第7話:鋼を脱がす指先
アルベルトの設けたメンテナンスルームには、魔界のそれとは異なる、清潔で暴力的なまでの「整頓」が支配していた。
中央の台に横たえられたバルバラは、身動きが取れなかった。右肩の装甲が弾け、剥き出しになった肩口から伝わるのは、冷たい大理石の質感と、目の前に立つ執事が放つ、静謐ながらも逃げ場を許さない威圧感だ。
「さあ、始めましょうか。バルバラ様。その『不抜の鎧』、主人の傍らに置くにはあまりに汚れが目立ちすぎます」
「ま、待て……! 本当に脱がせるつもりか!? この鎧の呪いは、生半可な解呪師では逆に呪い殺されるほどの……っ!」
「汚れを落とすのに、呪いの有無など関係ありません。それは単なる『頑固なシミ』と同じです」
アルベルトは迷いなく、銀のナイフをバルバラの喉元――鎧の接合部へと滑らせた。
バルバラは思わず目を瞑る。鋼が断たれる衝撃を覚悟したが、聞こえてきたのは、キィィィンという澄んだ金属音と、霧が晴れるような不思議な「音」だった。
「……あ?」
目を開けたバルバラは、信じられないものを見た。
数年間、どんな強力な魔法や物理攻撃を受けても傷一つ付かなかった『不抜の鎧』が、アルベルトのナイフが触れた箇所から、まるで氷が溶けるように霧散していく。
「解呪と切断、そして清掃を同時に行いました。魔力回路の接合部に、人間界の古の溶媒を流し込めば、どのような呪具もただの鉄屑に戻ります」
アルベルトの指先が、鎧の奥――彼女の素肌へと忍び込む。
手袋越しではない。彼はあえて素手になり、指先の魔力を精密に制御しながら、バルバラの鎖骨付近に触れた。
「ひ……っ!?」
バルバラの体が跳ねる。
熱い。そして、冷たい。
鎧を脱がされるという行為は、武人である彼女にとって「全裸」を晒されるよりも屈辱的なはずだった。しかし、アルベルトの指先が肌に触れるたびに、数年分の汚れや蓄積された魔力の澱みが剥がれ落ち、脳が痺れるような解放感が全身を駆け抜ける。
「動かないでください。……ここですね、一番ひどいのは」
アルベルトは、彼女の脇腹から背中にかけて、食い込んでいたインナーの装甲を剥ぎ取った。
そこには、長年の摩擦と不摂生によって赤く腫れ上がり、痛々しく炎症を起こした肌が晒されていた。
「……無様ですね。このような傷跡を放置して、何が魔王の盾ですか。盾そのものがボロボロでは、主人が安心して身を預けられません」
「……うるさい。俺は……俺はただ、魔王様を守れれば、自分の体なんてどうなっても……っ!」
「その考えが、既に執事の逆鱗に触れていることに気づいてください。主人の大切な財産である『四天王』を損なうことは、主人の資産をドブに捨てるのと同じです」
アルベルトは、準備していた黄金の香油を手に取った。
それは人間界の聖域でしか採取できない薬草と、魔界の治癒植物をアルベルト独自の比率で調合した至高のオイルだ。
彼はそれを、バルバラの傷ついた背中に、たっぷりと注ぎ込んだ。
「あ、あああぁぁぁ……ッ!!」
バルバラの声が部屋に響く。
痛みではない。あまりの熱量、そして皮膚の奥深くまで浸透していく潤いが、彼女の神経を狂わせる。
アルベルトの大きな掌が、彼女の背中を、腰を、そして逞しくも手入れのされてこなかった太腿を、力強く、かつ繊細に撫で上げていく。
それは単なるマッサージではなかった。
筋肉の繊維一つ一つを解きほぐし、滞っていた魔力の奔流を正しい導線へと流し戻す、「肉体の再構築」だ。
アルベルトの指が特定の経絡を突くたびに、バルバラは獣のような吐息を漏らし、その瞳は潤んで視界が定まらなくなる。
「……バルバラ様。貴女の体は、実に見事だ。鍛え抜かれた筋肉、戦士としての誇りが刻まれた骨格。……ですが、それを守る『皮』があまりに不憫です」
アルベルトの声が、耳元で低く響く。
「これからは私が、貴女を磨きます。魔王様が思わず手を伸ばしたくなるような、滑らかで、美しく、それでいて誰よりも強靭な『最高の防具』に」
「あ……は……アルベル……ト……」
バルバラの意識が、熱い湯気に溶けていく。
鎧という殻を剥がされ、剥き出しになった一人の女性の心が、初めて他人の――それも、蔑んでいたはずの人間の手に、完全に掌握されていくのを感じていた。
一晩中続いたメンテナンスが終わり、朝の光が差し込む頃。
メンテナンスルームの扉が開いた。
そこから現れたのは、昨夜までの、泥と血と汗に塗れた野良犬のような将軍ではなかった。
磨き上げられた黒檀のような光沢を放つ肌。乱れていた髪は艶やかに整えられ、アルベルトが用意した、機能的でありながら女性らしいラインを強調する白銀の軽装鎧に身を包んだ、一人の「美しき武人」だった。
「……どうだ、ルナリス様。俺は……おかしくはないか?」
食堂で待っていたルナリスの前に、バルバラが緊張の面持ちで現れる。
ルナリスは、持っていたティーカップを落としそうになりながら、目を見開いた。
「バ、バルバラ……なのか? なんという……。まるで、伝説の女神が降臨したかのようだ。これほど美しい配下を持てたこと、余は誇りに思うぞ!」
「……っ!」
ルナリスの言葉に、バルバラの顔が一気に熱くなる。
彼女は背後に立つアルベルトを盗み見た。
執事は、さも当然だと言わんばかりの顔で、完璧な一礼を返した。
「左様でございます、ルナリス様。バルバラ様は、磨けばこれほどまでに輝く宝石だったのです。……さて、バルバラ様。その美しさを保つため、これからは毎晩、私の『特別講習』を受けていただきますよ」
「……ふ、ふん。魔王様がそう仰るなら、受けてやらないこともない……。勘違いするなよ、アルベルト。これはあくまで、騎士としての嗜みだ!」
ツンと顔を背けるバルバラだったが、その耳たぶは赤く染まり、彼女の心臓は、執事の次の「奉仕」を期待して、激しく脈打っていた。
将軍バルバラ、攻略開始。
しかし、その様子を冷ややかに見つめる、魔王城の「知」の頂点――参謀メルヴィの瞳があった。




