第十八話
街道をどこまでも自由気ままに駆け抜けるそよ風。
その風に平野の草々が踊る。
左手には深緑の森林がどこまでも広がっていた。
その手前に鎮座する三メートルほどの白い巨岩。
森の世界と人の世界の境界だと言わんばかりの存在。
「封魔石」は、そんな魔の気配を抑え込んでいた。
対照的に右手は手付かずの平野。
背の高茅が風に波打っている。
その中に点在する木々が視界を遮っていた――
その、のんびりした空気が一変する。
最初に異変を察知したのはサララさんだった。
風に乗ってきた微かな異臭。
その匂いに鼻をひくつかせる。
「この風の匂い……」
危険を感じたサララが険しい表情を浮かべた。
「エニィっ! 気をつけろ。何か来る……」
「……わかってるわ」
唇をギュッと噛み締め、いつになく真剣な表情のエニィ先生。
その様子に、オレは固唾を呑む。
その直後、先頭を行くテオドールが異変を察知。
前方の地平線から不自然に立ち昇る黒い土煙を指差した。
全員に臨戦態勢を告げる警笛の笛を鳴らす。
と、同時に全員の顔に鋭い緊張が走る。
あらかじめ決めてあった陣形。
気づけば、皆それぞれの持ち場に散っていた。
前衛の剣士たちは腰の剣に手をかけた。
そして、いつでも抜き放てるよう重心を低く落とす。
中衛の弓兵はすでに矢を番える。
大きく息を吐きながら心を落ち着かせた。
顔を引き締め鋭い視線を送る。
弦に指をかけ、引き絞る指先には全神経を集中させていた。
魔術師たちは杖の先端を目標へと定める。
その後、唇を微かに動かして呪文の詠唱――その予備動作に入る。
さらに最後尾には回復術師が心を静めている。
不安を取り払いたいのか。
神への祈りか。
それは分からない。
が、無意識に聖印を握りしめていた。
負傷者が出れば、すぐさまに癒す。
そんな想いを込めながら、戦況全体を凝視していた。
無駄のない。
あまりに手慣れた冒険者の動き。
オレはその練度に圧倒される。
そんなオレは、ただ固唾を呑んで見守ることしかできなかった。
――地面が、激しく揺れる。
視界を埋め尽くさんばかりの土埃。
風が土埃を巻き上げ、徐々に巨大な影が肉薄する。
影が、輪郭を持って迫る。
目視で確認できる距離。
視力がいいシーフのテオドール。
ついに、魔物の正体を判別した。
「ちっ……エダクス・ボアかよっ……」
憎々しげに舌打ちをしながら、テオドールが大声で叫ぶ!
「気をつけろっ! エダクス・ボアだっ!」
それは、数十体の猪の魔物の姿だった。
体は二メートル程、毛が固く刃が通りにくい。
そして、何より「貪欲」。
何もかもを食い散らかす。
冒険者でもあまり出会いたくはない相手。
逃げようとしても、鼻もよく、足が速い。
出逢えば、その貪欲ぶりに身の毛がよだつほどだ。
唯一、逃走する方法。
それは背負っている食料。
だけにはおよばず、手に持っている武器や防具。
はたまた道具まで放り投げる。
奴らがそれに夢中になっている隙を突くしかない。
冒険者にとって、それは全財産――
いや、命を預ける相棒を捨てるに等しい屈辱だ。
逃げれば無一文。
戦えば食い殺される。
だからこそ、冒険者は最も出逢いたくない魔物だ。
――『貪欲者の掃除屋』。
皮肉を込めてそう呼ばれていた。
「ローダーは前に出て、進路を塞げっ! その後ろから弓と魔術だっ! 合図で打ち込めっ! いくぞっ!」
「「「おおっ!!」」」
ギルド長の張りのある、よく通る声が響く。
その声に、冒険者に緊張が走った。
「……2……1……打てっ!!」
その合図に攻撃が始まる。
――ヒュン! ザシュ!
弓兵の矢が突き刺さる。
だが――止まらない。
肉に食い込んだ矢ごと、構わず突進してくる。
「止まらねぇぞっ!?」
「――それは全てを焼き払う『フレイム・ストーン』」
放たれた炎の石弾が、群れの先頭に直撃。
爆ぜる火炎。焼ける毛皮。
だが――
「……っ、効きが浅い!」
「まだだっ! 第二射構えっ! てぇぇぇ!」
同じように、攻撃を繰り返す。
だが、有効打にはなり得ていない。
ローダーも突撃を考えるが、後ろのことを考えると動くに動けないでいた。
足を踏ん張り、前傾姿勢を保ちながら突進に備えていた。
「先生っ! これ、まずくないですか?」
「そうね。今のままだとまずいかも知れないわね。けど、ほら見て」
先生に指をさした方を見る。
さすがに攻撃を喰らいすぎたのか一頭が絶叫を上げながら倒れる。
その倒れた猪の近くにいた二頭の猪が反応する。
そして……貪り始めた……
「うげっ……共食いもするのかよ……」
「……そうね、それが奴らの習性ですからね」
「でも、これなら倒せそうなのではないですか?」
「そうね。このパーティなら倒せるとは思いますが、こちらもそれなりの被害がでそうね」
「……それなりとは?」
「こちらの何かを貪られるか……けが人が何人か出るか。それが、何かは分かりません。が、軽微とはいかないでしょうね」
その言葉を聞いて、オレはなんとかしたいと思った。
けれど、力も知恵もないオレに出来ることなど何もない……
無力さ……誰かに頼るしかない。
こんな時、何もできないオレは歯がゆさを感じてしまう。
「なんとか、ならないのでしょうか?」
力なくオレはエニィさんに尋ねてしまった。
どれだけ、オレはエニィさんに負担をかけてるんだよ。
そんな、気持ちすら湧いてくる。
けど、それでも、皆無事であってほしい。
そう思ってしまう。
そんな様子のオレにエニィさんが声を掛ける。
「どう? これで、理解した? フィル君がどれだけ無謀だったかを」
「うっ……」
その問に、オレは何も言い返せなかった。
こんなにも危険だなんて、知らなかった……
これ、もし二人だけで抜け出してたら……
もし、ヒュリエが大怪我……
いや、死んでいたりなんかしたら、オレは……
そんな想像をするだけて、オレは恐怖に身震いをした。
「……ほんとに、そうです。わたしが愚かでした……」
「………ま、まぁ、わかってくれたならいいのよ。でも、これからは、よく考えて行動すること。感情に流されそうになったら、一度立ち止まって冷静に判断しなさい。それは、君にとって決して悪いことではないでしょう」
「そう……ですね。そうします。でも……先生もギャンブルをするときは一度立ち止まる方がいいと思いますよ」
「ぐっ……それは、今は関係ないでしょっ! ……まったく。ふふ」
「そうですね。はは」
オレは言われっぱなしは気に入らなくて、ささやかな反撃をしてみた。
しかし、それは襲撃の緊張をほぐす効果があったのかもしれない。
お互い、こんな状況だというのに少し気持ちが和らいでいた。
そんなオレたちとは裏腹に、オレの隣のローダーから唸り声が聞こえる。
「ううぅ……つまんないぃぃ! もう無理っ! ちょっと、行ってくる!」
――バシュンッ!
