第16話 束の間の休息
曖昧な意識の中、アルカは頬に当たる違和感を感じ、ゆっくりと瞼を開く。
木目の走る天井。光を含む素朴な匂いが鼻腔をくすぐる。胸の奥が落ち着くようで、またすぐに眠ってしまいそうになる。
「おねえちゃーん、起きたよー」
枕元には、屈んでこちらを凝視する女の子がいた。ヒオリの妹――ヒナだ。アルカはなぜか、ヒナからペタペタと顔を触られていた。アルカはヒナを好きにさせ、一旦周りを見る。
アルカは布団の上で寝ていた。誰かが寝かせてくれたのだろう。ルードとの口論で、アルカは顎を突き上げる殴打を喰らい、気絶したのだった。
「どれくらい寝てた?」
アルカは、顔の次に髪の毛を触るヒナに話しかける。襖の隙間から見える外の景色は仄暗く、日が落ちかけている。どれほど気絶していたのか気になった。
「ん〜、多分一時間くらいだよ」
「そうか……ありがとう」
今から次の目的地へ出発しても、外は真っ暗なため、危険だろう。アルカは上体だけ起こす。
「ねぇ、それよりもさっ、お父さんと――」
そのとき、ヒナが話しかけてきたが、ちょうど襖が開く。ヒオリがやってきた。
「起きたか。痛みはないか?」
「あ、ああ」
ヒオリはヒナに場所を譲ってもらい、すとんと枕元に座る。そして、アルカの顔に触れた。
「そのままにしろ。異常がないか診る」
アルカは黙って頷く。ヒオリは顎の状態や頭部、視覚に問題がないかなど、細かく丁寧に診てくれた。
「異常がなさそうでよかった」
ほっと、ヒオリは安堵を吐く。アルカには、ヒオリがいつもより優しく接してくれているような気がして、なんだかむず痒くなってしまう。
アルカはそんな思いを振り払うように立ち上がろうとして、ふと思った。ヒオリは自分が気絶するに至った理由を知っているのだろうかと。
振り返ってみると、アルカは我ながら凄いことをしてしまった。仲間の父親と口論になり、あまつさえ先に手を挙げた。そして、その相手は騎士団長だ。
「…あの……なんでこんな怪我したのか、誰かから聞いた?」
アルカはそれとなく聞いてみる。ヒオリのことを想っての行動だったが、全ては自分本位のものだ。ヒオリからすれば傍迷惑かもしない。
「いや、知らない」
ヒオリはすぐにそう答えた。アルカは胸を撫で下ろす。君の父親と喧嘩した末に殴られて気絶したんだ、なんて言いづらい。
アルカはそうなんだと言い、部屋を出ようとする。
「……なぜ、怪我をしたんだ?」
しかし、ヒオリは背中からそんな問いを投げかけてきた。アルカは背中に冷や汗が伝うのを感じた。
「――実は、アガッシアとの戦いの疲れが残っててさ、足がもつれて転んだんだ。それで気絶しちゃってさ。ダサいよな、はは……」
頭をフル回転させて、それらしい嘘を考えた。これなら怪我の理由を出し渋るのも共感できるだろう。無様になるが。
「………そうか」
アルカは今度こそ襖に手をかけ、部屋から出ようとする。
「シアハから伝言だ。明朝にアガッシアから掴んだ隠れ家に向かう。今日はここで休息するそうだ」
「わかった」
アルカが部屋から出ると、ヒオリもついてきてくれる。広い家だ。迷子にならないように案内してくれた。
途中、中庭を隔てた向こうの窓にルードの姿が見えた。一瞬、目が合うが、向こうが先に視線を逸らした。
玄関に着く。アルカはヒオリとヒナに礼を言い、元々寝泊まりしていた宿へ向かおうする。
「そういえば、ヒナ。ヒオリが来た時、何か言おうとしてたけど……」
「あ〜〜」
アルカがそう質問すると、ヒナはなにか間が悪いような顔をしながら、ヒオリを見た。
「ううん、なんでもない!」
が、ヒナは笑顔でそう言い切った。
「それよりお兄ちゃん、一緒に屋台に行こうよ! 美味しいそば屋があるからさー」
「駄目だ。もうすぐ夕食なんだから」
ヒオリはまるで母親のように、ヒナに注意する。しかし、ヒナは嫌だ嫌だとせがむ。
「もう十歳なんだから。わがまま言わない」
「何歳かは関係ないー! お兄ちゃんも食べたいよね?」
「…そう、かな?」
アルカはどちらの味方をすべきか、迷う。ヒナはそこに付け込み、こちらを味方につけ、ヒオリに立ち向かう。
「はぁ…わかったわかった。給仕の方に夕食は不要と言ってくるから、待ってなさい。アルカは…どうする?」
「もちろん行くでしょー!?」
「ああ、うん。行くよ。そば、食べてみたいし」
半ば強引ではあったが、同意する。それにそばを食べた経験はなかったため、興味はある。アルカは、ヒオリとヒナとともに、町へ繰り出すのだった。
◇
「なんで俺のこと、お兄ちゃんって呼ぶんだ?」
