第42話 最大多数の最大幸福の澱
「ヒオリは……かけがえのない家族です……。たとえ王命であろうとも……私は従えません。だからどうか……、この決定をお取り消しください……!」
ルードは跪き、額を地面に擦り合わせていた。騎士団長という地位もプライドも、全て擲ち、嘆願している。
対して、ルードの前に立つ青年はそれを受けてもなお、剣を片手に凛然と見下ろしていた。
「リズリア陛下の決定に楯突くことはあってはならない。たとえ騎士団長であってもだ。…残念だ、君のような優秀な人間を立て続けに失うとは――」
そう言い、青年は頭上に掲げた剣を振り下ろした。それは瓜を割る如く、ルードの後頭部を捉えている。
しかし、その果実が打ち砕かれることはない。
「む!?」
両者の間に割り込むアルカ。青年の剣を、刀で受け止める。すかさず、刀を滑らせる。勢いのままに青年の剣を持つ指を狙う。
青年はそれを察し、嫌がるようにアルカから大きく距離を取った。対峙するアルカは、ルードは庇うように立つ。
「黒の剣士とはその見た目のことを指しているのか。なるほど、君がアルカか」
青年は明朗快活とした声を上げた。
「報告書越しではあるが、君のことはよく知っている。新進気鋭の剣客だと。しかし、こうして相見えるとよくわかる」
はきはきと喋るその様に、好青年という言葉がよく似合うと、アルカは感じた。
「強いな、君は。見ただけでわかる。歴戦の猛者だ。その若さで壮絶な運命を背負う者はやはり一味違うな。――だが、僕には及ばない」
それまでの明るさを押し込めるように、気配が一変する。好青年は脅すように、アルカを睨みつけた。アルカは殺気を感じ、刀を握る手に力を込める。
「我が名は、システィア・スティアーノ・ツアー。――アルカ、貴公はなぜここにいる? そしてなぜ、ルードを庇う?」
「なぜ、ヒオリを犠牲にする? 俺はその理由を聞きたい」
「質問を質問で返す愚行は見逃そう。だがなるほど、君もルードと同じ腹づもりか」
ツアーは持っていた剣を強く、地面に突き立てた。
「全く持って、見苦しい!」
ツアーの堂に入った声が響く。
「騎士の本分――それは国を害する悪を打ち砕き、その身を賭して国を守ることだ。今、ヘリクを殺せば、ヒオリは死ぬだろう。だが、それにより多くの命が助かる」
「そういう考え方を、リズリアが許すのか!? リズリアは全ての国民がこの国に生まれてよかったと! そう思える国にしたいと言っていた!」
「ああ、姉上はいつもそう言っている。それは僕も同じだ。しかし、騎士ならば、命を賭して民を守る責務を負うものだ。その覚悟は騎士を拝命したときから、誰もが承知していることだ」
「だから、ヒオリを犠牲にするのか……?」
わなわなと震える声をあげながら、頭痛がするように頭に手をやるアルカ。脳裏には過去のリズリアの発言が浮かんでいた。
『どんな障害が襲い掛かろうとも、我が国の民を守る。そのために、私は感情ではなく、理性的に、正しい判断をしなくてはいけない。――それがたとえ、誰かの意見を蔑ろにしても』
――次は、誰が蔑ろにされる?
「あの言葉は…そういうことだったのか……」
合点がいった。リズリアはどこまでいっても、王なのだ。国のために動く。あくまで国にとっての最善を採る。犠牲と成果を天秤にかけて、ただ粛々と采配する。
最大多数の最大幸福。そんな暴力的ともいえる理論に、ヒオリは殺される。
「ヒオリの尊き犠牲のもと、ヘリクを滅殺する。これが僕たち王国の決定だ」
「――はっ……はは、」
「なぜ、笑う? 面白い部分はなかったように思うぞ」
アルカは思わず、渇いた笑いがこぼれる。失望の念が付属した笑い方だった。
「だって、おかしいだろ? こんなことでしか平和を維持できないなんて」
「綺麗事はいくらでも言える。貴公も知っているだろう、現実の厳しさを。我々は現実という茨道を歩いている。持ち込めるものには限りがあるのだ」
「そんな平和――糞食らえだ!」
アルカは、制服にあしらわれた騎士団の紋章を引きちぎり、地面に叩きつけた。それはかつて憧れたものだった。シュドーの背を見つめ、誰かを守れる存在になりたかった。その願いから騎士団に入った。騎士団の紋章とはまさにその願いの成就の証。当時はそれが輝いて見えた。
しかし、今はただの布切れにしか見えない。
「もういい、俺がヒオリを守る」
アルカは騎士団の紋章を踏みつけ、静かに刀を構える。
切っ先はツアーに向く。ひいては騎士団に、ひいては王国に、ひいてはリズリアに。それがアルカの選択。少数の犠牲を断じて許さない構え。
「そうか。その選択を、僕が尊重することはないだろう」
ツアーは地面に突き立てた剣を弾き、地面に回転させる。回転する剣の柄に手のひらを添え、弧を描き滑らせた。軌道上には残像のように剣の分身が現れる。
剣の分身はまるで生き物のように空を飛び、ツアーの周りを漂う。
「それと、姉上に対する敬称がない非礼も、ここで取り立てよう」
ツアーの周りの剣が敵意を示すように、アルカに向くのだった。




