第19話 物実の樹
なだらかに続く平地を馬で歩くアルカたち。目的地はアガッシアの隠れ家。
報せの折り鶴によると、ここ最近ヘリクは出現しておらず、どこかに潜伏している可能性があると記されていた。王宮が把握しているヘリクの足取りと日付を、アガッシアの証言と比較してみると、アガッシアのほうが最新だということがわかった。
アガッシアの隠れ家は森の奥深くにある。ヘリクはそこを襲撃したとき、潜伏場所に適していると根付いたのかもしれない。
シアハは王宮にこのことを連絡し、先んじて本当にヘリクが潜んでいるかどうか、斥候として確認しに向かう旨を報せた。
ヘリクが確認できた場合、すぐに退散し、援軍を待つ。だがヘリクに見つかった場合、戦闘は避けられない。最悪の場合、死に至るだろう。
その危険性は誰もが承知しており、アルカたちはどこか緊張に包まれた空気にあった――わけでもなく、いつも通りだった。
「そういえば、なんで見送りのとき、ヒナはいなかったんだ? あんなに仲良いのに」
グリードはいつもと変わらない口調で、ヒオリに質問する。確かに見送りのときは、ルードや町の人がいたが、ヒナの姿は見当たらなかった。
「あのとき熱を出していたからな。それで来られなかったんだ。ヒナは元々病弱なんだ。王都から町までの移動の疲れが今になって出てきたんだと思う」
「え、ヒナってあれで病弱なのか?」
アルカは驚く。王都から町まで一人で行こうとしたり、町で色んなところへ連れ出されたり、とても病弱とは思えない。
「最近、体が強くなってきただけだ。昔はもっと酷かった。何ヶ月も床に臥すことが何度もあった。今は加減もわからず無茶をしている。多分、遊べなかった分を取り戻そうとしているのかもしれない」
「じゃあ、もっと良くなっていくといいな」
「ああ。それと、アルカとまた遊びたいと言っていたぞ」
そう言って、ヒオリがこちらに微笑みかける。
それからも、アルカたちはしばらくの間、歓談を楽しんだ。もちろん、皆これから待ち受ける困難はわかっている。だからといって今から緊張していてもどうにもならない。準備はすでに完了している。あとはそのときの状況次第なのだから。
ふと、アルカは遠くに気になるものを見つけた。
「なんだ? あれ?」
指を差し、ヒオリに尋ねる。それは雲すら穿ち、天高くそびえ立っていた。うっすら見えるシルエットから、枝葉を伸ばす大樹だとわかる。しかし、あれほど大きな樹は今まで見たことがない。
「知らないのか? あれは“物実の樹”だ」
「物実の樹?」
「ああ。物実の樹は、“地震”という自然現象――災害を肩代わりするものだ」
物実の樹に続き、地震という知らない単語が出てきた。アルカはヒオリの説明をまずは聞くことにする。
「地震は私たちが立つ大地が揺れる現象のことだ。建物は崩壊し、地面には亀裂が走り、海からは“津波”が押し寄せ、人を飲み込む」
津波――というのは、海岸を襲う大きな波だそう。それは陸地にまで至ることもあるのだとか。
「王国では昔、地震が頻発していて甚大な被害を被っていた。そこで王宮はこれをなんとか食い止めることはできないかと考え、ある人物に話を持ちかけた。それが――プジット。咬合結界を作った特級顕現使いだ」
「遺装…だったっけ?」
リズリア女王から聞いた話を思い出す。特級顕現使いのプジットは、遺装と呼ばれる特殊な能力を持つ道具を作り出せたと。プジットは咬合結界のほかにも、その物実の樹を作り上げたんだろう。
「ああ。物実の樹が出来てからは、王国に地震は発生しなくなった。物実の樹には地震のエネルギーを吸収する能力があるそうだ。そして、吸収するたびに樹は成長するらしい。最初は普通の樹と同じくらいだったそうだ」
「じゃあ、今ってかなり地震のエネルギーを溜め込んでるのか?」
アルカは物実の樹を見上げる。その全容は雲に隠れて見えない。
「その通りだ。物実の樹は五百年前に出来た。だからもし物実の樹が破壊されれば、今まで溜め込んできた地震のエネルギーが一気に襲ってくる」
「やばくないか? それ」
「間違いなく、王国は甚大な被害を受ける。だから物実の樹周辺には厳重な警備が敷かれているんだ」
アルカはそれを聞き、ほっとする。しかし、今の今まで預かり知らぬところで天変地異の可能性が顕在していたというのは、ぞっとする。
「――だが、地震から王国を守ったプジットの末路は悲惨なものだった」
と、アルカとヒオリの会話を聞いていたのか、シアハが話しかけてきた。アルカは気になり、どういうことだ? と訊く。
「それまで地震というのは、神の怒りだと考えられていた。その土地に地震が起きたということは、その場所で大罪が犯されたのだと。だから災害後には罪の所在を明かし、民衆には懺悔を強いた」
「だが、地震=神の怒りという当時の定説は、物実の樹によって覆された。物実の樹の登場から地震が全く発生しなくなったことにより、科学者たちは研究を始めた。そこから、地震というのは神の怒りではなく、ただの自然現象だとわかったんだ」
「五百年前の当時、全ての出来事は神の思し召しと思われていた――いやそう思わされてきた。“シリウス教”によって」
シリウス教。それは神を、シリウスという救世主を介して信仰する宗教だ。世界で最も信仰者が多い。
「地震が自然現象だとわかり、それまで神の思し召しだとされたものが次々と解明され、神と無関係だと明かされた。それまで神の威を借りて権力をつけてきたシリウス教は追い込まれた。そこで事の発端となったプジットを異端審問にかけ、処刑を言い渡した」
「プジットは王宮に助けを求めたが、当時の王国はシリウス教を国教にしていた。だからプジットは見捨てられた。その後、プジットは自力で脱走したそうだが、そのときに深い傷を負ったらしく、どこかで死んだとされている」
それが、地震を食い止めた英雄の末路。後味の悪さを感じざるを得なかった。
「だからシリウス教の信徒は今でも、物実の樹の存在を疎ましく思っている」
「それは…自分たちの生活が、それに守られているんだとしても?」
「信じられないと思うが、奴らは教えに従って生きている。時として人の命よりも教えを優先することがある」
アルカには信じる神はいない。だからその思考は全くと言っていいほど理解ができなかった。
「まぁ安心しろ。今の王国にはまだシリウス教の影響力があるとはいえ、全盛期に比べれば、着実に勢力を減らしている。シリウス教の国教指定は消え、リズリア陛下は教権主義からの脱却を進めている」
アルカは再び、物実の樹を見つめる。なぜだかわからないが、こんなことを思った。
――あれは、本当に守護者なのか?
あれを見ていると、なぜか胸の奥がざわつくのだった。




