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第55話:衛星国家の「夫婦視察」と、聖なる執着

 魔王城「パンデモニウム」の管理区域へと再編された、旧聖教国の首都「聖都ルミナス」。

 かつては過剰な潔癖主義と階級社会によって息苦しさに満ちていたこの都は、今やアルベルトという一人の執事の手によって、世界で最も「合理的かつ快適な理想郷」へとその姿を変えていた。


 空を覆っていた重苦しい神聖結界は、アルベルトの魔力調律メンテナンスによって、有害な魔素のみを濾過し、常に清浄な微風を街に送り込む「広域循環システム」へと書き換えられている。

 石畳の路地には一点の不浄もなく、行き交う市民たちは、かつての狂信的な瞳ではなく、整った生活と心の余裕に裏打ちされた、穏やかな微笑みを湛えていた。


「……うむ。アルベルトよ、貴殿の『刷新』は、もはや魔法や奇跡という言葉では片付けられんな。……この都、城の中よりも空気が澄んでいるのではないか?」

 お忍びの外套を纏いつつも、隠しきれない王者の風格を漂わせる魔王ルナリスは、アルベルトの腕を抱き、感嘆の声を漏らした。


「ルナリス様。環境が精神を形作るのです。……不効率な祈りよりも、一回の正しい手洗い。曖昧な救済よりも、完璧な下水処理。……それこそが、民の魂を最も美しく磨き上げるのです」

 アルベルトは、異国の地であっても燕尾服に一点の乱れも見せず、モノクルの奥で街全体の魔力動態をリアルタイムで監視マネジメントしていた。


 二人が都の中心、かつての大聖堂を改装した「聖都管理局」へと足を踏み入れたその時。

 教会の重厚な扉が勢いよく開き、純白の法衣に「執事の紋章」を刺繍した新たな衣装を纏う聖女セレレスが、狂おしいほどの歓喜を顔に浮かべて駆け寄ってきた。


「……あぁ、アルベルト様! お帰りなさいませ! 貴方がこの都に施してくださった『規律』。……私は一時も絶やすことなく、この身を挺して守り抜いてまいりました!」

 セレレスは、ルナリスの存在を無視するかのようにアルベルトの前に跪き、彼の白手袋の手を、縋るように取った。


「……聖女セレレス。報告の前に、貴女自身の魔力波形に乱れがありますね。……管理代行としての責任感ゆえか、あるいは……私を待ちわびるという『不潔な欲望』によるものか」

「……後者です。……当然ではありませんか! 貴方のいないこの数日間、私の心はどれほどの不全エラーに苦しんだことか! ……さあ、アルベルト様。……今すぐ、私の執務室で……この都の全報告と共に、私の魂の『再調律』を行ってください!」


「……ええい、離れぬか、この不届きな聖女め!!」

 ルナリスが、般若のような顔でセレレスの手を振り払った。

「アルベルトは今、余との『新婚視察』の最中なのだ! 貴殿のような管理代行に、あやつの貴重な時間を一秒たりとも渡すわけにはいかぬ!」


「あら、魔王陛下。……『奥様』になられたからといって、アルベルト様を私物化なさるのは、世界全体の管理不全を招く傲慢ではありませんか? ……この都の民は、アルベルト様を『再構築の父』として崇めているのです。……もちろん、私もその一人として……夜の『個人指導』を、規律正しく、かつ激しく、求めておりますのよ」


 聖女の挑発的な、そして狂気的な笑み。

 ルナリスの独占欲と、セレレスの依存心が、刷新された聖都のど真ん中で激しく火花を散らした。


「……やれやれ。……場所を考えなさい。……ルナリス様、そしてセレレス。……皆様のその『所有権』という名のノイズ。……都全体の調律と共に、私がまとめて『整理』して差し上げましょう」


