。
「いやいや~、そもそもリズリア陛下がヒオリちゃんを犠牲にするって決めてれば、ツアー様だってこんなことしなかったんですよ~?」
フーリエは反抗的な態度を見せる。ツアーが制止しようとするが、フーリエは止まらない。
「国の頂点に立つ人が、国を損なおうとするなんて、それこそ責められるべきなんじゃないですか~? リズリア様は冷徹であるべきなんですよ。誰よりも。でも、できなかった。だから、弟のツアー様が尻拭いをした。あなたにツアー様を責める資格なんてないんですよ」
「…!」
フーリエは全て知っているぞ、と言いたげな態度を向けて来る。それよりも、リズリアはその言葉に何も言えなくなる。あまりの正論に打ちひしがれていた。
「だんまり、ですか。 選び切れないなら、あなたに王としての才覚はありませんよ~。二兎を追う者は一兎をも得ずって知ってますよね~? それなんですよ。今のあなたは。あなたは今、選んですらない。ただ、中途半端なだけなんですよ」
「もうやめてくれ……、フーリエ」
止める声は、ツアーからだった。
「僕はそんなつもりで動いたわけじゃないんだ…」
「……ふん…、わかりましたよ~。ツアー様がそう言うなら。でも今言ったことは本当ですから、忘れないでくださいね~。それと――これはツアー様の独断専行じゃないです。私が持ちかけたことですから、罰するなら私にしとくんですね~」
扉を強く閉め、フーリエが退室する。
「姉上、フーリエは僕の方から――」
「いいえ、必要ありません。私が…無能なだけですから」
力なく、リズリアは笑う。自らの愚かさに呆れていた。フーリエに指摘されまで歪さに気づけなかった。何の選択肢も下せなかった自分を、ただ恥じた。
「…シン、行こう」
「……は、はい」
ツアーはリズリアに声を掛けようとするが、止めた。掛ける言葉を持ち合わせていないことに気づくように、ツアーはシンを連れて退室しようとする。
「姉上、何かありましたら、お呼び下さい」
「………」
リズリアは無言で返す。ツアーから労るような感情が伝わる。迷惑を掛け、あまつさえ心配もさせている。リズリアは一人だけになった部屋でぽつんと座り込む。
「ヒオリ…」
リズリアは揺れるように呟き、あちこちを触りながら、隣の部屋に向かう。
「お前か……」
声の主はムナだった。隣の部屋では、ムナがヒオリの治療をしている。リズリアはムナに案内され、ベッド横の椅子に座らされる。
恐る恐る、ヒオリの額に触れる。冷たかった。死んだように呼吸が浅い。残りの時間が少ないことは明白だった。
「ごめんなさい…」
「それは、誰への謝罪だ?」
ムナはリズリアと反対のベッド横に立ち、ヒオリを治療しながら言う。
アルカたちが確保されてから数日、ムナは休むことなく、ヒオリに寄り添っていた。だが、容態は悪化するばかりで、できることは限られているようだった。
「自分の選択に責任を取れ。少なくとも、私はお前の選択に加担したんだ。最善は尽くす」
そう言って、ムナは懸命にヒオリの治療を続ける。
「いえ――私は何も、選択などしていません。二兎を追って何も得られなかった愚か者です」
「はっ、いいんじゃないか? それくらい欲張りのほうが。王として相応しい。お前はヒオリも国も、どっちも取ろうとした。だから、私はお前に付いた」
しかし、結果が全てだ。ヘリクは封印されたが、ヒオリを失おうとしている。そして、あろうことかアルカを失った。リズリアの表情が晴れることはない。
そして――追い打ちをかけるように、ムナが何か決断するように腰を上げ、治療の手を止めた。
「最善は…尽くした。だが、これ以上は医療の領域じゃ敵わない」
