業火に転じた風
魔の森を北に真っ直ぐ進み、森を抜けてからは西に連なる北の大山脈を目指す。
谷の魔女の他にも魔女がいるのを肌で感じ取ったが、遭遇することなく谷間に辿り着いた。
「今すぐ立ち去れ。ここが誰の縄張りかわかってるのか?」
不気味な霧が立ち込める地に一歩足を踏み入れると、錆びついた武器を構えた人達が霧の中から出てきた。
包囲されているがどいつもこいつも正気を失った目をしていて、脅威には感じない。
「そっちこそ私が誰か知らないのか? あんたらごときに止められると思うな」
火を薄く広げて全身を覆う。自分も着ている服も燃えないことがわかっているからできることだ。
これを見れば大抵の人が攻撃を躊躇するのだが、彼らは感情も思考能力も失ってしまったのか、迷うことなく火に突っ込んでいった。
火は武器から身体に燃え広がり、襲ってきた奴らを燃やし尽くした。
森の魔女の話によると、こいつらは谷の魔女の元で強制的に働かされているだけで悪い奴ではないらしい。
だが、死ぬまで奴の命令に従って生きるくらいなら、死んだ方がましだろう。私だって人殺しをしたいわけではないが。
不意に強い風が吹く。
火の勢いが弱まった。
「人が集めた駒を殺すとは、アタシに喧嘩を売りに来たのかい?」
風に乗って現れたのは谷の魔女だ。以前よりもシワと白髪が増えたように見える。
「あぁ、そうだ。久し振りだな、谷の魔女」
「どこかで会ったことあったかねぇ。その髪色が少し引っかかるんだけど」
「私を忘れたのか? 私が国外追放された日に手荒い歓迎をしてくれたじゃないか」
「知らないねぇ。アタシに負けて膝をつく新入りは山ほどいるから、いちいち覚えてられないよ」
でもアンタは、と谷の魔女が急接近した。私の顔と髪をまじまじと見る。
「赤髪の魔女か……何十年か前に一度戦ったことがあるかもしれないねぇ。ま、大したことなかったけどさ」
「何十年も前の記憶と同じと思うなよ?」
相手の方から近づいてくれたのだから、この好機を逃すまいと私は右手から火を放った。
「おっと」
服の裾が少し燃えただけで、空高く逃げられてしまう。火も風に吹かれて消えた。
やはり普通の火では相手にならない。やるなら青い炎だ。
だが、憎き谷の魔女を前に平常心でいられるだろうか。宿敵相手にも心穏やかにいるなどきっとできない。
「あぁ、思い出してきたよ。威勢だけは十分だったねぇ。火魔法を地上に放って勢いを殺すつもりが、さらに高く飛んじゃったんだっけ。あれは今でも笑いが止まらないよ。あのときの再演をしに来たのかい?」
「だから、あのときと同じだと思うな。私は制御のコツもあんたの風に対抗する術も身につけた」
国外追放される前の私は特に努力することなく過ごしてきた。何もしなくても火魔法を使えたし、襲ってきた奴らを返り討ちにできたから。
だが、国外に出て初めて自分が凡人であることを知った。
火魔法の出力を抑えるためにどれだけの鍋が犠牲になっただろう。青い炎を自分の意思で灯すのにかかった日数も計り知れない。
全ては谷の魔女に勝つためだ。
「……へぇ。じゃあ、見せておくれよ。アンタの成長とやらをさ」
……来た。
足元から上向きの風が吹く。私の身体はあっという間に空高く運ばれ、唐突に自分を支えていた風が止む。
あの頃は火魔法の制御ができず、安全に地上に降り立つだけで魔力枯渇寸前に追い込まれた。
だか、今は。
目を閉じて呼吸を整える。風の流れ、落ちる速度、谷の魔女のおおよその位置を把握し、目を開けた。
放つ火はほんの少しでいい。落下速度を緩めて怪我なく地上に戻れる程度。大丈夫、私ならできる。
「はあ!」
地面に衝突する直前、私は大地に火を噴射した。僅かに身体が持ち上がり、その隙に体勢を整える。そして、両の足で降り立つことができた。
どうだ、と谷の魔女を見ると、つまらなさそうな顔をしていた。
「ふぅん、前よりは制御できるようになったんだねぇ。じゃあ、これはどうだい?」
谷の魔女が何かをかき混ぜる動作をすると、竜巻が発生しこちらに迫ってきた。
速くて大きいから逃げる暇はない。ならば、私にできることは一つだけだ。
――竜巻を燃やす。
「落ち着け、私。焦るな、怒りに呑まれるな。波一つ立たない穏やかな水面を想像しろ……私ならできる」
普通の赤い炎も怒りに任せた黒い炎も消されることは目に見えている。唯一可能性があるのは青い炎だけだ。
大きく息を吸って吐く。迫りくる竜巻がやけにゆっくりに見えた。これならいけるかもしれない。
「風よ、業火に転じよ」
両手を重ねて火を生み出す。揺らめく青の力を信じて、迫りくる竜巻にぶつけた。
「いけ、負けるな」
押し返される気配を感じたので、さらに魔力を込める。決して冷静さを失うことなく、平静を保って。
「青炎魔法は――他者の魔力をも燃料にする」
「っ!」
青い炎が消えることなくさらに勢いを増したのを見て、谷の魔女の顔色が初めて変わった。火を消そうとさらに魔力を流し込む――が、逆効果だ。
火はどんどん大きくなっていき、ついに竜巻を渦巻く青き炎へと変えた。ここまで来れば後一押しだ。
「行け」
ありったけの魔力を流して炎を前へと押し出す。谷の魔女が風に乗って逃れようとしたが、それすら炎に転ずるとは思いもしなかったのだろう。
「あぎゃあああぁぁぁ!」
谷の魔女が燃えながら落下していく。勝敗は確認するまでもなかった。
「私の勝ちだ」




