第26話 不純物の正体
鳥の鳴き声に、アルカは目を覚ます。昨夜、アルカが座り込む路地裏を支配していた暗闇はすでになく、光に満ちている。
「もう、朝か…」
まともな睡眠は取れていないはずだったが、時間の経過を早く感じる。
夜は危険だ。ならず者が徘徊する。何のトラブルにも巻き込まれなかったのは幸運と言える。振り返ると、かなり危ないことをしていたと遅れて自覚する。
アルカは立ち上がろうとする――が、視界がふらつき、倒れかける。体が鉛のように重く、壁に縋り付く。
吐き気を催す。その場にへたり込み、肩で息をする。アルカは自分が高熱を発していることに気づく。
昨日の夜は寒かった。そんな中、風を遮るものもなく、こんな野外で眠りについたのだから、体調を悪くするのも道理だろう。
アルカはなおも重くなる体に鞭を打ち、なんとか立ち上がろうとするが、尻餅をついてしまう。
「あ、やばい」
アルカは意識が遠ざかるのを感じた。全身の力が抜け、重力に従って地面に倒れ込む。
そんなとき、誰かに優しく抱き止められた。
「アルカ……!」
霞む視界の中、真紅を帯びた少女が映る。
「ヒオ、リ……」
アルカは抱き止めてくれた腕に、ぐったりと体を預け、眠るのだった。
◇
目覚めると、アルカはベッドの上に寝転んでいることに気づく。そして、右隣には椅子に座るヒオリがいた。前もこんな光景を見たな、とアルカは思った。
「…」
ヒオリと目が合う。アルカはなんだか気まずくなり、目を逸らす。
どうやら、ここはヒオリの屋敷らしく、倒れたアルカを連れて来てくれたらしい。そして、医者も手配してくれた。アルカは熱を出しており、当分は安静にしなければならない。もちろんアルカは大人しく従った。
「とにかく、大事にならなくてよかった」
ヒオリはほっとした表情でそう言った。アルカは心が痛むのを感じた。
最近の王都では、シリウス教の修道士が殺害される事件が相次いでいるそう。ヒオリはそれに巻き込まれたのではないのか、と心配していた。
おそらく、ヒオリは王都中を探して回ってくれたのだろう。顔に疲れがあった。しかし、それをおくびにも出さない。待機命令に背いたというのに、何も言わず、ヒオリは今も甲斐甲斐しく看病してくれる。
アルカはそんな、痛いほどの優しさに当てられ、涙が出てしまう。
「アルカ……?」
ヒオリが心配するようにこちらを覗き込む。アルカはそんな情けない姿を見られたくなくて、手で目を覆い隠す。
「ごめん、ヒオリ」
「なんで謝るんだ?」
「こんな、面倒掛けて…」
「私がそうしたいだけだ。気にするな」
そう言って、ヒオリはお粥をスプーンで掬い、こちらに差し出して来た。アルカは礼を言って、それを食べる。
「それに、あんなわがまま言って…」
リズリアに意見したあのときを。騎士としての本分を捨てたあのときを。アルカは生々しく想起する。
「アルカの気持ちもわかる。私も同じ立場だったら、きっとすぐには納得できない」
それは本当のことなんだろう。ヒオリは自分の母を殺した――アガッシアのことを思い出したのか、顔を顰める。
「アルカはここまで復讐のために動いてきたんだ。今、立ち止まるのは仕方がない」
「いや…多分違ったんだ。これは…復讐じゃなかった」
ヒオリが疑問符を浮かべる。
アルカはミラと出会い、自分の望みを叶える姿を想像したときに気づいたことを打ち明ける。
「あいつを見たとき、ヘリクという価値観に触れたとき、俺はどうしようもなく、それを滅茶苦茶に否定したくなった」
そう、初めに抱いたのは復讐心ではなかった。存在そのものを否定したいという嫌悪感だった。ヘリクが女子供以外を蹂躙するように、アルカはヘリクただ一人を蹂躙したいと思った。
「ヘリクには何の望みも叶わず、道半ばで死んで欲しい。俺は…ヘリクの存在そのものが嫌いなだけなんだ。あいつを殺すために生まれたんじゃないかって思うくらい」
シアハは言った。シュドーの死を直面に感じたくないから、復讐で目を逸らして、現実逃避しようとしていると。
だが、そもそも前提が違っていた。復讐ではなかった。復讐のほうがまだ共感してもらえただろう。しかし実際は違っていた。
「たとえ、出会い方が違ったとしても、俺はヘリクを殺そうとする。ヘリクには何が何でも、不幸になってほしい」
水と油。相入れることはなく、決して交わらない平行線。それがアルカとヘリクなのだ。
――ごめん、シュドー。俺はずっとシュドーのことを考えずに生きてきたよ
復讐というわかりやすい感情で蓋をしていた。アルカはただヘリクを殺したいだけの、狂った人間ということから目を逸らそうとしていた。
「それでも、構わない」
ヒオリから、アルカが目を覆う手とは反対側の手を握り締められる。
「確かに、アルカのその感情は…わからない。でも、この任務を成功させることができるなら、動機はなんでもいい。きっとリズリア様だってそう言う」
アルカは涙を拭い、ヒオリを見る。ヒオリは握った手を引き寄せ、自分の胸に当てていた。
「アルカ。私にはアルカが必要だ。アルカが私のことを必要としてくれたように」
「――」
「ごめん。正直に言うと、うれしかったんだ。アルカが躓く姿を見られて。性格悪いって思われるかもしれないが、二つ年下のアルカのほうが実力があって、これまで順調に進み続けてて…そんなアルカに、嫉妬していたんだ」
「え?」
アルカ目線では、ヒオリからそんな気配を感じたことはただの一度もなかった。
「自分とはまるで大違いで、住んでいる世界が違うんだって思ったよ。だから、昨日の未熟な姿は、とても新鮮だった」
そう言って、ヒオリは優しく微笑んだ。
「知っての通り、私も未熟だ。アルカなんかよりずっとずっと自分の未熟さと向き合ってきた。だからわかるんだ、この未熟さを乗り越えて、成長できるってことが。アルカ――もう少しだけ、一緒に頑張ってみないか? 未熟者同士、支え合えると思うんだ」
答えは決まりきっていた。折れかけていた心が、前よりも強くなって戻る。
――自分がそのときどう思ったのか、どうしたいのか、それに従うのが最も正しい道です
ミラの言葉が思い浮かんだ。だが――
――ミラ、俺はこっちの道を選ぶよ
アルカは、ヒオリは手を両手で包み込み、強く握り返すのだった。




