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第22話:崩壊する完璧主義

 魔王軍最高幹部筆頭、カサンドラ。彼女は魔王城「パンデモニウム」において、法そのものであり、規律の象徴であった。しかし、その「鉄の女」に課せられた、あまりにも不条理な執事断罪試験の全項目を、アルベルトは日没の鐘が鳴り響くよりも遥かに早く、完璧な形で完遂してみせた。


 三千枚に及ぶ古文書の解読は、単なる翻訳に留まらず、後世の文官が参照しやすいよう完璧な索引インデックスまで付され、城壁の魔力洗浄は、一滴の染みも残さず、城全体が新築の神殿のような輝きを取り戻していた。さらには、三千年の間、誰も解くことができなかった大書庫の「怨念の呪い」に至っては、アルベルトが散布した特製洗剤の前に、ただの「不衛生な埃」として塵取りの中へ掃き出されたのである。


 カサンドラは、自らの執務室で、石像のように硬直していた。

「……馬鹿な。あり得ん。あり得んのだ……。人間一人の、それもただの執事の手によって、魔王城が積み上げてきた三千年の停滞が……これほどまで、容易く……」

 彼女の震える指先は、アルベルトが「ついで」に提出した、魔王城の魔力供給網の最適化案を握りしめていた。そこには、カサンドラが数百年にわたり、己の身を削って維持し続けてきた結界の欠陥が、赤ペンで容赦なく、かつ完璧な論理で修正されていた。それは彼女の人生そのものを「非効率」だと断じる、残酷なまでの正論であった。


 コンコン、と。

 心臓を叩くような、正確無比なノックの音が響く。

「閣下。……約束の時間です。ご確認は、済みましたでしょうか?」

 音もなく扉が開き、そこにはアルベルトが立っていた。

 彼の燕尾服には、一日中立ち働いた形跡など微塵もなく、シャツの襟元さえも今朝と変わらぬ鋭さを保っている。一方のカサンドラは、彼を監視し続け、僅かな落ち度さえも見逃すまいと神経を研ぎ澄ませ続けた結果、極度の疲労と魔力枯渇によって、軍服の襟元さえも乱れ、瞳には隠しようのない隈が浮かんでいた。


「……合格だ。……認めざるを得ない。貴殿の技術、そして家政に対する狂気じみた執着は、我が軍の最高幹部たちを凌駕している」

 カサンドラは、屈辱に唇を噛み締めながら、絞り出すように告げた。

「だが、アルベルト。……貴殿の存在は、やはり危険だ。これほどまでの有能さは、主君である魔王様への依存を招く。……私は、貴殿を認めはするが、受け入れることは――」


「お喋りの時間は、既に終了しております。カサンドラ閣下」

 アルベルトの言葉と共に、部屋の照明が僅かに落とされた。

 カサンドラが異変に気づいたときには、彼女の背後にアルベルトが音もなく立っていた。逃げようと魔力を練ろうとしたが、指先一つ動かない。彼女の身体を流れる魔力は、アルベルトが部屋に事前に充満させていた「魔力中和剤入りの特製アロマ」によって、完全に霧散させられていた。


「な……ッ!? 貴様、あえてこの部屋を試験会場に指定したのは、このためか……!」

「執事にとって、環境の整備は勝利への最低条件です。……閣下、貴女は『魔王城の法』であることを自負されていますが……。その法そのものが、長年の摩耗によってボロボロになり、今にも自壊しそうな欠陥建築となっている。……それを放置することは、執事として、そして魔王様の従者として、最大の『不潔』です」


 アルベルトは、抵抗する力を奪われたカサンドラの肩に、大きな掌を置いた。

「……貴女は、ルナリス様を立派に育てようとするあまり、自分という唯一無二の資産を酷使しすぎました。……肌は荒れ、筋肉は強張り、精神は絶え間ない過緊張によって、一睡もできぬ不眠体質に陥っている。……そのような壊れかけた部品を積んだまま、筆頭を名乗るなど、主人への不敬極まりない」


「……黙れ。……私は、教育係なのだ。……魔王様を、立派な王に……余計な感情を排した、強き王に……しなければならないのだ……」

「今の貴女の、その死人のような顔を見れば、ルナリス様は悲しまれます。……それが、主人のためになるとお思いですか?」


 アルベルトの問いかけが、カサンドラの心の最も脆い、そして最も深い部分を容赦なく貫いた。

 彼女は魔王の教育係として、常に「完璧な上司」であることを演じ続けてきた。誰にも弱音を吐けず、誰の手も借りず、ただ独りで城の重圧を背負い続けてきた孤独。

 アルベルトは、彼女の軍服の第一ボタンに、指をかけた。


「……ま、待て。……何を、するつもりだ。……離せ、人間……っ!」

「解体です。……貴女を縛り、追い詰めているその『規律』という名の、重くて硬い鎧。……今すぐ、私の指先ですべて脱がせて、跡形もなく洗浄して差し上げましょう」


 アルベルトは、カサンドラを軽々と横抱き(お姫様抱っこ)に抱え上げた。

 彼は、抵抗を許さぬ足取りで、城の深部にあるメンテナンスルームへと歩み出す。途中の回廊で、ルナリス、バルバラ、メルヴィ、ゼノビアの四人と出くわしたが、アルベルトは彼女たちの驚愕の視線さえも涼やかに受け流し、一言だけ告げた。


「今夜は筆頭閣下の『特別全分解フル・オーバーホール』を行います。……明日の朝まで、何があってもこの扉を開けないでください。……たとえ、どのような、聞き覚えのない『声』が聞こえてこようとも」


 メンテナンスルームの重厚な防音扉が閉じられ、カサンドラは真っ白な大理石の台の上に横たえられた。

 彼女は、初めて味わう「完全に無力化された自分」に震えていた。魔力も、地位も、規律も、この部屋の中では何の意味も持たない。


「……さあ、筆頭閣下。……いえ、カサンドラ。……一人の女性に戻る時間ですよ。……貴女のその凍りついた身体、私の指先で、溶けるまで磨き上げて差し上げましょう」


 アルベルトが、黄金色に輝く最高級の香油を手に取った。

 カサンドラの軍服が床に落ち、彼女が数百年間誰にも、自分自身ですら見つめ直さなかった「過酷な統治の代償」が、アルベルトの冷徹で慈悲深い瞳の前に、一糸纏わぬ姿で晒される。


 規律の権化、カサンドラの完全なる崩壊。

 執事アルベルトの「お世話」は、ついに魔王城の最後の良心をも、背徳的な安らぎの深淵へと叩き落とそうとしていた。


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