第28話 死後の降臨
記憶喪失になったヘリクは現在、王都の外れにある城塞にて隔離されている。城塞はもう使用されていないが、地下室があり、ヘリクの隔離にはうってつけだった。
城塞の外壁は古く、寂れた雰囲気を醸し出す。初めてそれを見たアルカは耐久性に一抹の不安を抱いた。だが、内装は正反対に、頑強な印象だった。ヘリクが記憶を取り戻し、暴走したときを想定して、突貫工事で堅牢性を高めていた。
しかし、実際にヘリクと戦ったアルカに言わせれば、その耐久力は紙屑同然だ。アルカは設備に対する意見を求められ、率直な意見を言う。特にヘリクは触手を地面に潜り込ませることができるため、それに耐えられるほどの耐久性が必要になる。アルカは、ヘリクの監視任務に就くまでの間はそうして、職人たちと話し合っていた。
ヘリクの監視業務の日がやってくる。アルカはヘリクが隔離されているという部屋の前に立つ。スズラ山の設備と同様に、扉が何重にもなっていた。
アルカの隣にはシアハもおり、シアハはすでにここ数日、ヘリクの監視にあたっている。そのため、今のヘリクの状態をよく把握しているようだった。
「覚悟はいいな?」
シアハが最後の扉が開く。アルカは腰に携える刀の鞘を無意識に握り締めた。
「…あなたは……?」
そこには、椅子の上で本を読むヘリクの姿があった。
話には聞いていた。ヘリクには記憶を取り戻させないよう、ストレスがかからないように配慮されていると。ヘリクの前に山積みにされている本たちもその一環なのだろう。
だが、わかっていても許しがたい。自らの所業を忘れ、のほほんとくつろぐヘリクの姿は、やはりアルカの癪に障る。
しかし――アルカは軽く、深呼吸をする。
――落ち着け。感情的になるな。俺の目的はなんだ? ヘリクを殺すことだろ
「俺はアルカ。今日からお前の護衛に加わる」
アルカは、内からこぼれ出しかけた憎悪のマグマを押し留め、務めて冷静を飾る。そして、近くの椅子に座る。
「いくつか聞きたいことがある。そこに座ってくれ」
アルカは対面の空いている椅子に目配せする。ヘリクはその椅子に座る。
対面する両者。その間には命を懸けた因縁があるのだが、今だけはとてもそうは見えなかった。
◇
それからなんの問題もなく、数日が過ぎる。ここまでの監視業務で、ヘリクの一日の流れは大体把握した。
朝食→自由時間→事情聴取→肉片採取→夕食→自由時間→就寝
という流れだ。そして、ヘリクは十二時間以上眠るため、活動時間は一般人よりも圧倒的に少ない。
事情聴取では、ヘリクの探し人について聞いたり、現在のストレス状態について聞いたりする。そして、肉片採取では、毒の調合のためにヘリクの皮膚を一部切り取っている。
すでに、探し人を探す協力をする代わりに、肉片を採取することは交渉していたようで、ヘリクは了承済みだ。
もちろん、以前にリズリアから聞いたように、肉片からヘリクの不死性を研究し、病を治す薬を研究するため、と嘘の理由で説明している。
実際にアルカもヘリクの肉片を採取することもあった。そのときのヘリクはこんなことを言った。
『自分のこんな体が、誰かの役に立てばいいのですが…』
そう、笑っていた。もはや別人だった。その笑みには邪悪な感情など、一欠片も感じない。中身だけが入れ替えられた、という比喩がしっくりくるほどだった。
アルカは、これまで振りかざそうとしてきた拳から力が抜けていくのを感じた。何故か、落胆していたのだ。だが、憎悪の念が弱まることは決してない。
あるとき、同じくヘリクの監視をする他の騎士が、このまま記憶喪失なんじゃないのか? と楽観視する声を上げた。だが、スズラ山ではそんな楽観視された状態からヘリクが復活した。アルカはその騎士にそう反論し、自分の中にある炎はまだ尽きていないことを再認識した。
◇
また数日が過ぎる。ふと、ヘリクは自分が隔離されているこの状況に疑問を抱き初めた。そう言った場合を想定した受け答えは、すでに用意されている。
アルカは他に不死身の特性を悪用しようとする輩がいるから、それから守っているのだと答えた。すると、ヘリクから感謝された。
今のヘリクに対するギャップに驚くことはもうほとんどなくなっていた。あるのはほんの少しの嫌悪と、燃え盛る憎悪のみだ。
アルカたちは、交代で二十四時間体制でヘリクを監視する。ヘリクの睡眠中も監視を怠らない。ヘリクの監視は常に二人体制で行われ、もしものために咬合結界を持たせられていた。
二人体制のペアは決まっており、アルカはシアハと組んでいた。そして、ヒオリはグリードと組んでおり、最近はヒオリとグリードと顔を合わせる回数も減っていた。
アルカはヒオリと会えない日々に、少しだけ寂しさを感じていた。
◇
ヘリクの監視に就いてから、ついに一ヶ月半が経過した。十二月になり、雪がちらつく日もあった。
毒の調合は順調らしい。今の段階でもヘリクの不死性による傷の再生をかなり抑制できるそうだ。今は毒の完成度を少しでも上げるため、仕上げにかかっている。
アルカはその報告を聞き、無事にヘリクを殺せた後のことを考えた。やりたいことはたくさんあるようでないような、そんな曖昧な気分だった。
そんな浮き足立つある日も、アルカはいつも通りにヘリクの監視任務に就いていた。だが、その日のヘリクの様子はいつもと違っており、こんなことを言い出した。
「《《ペスト》》はもう、ないんですか?」
あとでわかったことだが、ヘリクが今持っている本には、感染症に言及する部分があった。そして、ペストはヘリクが生きていたとされる時代に大流行していた感染病だ。
ヘリクの手に渡る本は、過去のことを思い出さないよう、全て検閲されている。だが、今回はその検閲をすり抜けてしまった。
アルカとシアハは静かにヘリクを注視し、警戒する。
「ペストはまだある。だが、昔のように都市が全滅するほどじゃなく、たまに小規模の感染が見られる程度だ」
シアハは落ち着いて、そう言った。ヘリクはその返答を聞き、胸に手を当て、どこかホッとした様子だった。
「なにか、思い出したのか?」
そう言って、シアハはヘリクへと歩み寄る。ヘリクは再び本へ視線を落とし、しばし躊躇うように沈黙した。だがやがて、意を決したように口を開く。
「はい。…思い出したんです。私が、ペストで死んだ女性の胎から産まれたことを」