アルカはそばを食べながら、ヒナに問いかける。そば屋は立ち食いの屋台だった。ヒナは背が低いため、近くにあった丸太に座っている。
「お兄ちゃんはお兄ちゃんだよー」
「はぁ」
要領の得ない答えだが、本人の中でも特に理由はないのかもしれない。アルカは気にするのをやめる。
屋台には他の客もおり、麺の啜る音が聞こえる。そして皆、エンゲツ家のことを知っており、門下生の死、そしてヒオリとヒナの母親の死の真相について、悼む言葉をかけていた。優しい町だと、アルカは思った。
この町はエンゲツ家によって栄えた歴史があり、皆から慕われているようだった。今のエンゲツ家は王都に居を移し、別の者に町の統治を任せているが、それでも慕う心は変わっていないようだった。
「お兄ちゃんって、啜らないの?」
「すする?」
アルカはそばの食べ方など知らない。ヒナから教えてもらうが、うまくいかない。ヒナは調子に乗ってかなり誇張して啜って見せるが、失敗してむせていた。咳き込むヒナの背を、ヒオリが摩ってあげていた。
「食べ物で遊ばない」
その様子を、他の客も和やかな目で見ていた。
「珍しいねぇ、そこの兄ちゃん。黒目黒髪なんて。俺も色んなとこで商売してきたけど、完全に真っ黒なやつは初めて会ったよ」
屋台の主人が声をかけてきた。他の客もアルカのような、髪も瞳も完全な黒の人は見たことがないと言う。
「確かに、私も会ったときから珍しいと思っていた」
ヒオリもそのようで、アルカは自分が珍しい容姿の持ち主なのだと知った。
「ごちそうさまでした、おいしかったです」
「ごちそうさまー」
「…ごちそうさまでした」
食べ終わり、アルカはヒオリとヒナを真似て、食器を前に出す。
「よしっ、次は温泉にいこー」
ヒナの気ままは止まらない。ヒオリはだめだと言うが、結局負け、温泉に行くことになる。
妹のわがままに付き合わされる姉の姿に、アルカは思わず笑みを浮かべるのだった。
◇
「振り向くなよ、アルカ――」
湯船に浸かるアルカ。背中からヒオリの忠告が刺さる。アルカは、ヒナとヒオリと同じ浴槽に浸かっていた。
今から遡ること、数十分。温泉に着くと、本日休湯の張り紙が貼ってあった。どうやら薪不足らしい。ヒナは非常に落ち込んだ。仕方ないとアルカとヒオリは帰ろうとするが、ヒナはその場に立ち尽くし、立ち直れなさそうだった。
それを見かねた湯屋の主人が、小さな浴槽があるからそれに浸かっていきなさいと声をかけてくれた。温泉には昔使われていた一人用の大きな丸桶があり、それくらいの湯なら用意できると言ってくれた。
アルカは二人で浸かればいいよと言い、待つことにした。だが、ヒナはこの大きさならみんなで一緒に入れるよと言ってきた。恥じらいのない純粋な言葉だが、もちろんヒオリとともに拒否する。しかし、ヒナはそれを拒否し、みんなで入ろうと譲らない。
結局、湯屋の主人の好意を前に、揉めて時間を取らせるのも申し訳ないため、三人で一緒に入ることにする。
「本当にいいのか? 一緒に入るなんて……」
「もちろん互いに背を向ける。もしこっちを見たら殺すからな」
ヒオリから冷ややかな声で脅される。有言実行しそうな圧をアルカはひしひしと感じていた。
着替えるアルカたち。各々大事なところを隠すように手拭いを巻く。そして、大事を取って、アルカは目隠しをする。こんなところで殺されるわけにはいかないのだ。目隠しをしたアルカは、ヒオリに先導され、丸桶風呂の前に立つ。
「入る前にまず体を洗い流す。湯をかけるぞ」
「あ、ああ」
ヒオリが色々と気を利かせてくれて、湯を掛けてくれる。ヒナの面倒を見てきた賜物だろうか。
「お兄ちゃ〜ん、これなーに?」
「!!!」
そのとき、アルカは声を出すより早く、身体が勝手に折れ、うずくまる。それがなんなのか――正体を知るべく、ヒナの無邪気が小さな手があろうことかアルカの股間を鷲掴みにしたのだ。
「ヒナ! それは掴まない!」
ヒオリはすぐにヒナの手を離させる。アルカは急所を潰されかけた衝撃に視界が滲み、内股になる。
「お姉ちゃん、あれなにー? お姉ちゃんと私にはついてないよ〜」
ヒナは自分がしでかしたことに気づいていない。三人での入浴中もヒオリはヒナに踏み込みすぎない程度に教えるが、ヒナは子供ながらの鋭い質問を投げる。ヒオリは回答に苦戦していた。
アルカはその会話を背中から聞いていたが、正直話の内容はあまり入ってきていなかった。
――金的だけは気をつけよう
と、もう二度とあんな痛みを味わいたくないと心に誓うのだった。