 アルベルトの冷徹な、しかし有無を言わせぬ支配の言葉。

 聖都の視察は、いつの間にやら一人の執事を巡る、最も過酷で、最も甘美な「三つ巴の管理競争」へと変貌を遂げていたのである。


 聖都ルミナスの象徴たる大聖堂、その最上階に位置する「管理代行執務室」。かつては神への祈りが捧げられていたこの空間は、今やアルベルトによって、一ミリの誤差も許されない「都の統治機構(OS)」へと作り替えられていた。


 ルナリスは、執務机の奥に鎮座する豪華な椅子に深く腰掛け、鋭い視線を室内へと向けていた。彼女の目の前では、聖女セレレスが法衣を僅かに乱し、アルベルトの前に跪いている。


「……アルベルト様。……この都の流通、魔力配分、そして民の精神衛生状態。……すべて報告書にまとめた通りです。……ですが、私の心だけが……この数日間、どうしても『最適化』できなかったのです……」

 セレレスの碧眼は潤み、その肢体はアルベルトの指先が触れるのを待つかのように、小さく震えている。


「セレレス。貴女は、私が授けた『管理の指針』を完璧に遂行しました。……ですが、主人の命を預かる身として、自身の情緒の乱れを放置したのは失策です。……ルナリス様、よろしいでしょうか。……衛星国家の安定のため、この不全システムエラーを、今ここで強制的に『矯正メンテナンス』させていただきます」


「……フン。致し方あるまい。……ただし、アルベルトよ。あやつに施すのは、あくまで『機能回復』のためだけだ。……余計ななさけはかけるなよ」

 ルナリスは、嫉妬を隠そうともせずに告げた。だが、その瞳には、自分の「夫」が他の女を圧倒的な規律で跪かせる、その支配者としての姿への歪んだ自負が宿っていた。


「畏まりました。……さあ、セレレス。貴女のその『信仰という名の甘え』。……私が直接、指先で解体して差し上げましょう」


 アルベルトが、セレレスのこめかみに指先を添えた。

「あ、あああああッ!? アルベルト……様ぁ……!!」

 瞬間、セレレスの全身を、暴力的なまでに純度の高い魔力振動が突き抜けた。それはアルベルトが都全体の結界と同期させた、巨大な「調律の波」。


 一突きごとに、セレレスの内に溜まっていた執着の澱みが、強烈な快感と共に吸い出されていく。アルベルトの指先は、彼女の魔力経絡を一本ずつ正確に弾き、彼女の意識を、神聖な静寂バキュームへと叩き落とした。


「……管理代行者とは、都の鏡でなければなりません。……貴女がこれほどまでに熱を帯びていては、都全体の魔力濃度が狂ってしまう。……いいですか、セレレス。貴女の心臓の鼓動は、都の歯車の一つに過ぎない。……そしてその歯車を回すのは、この私の指先だけです」


「はい……っ、はい……!! あぁ、幸せ……。……私、私は……貴方の部品として、貴方の規律の中で……永遠に磨かれていたい……ッ!!」

 聖女としての誇りも、人間界の象徴としての矜持も、アルベルトの指先の前では無意味であった。彼女はただ、自分を完璧に律し、支配してくれる「管理者の存在」に、魂のすべてを預けてしまったのである。


 ルナリスは、その光景を眺めながら、不意にアルベルトの背中に腕を回した。

「……アルベルト。……もう良い。……あやつの調律はそれで十分だ。……次は、視察で疲れた『余の心』を、誰よりも丁寧に整える番だろう?」


 アルベルトは、蕩けきったセレレスを冷徹に見下ろしながら、背後のルナリスの手を優しく取り、その甲に接吻を落とした。

「御意のままに、ルナリス様。……都の刷新は終わりました。……これよりは、主人のためだけの、私的なメンテナンス(新婚の時間)を執り行いましょう」


 刷新された聖都の最上階。

 一人の執事によって「世界の部品」へと再定義された聖女と、その執事を「私生活のすべて」として独占する魔王。

 魔王城「パンデモニウム」の影響力は、もはや一つの国家を超え、世界そのものをアルベルトという規律の檻の中に、美しく、過激に閉じ込めようとしていた。


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