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第13話:天才の栄養学

 時計塔の「空間洗浄」が完了し、三百年ぶりに磨き上げられた大理石の床が姿を現したのも束の間。アルベルトは、次なる「不衛生」の根源を特定していた。


 それは、部屋の主である参謀メルヴィその人の肉体である。


「メルヴィ様。失礼を承知で申し上げますが……貴方のその体格、もはや『細身』を通り越して『枯れ木』の域に達しております。これでは主人の知恵袋として、いつ機能停止してもおかしくありません」

 アルベルトは、メルヴィの細すぎる手首を指一本で掴み、その脈動を確認した。


「あはは……。食事なんて、面倒だなぁ。魔力さえあれば、脳は動くしぃ……。噛むとか飲み込むとか、その時間がもったいないんだよぉ、執事さん」

 メルヴィは床に座り込み、アルベルトが整えたばかりの真っ白な床に、さっそく新しい魔法陣をチョークで描きなぐろうとしていた。だが、その指先は微かに震え、肌の色は病的なまでに青白い。


「『魔力があれば動く』というのは、燃料を直接エンジンに流し込んで機体を焼き切る無能な整備士の言葉です。……執事として、主人の資産である貴方の『脳』を、そのような劣悪な環境で酷使させるわけにはいきません」

 アルベルトは無言で背を向けると、どこからともなく取り出した執事専用の「携帯用調理魔導炉」を起動させた。


 時計塔の清浄な空気に、突如として芳醇な香りが混ざり始める。

 それは、濃厚な鶏の出汁に、人間界の秘境でしか採れない多種多様な薬草、そして魔界の深層で育った『知恵の果実』を数滴垂らした、アルベルト特製のスープの香りだった。


「……ん。……何、この匂い。……僕の知らない、情報の密度を感じるんだけどぉ」

 魔法陣を描く手を止め、メルヴィがふらふらと立ち上がった。空腹すら忘れていたはずの彼の胃袋が、アルベルトの演出する「香りの暴力」に屈し、これまでにないほど激しく鳴り響いた。


「『至高の知能食ブレイン・フード』でございます。メルヴィ様、貴方のように咀嚼すら惜しむ怠惰な天才のために、喉を通る瞬間に栄養が毛細血管まで行き渡るよう、分子レベルで調整いたしました」

 アルベルトが差し出したのは、透き通った黄金色のスープ。その中には、細かく刻まれた魔界鶏のササミと、脳の活性化を促すナッツ類が、宝石のように散りばめられている。


「いいから、一口。……さあ、主人の命令だと思って召し上がりなさい」

「……えぇ。……じゃあ、毒味のつもりで……」

 メルヴィはおずおずと、アルベルトの手にあるスプーンから一口分を口にした。


 瞬間、メルヴィの瞳が限界まで見開かれた。

「……っ!? なんだ……これ。……情報が……情報の奔流が、直接脳に突き刺さる……!!」

 ただの美味ではない。それは、極限まで磨き上げられた「効率」の味だった。

 口に含んだ瞬間、重度の栄養失調で霧がかかっていた彼の思考が、一気に晴れ渡る。滞っていた魔力の回路が熱を帯び、細胞一つ一つが歓喜の声を上げるような感覚。


「噛む必要はありません。そのまま飲み込めば、私の魔力が貴方の消化を助けます。……さあ、次はこれです。片手で持てて、書類を汚さない『執事特製サンドウィッチ』。具材は、集中力を高める青魚のマリネと、精神を安定させるハーブです」


「……おいしい。……おいしいよ、これぇ。……ねぇ、執事さん。僕、これがあれば、三日三晩眠らずに計算し続けられる気がするんだけどぉ」

 メルヴィは夢中でサンドウィッチを頬張った。その頬には、数百年ぶりに健康的な赤みが差し、死んでいた瞳には、鮮烈な知性の輝きが戻っていく。


「三日三晩眠らないなど、不潔の極みです。……メルヴィ様。貴方の知能は、私の『管理』の下でこそ、真のポテンシャルを発揮する。……そう思いませんか?」

 アルベルトは、メルヴィの口元をシルクのナプキンで優しく、しかし有無を言わせぬ所作で拭った。


 胃袋を掴まれるということは、生存権を握られるということと同義である。

 メルヴィは、目の前の執事が差し出す「最高の栄養」に抗えない自分を自覚していた。自分一人では、絶対に辿り着けなかった「身体の最適化」。


「……あはは。……降参だよぉ。……僕、もう君のスープがないと、まともな式が書けないかもしれないなぁ」

 メルヴィは満足げに息を吐き、アルベルトの膝元に力なく頭を預けた。

 天才の傲慢さは、至高の一皿によって、心地よい「依存」へと書き換えられていった。


「よろしい。……では食後の運動として、次はあのゴミの山から救出した魔導書三万冊の『完璧なファイリング』を手伝っていただきますよ」

「えぇ……。……やっぱり掃除するのぉ……?」

「当然です。……主人の知恵袋を、埃だらけのままにしておくわけにはいきませんからね」


 参謀メルヴィ、陥落。

 しかし、二人の親密な「補食タイム」を、遠く玉座から水晶球で見つめる、静かな怒りを湛えた瞳があった。


「……アルベルト。……貴殿は、余の参謀にまで『あーん』をしているのか……?」

 魔王ルナリスの独占欲が、臨界点に達しようとしていた。


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