嘘だ、と言いたくなる。しかし、ムナは医療の専門家だ。その言葉は覆しようのない事実だ。
「ヘリクの肉片がここ数日で急激に衰弱し始めた。咬合結界の中で何が起きてるんだか…」
ムナが遠くを見つめるように言う。それをよそに、リズリアはヒオリの手を握り、祈るように自らの額に当てた。
「ごめんなさい…。私は本当に…無能です」
ヒオリからアルカのことを任されたのに、アルカはヘリクごと封印された。今のリズリアは親友からの一生のお願いを反故にした、正真正銘の無能だった。
そのとき――掴んでいたはずのヒオリの手が力無く抜け落ちる。慌てて掴み直すが、何も感じない。耳を澄ましても、聞こえていたはずの息遣いをヒオリから感じない。
「………ぅ……ぁ」
現実を拒絶したくなるような、くぐもった嗚咽が漏れる。
全ての選択肢を間違えた。失敗した。やり直したい。どうして自分にもっと有用な顕現がないのか。リズリアは自らの胸に爪を立て、潰すように掴む。
「その汚い手をどけろ」
そのとき、いるはずのない声が背後から聞こえた。そして感じた。切り刻まれるような憎悪と殺意を。
振り返る瞬間、リズリアは死を予感した。顔面に迫る何か。それが自分の命を刈り取るのだと。リズリアは動けず、ただ座ることしかできなかった。
「…、姉上……! ご無事ですか!?」
しかし、未然に防がれた。家具をひっくり返したような大きな音が鳴り、ツアーの無事を確かめる声が入れ替わるように響く。
声の位置を聞くに、ツアーは侵入者と対峙している。
「アルカ、どうして君にヘリクの顕現が発現しているんだ……?」
「あ、アルカ…?」
ツアーは対面する相手にそう言った。
リズリアは耳を疑う。アルカは封印されたはずだ。そして、違和感があった。向けられる圧倒的な憎悪に。一人だけのものとは思えず、まるでアルカの中に大量の人間がいるかのようだった。
「教える義理はない」
アルカの凍てつく声が響く。まるでそれまでの善性をひっくり返したようだった。
「ムナ、姉上を頼む」
「あ、ああ…」
リズリアはムナに手を引かれ、アルカから遠ざかるように部屋の窓側へ近づく。
ぽたり、と液体が床に落ちる音が聞こえた。血の匂いだ。ツアーからだった。
――ツアーが傷を受けたの…?
最強と謳われているツアーが傷を負ったという話は今までに聞いたことがない。不意打ちだとしても。しかし、現にツアーは傷を受け、最大の警戒をアルカへ向けている。それほどの脅威なのだと物語っていた。
しかし、アルカは気にも留めず、ずかずかと部屋に入り込む。
「勘違いするな、俺はヒオリに用があるんだ」
アルカは幾千剣を構えるツアーの横を通り過ぎ、ヒオリの傍へ歩み寄る。ツアーが攻撃しなかったのは、リズリアを巻き込んでしまうからか。それともアルカから敵意を感じなかったからなのか。それはツアー以外の誰にもわからないことだった。
アルカは横たわるヒオリに優しく手を通し、横抱きにする。
「もう、お前たちと会うことは二度とないだろう」
アルカは扉を出て、去っていった。
目まぐるしい展開に、リズリアたちはしばし息を忘れるのだった。
◇
真夜中、アルカは冷たくなってしまったヒオリを抱きかかえながら歩く。ヘリクから会得した肉体の創生をヒオリの傷口にあてがうが、うまくいかない。ヘリクのときのように傷口に適合してくれない。
次は、ミラから会得した古今統一を試す。生前の健康だった頃の経験を引っ張り出し、再現させるが、変化はない。
アルカが吸収した創生・顕現は、やはりオリジナルよりも幾段か劣化する。
「ヒオリ……」
もう手の施しようがないことを悟り、アルカは静かに涙を流す。涙はヒオリの眼窩へ落ち、瞼の縁をなぞって落ちるのだった。




