第23話:規律の解除(メンテナンス)
魔王城の最深部、外界の音を一切遮断した「特別メンテナンスルーム」。
そこは、アルベルトがこの城に「究極の奉仕」を確立するために作り上げた、家政と魔導の粋を集めた聖域である。
真っ白な大理石の台の上に、魔王軍最高幹部筆頭、カサンドラは横たわっていた。
数百年の間、一分一秒たりとも欠かすことなく纏い続けてきた漆黒の軍服は、今は床に無造作に投げ捨てられている。露わになった彼女の肢体は、魔族らしい高潔な白さを保ちながらも、その深部では「規律」という名の過酷な重圧に耐え続けた代償が、痛々しいほどの強張りとなって刻まれていた。
「……く。……殺せ。……このような辱めを受けるくらいなら、いっそ……」
カサンドラは、溢れそうになる涙を堪え、顔を背けた。
魔力中和剤を含んだアロマによって、彼女の誇りであった強大な魔力は完全に封じられている。今の彼女は、城を支える筆頭閣下ではなく、ただの震える一人の女性に過ぎなかった。
「辱め、でございますか? 心外ですね」
アルベルトは、一点の曇りもないワイシャツの袖を、その逞しい前腕が剥き出しになるまで捲り上げた。
「私は、主人の大切な資産を『清掃』しているに過ぎません。……閣下、貴女のこの背中を見てください。魔力を無理やり循環させ、結界を維持し続けたせいで、経絡がズタズタに毛羽立っている。……これでは、いつ魔力が暴走して自壊してもおかしくありませんでしたよ」
アルベルトは、水晶の小瓶に満たされた黄金色の香油――「神の吐息」を、彼女の項から背中にかけて、ゆっくりと注ぎ込んだ。
「ひ……、あ…………っ!!」
カサンドラの身体が、熱を帯びた油の感触に弓なりに跳ねる。
「動かないでください。……ここからが、本番です」
アルベルトの大きな掌が、彼女の肩甲骨の間に、容赦のない、しかし完璧な角度で沈み込んだ。
グ、という鈍い音と共に、カサンドラの脳裏に閃光が走る。それは、数百年分の「凝り」と「責任感」が、執事の指先によって物理的に粉砕された音だった。
「あ、あああああッ!? なんだ……なんだ、この衝撃は……! 脳が、割れる……!!」
「貴女が守り続けてきた『規律』という名の鎧を、今、私が解体しています。……閣下。貴女は、ルナリス様を育てるために、自分を殺しすぎた。……その『自分を殺すという嘘』こそが、この身体に溜まった最大の汚れなのです」
アルベルトの指先は、皮膚を透過し、直接神経の深部へと潜り込んでいく。
彼は迷いなく、カサンドラが誰にも触れさせなかった「魔力の核」の周囲を、慈しむように、しかし徹底的に揉み解していった。
一揉みごとに、カサンドラの意識は白濁し、彼女を縛っていた「鉄の意志」がドロドロと溶け出していく。
「……は、はぁ……っ。……アルベル、ト……。……やめろ、もう……。余の……私が、私でなくなってしまう……」
「それでよろしいのです。……『筆頭』などという仮面は、明日の朝、また被ればいい。……今この瞬間、この部屋にいるのは、私の管理下にある、一人の弱くて不器用な女性……カサンドラ、貴女だけです」
アルベルトの声は、どこまでも低く、逃げ場を許さない甘い支配の色を帯びていた。
彼は彼女の腰のラインに沿って掌を滑らせ、滞っていた魔力の奔流を、強引に、かつ完璧な導線へと流し戻していく。
カサンドラの瞳は虚ろになり、その薄い唇からは、規律の象徴である彼女が決して漏らしてはならない、蕩けたような吐息が絶え間なく溢れ出した。
「……あ、あぁ……。……気持ち、いい……。……こんな……こんなことが……許されて、いいのか……」
「許すも許さないも、ここは私の領域です。……さあ、すべてを吐き出しなさい。……貴女の孤独も、重圧も、私がすべて飲み込んで、美しく磨き直して差し上げましょう」
執事による、肉体と精神の完全な「初期化」。
カサンドラは、アルベルトの指先が自身の深淵を掻き回す感覚に、抗うことを完全に放棄した。
魔王城の「法」は、今、一人の執事の膝の上で、至高の安らぎという名の暴力によって、跡形もなく崩壊していた。
数時間後。
メンテナンスを終えたアルベルトは、汗一つかかぬ涼しげな顔で、ぐったりと横たわるカサンドラに、最高級のシルクの布を掛けた。
カサンドラの顔には、もはや鋭い銀の瞳はなく、ただ、長い間忘れていた「満ち足りた安眠」を求める、幼い少女のような安堵が宿っていた。
「……お疲れ様でした、カサンドラ様。……明日の朝、貴女は魔王城史上、最も美しく、そして最も『私に従順な』筆頭として目覚めることでしょう」
アルベルトは、彼女の額に、契約の完了を告げる静かな口づけを落とした。
翌朝。
玉座の間。現れたカサンドラの姿に、ルナリスをはじめとする全最高幹部が言葉を失った。
軍服の着こなしこそ以前と同じだが、その肌の輝き、そして何より、アルベルトを一瞥した瞬間に頬を染め、スッと目を逸らしたその「隙」の多さは、彼女が完全に執事の毒に侵されたことを物語っていた。
「……カサンドラ。貴殿、まさか……」
ルナリスの問いに、カサンドラは震える声で答えた。
「……ル、ルナリス様。……この人間は、危険です。……ですが、この城に……そして私には、必要な存在であると……認めざるを得ません」
最高幹部筆頭、カサンドラ。陥落。
魔王軍最高幹部、ここに全員の攻略が完了したのである。
だが、その様子を見ていた魔王ルナリスの心中には、かつてないほどの巨大な「焦り」が渦巻いていた。
「……全員。全員、あやつに毒されたか。……ならば、最後に残るは……余とアルベルト、どちらが『本当の主人』か、白黒つける時が来たようだな」
物語は、魔王城の平和を維持するための、アルベルトと全女性幹部たちによる「究極の寵愛争奪戦」へと突入する。