と、激しい破裂音が響くとヒュリエのローダーが勢いよく飛び出した。
「なっ! え……はやっ! なに、あれっ!?」
「さすが、戦闘特化のローダーね。突進力が段違いね」
「そ、そうなんですか? でも、一気に加速したというかなんというか……」
「あれは、ローダのいたるところに取り付けてる風の魔石のおかげよ」
「魔石?」
「そう、風魔石の凝縮した大気を利用して加速するの。ほら」
――バシュン!
今度は横方向に、そして、また前進へ。
と、走りながらこまめに加速を繰り返していた。
「あんな自由自在に加速ができるんですかっ!?」
「そう……ね。結構、魔力の消費が激しいのに、やるわね。それじゃあ、わたしも少し手を貸すことにしますか。ふふ」
少しいたずらぽい表情のエニィ先生。
ローダーの腕を前に出し、開いた右手を左手で抑える。
そして、詠唱を始めた。
「蒼き眠りを解かれた氷の貴婦人『スネグルカ』。絶対の零の地より来りて、其の凍氷の腕に抱かれて永遠に眠れ ゲフリーレン・フェルト」
開いた右手に凍気が凝縮し始める。
キラキラと雪の結晶すら見えるほどの氷。
それが、詠唱を終えると勢いよく飛んでいく。
そして、それは土埃を上げながら迫る猪。
その目の前の地面に落ちると一瞬にして辺りが氷結した。
「サララっ! 滑るから気をつけて!」
「分かっている! 問題ない」
「ヒュリエ様も気をつけて」
「りょうかいっ!」
エニィ先生が打った氷結の魔術。
それを見た冒険者たちが一瞬呆然としていた。
「中級魔術か? ……あれは? ……にしては、範囲が広い。さすがS級ってことか」
「あんたも、使えるんじゃなかったっけ?」
「使えるのは使えるが……あそこまでの範囲はだせない……それに、あんなの打ったら、即魔力切れだ」
そんなざわついた雰囲気をギルド長が諌める。
「お前らっ! 手を休めるなっ! 今が好機だっ! 弓と魔術を仕掛けながら前衛は前へ出ろっ! ローダーも仕留めにかかれっ! 見ろよ、アイツ等止まれずに転倒しているぞっ!」
その声に皆「はっ!」と、我に返る。
目の前の猪は、速度が出て急には止まれず凍結の路面に足を取られ転倒した。
そのまま、勢いよく滑り止まった場所で立ち上がろうとする。
しかし、路面が滑り立ち上がれずに、、もどかしけな雄叫びをあげている。
そこに、ヒュリエとサララが飛び込んだ。
ヒュリエは手に持ったハルバートを振るう。
「まずは一体っ!」
凍結した路面を滑りながら猪のクビを刈り取った。
断末魔を上げるまもなく猪の体と首は永遠の別れを告げた。
そのまま、滑走するヒュリエ。
その横から、なんとか立ち上がった猪が突っ込んできた。
それを、横に加速して避ける。
その後、肩に載っていたサララが勢いよく飛び降りる。
既に両手で抜き放たれていた『ファルシオン』で猪に狙いを定める。
そのままの勢いで、顔にファルシオンを切りつける。
切りつけられた猪から、噴水のような血しぶきが飛ぶ。
今度は、断末魔を上げた。
と、同時によろよろと二、三歩、歩く。
その後、ゆっくりと横倒しに倒れ、二度と立ち上がらなくなった。
だが、猪たちも滑りながらも立ち上がりだした。
一際、大きな雄叫びを上げた猪がいた。
それは、始めに倒された猪を貪っていた、一際大きい猪だった。
その雄叫びに、猪が態勢を立て直す。
「あれが、頭か……少し遠いな」
サララがそう言った瞬間!
それは突然だった。
「!? お嬢様! 避けてください!」
「え? なに?」
見ると態勢を立て直した猪。
その猪はヒュリエの後方から突進した。
避けきれず、突進を食らったヒュリエのローダー。
それは、前に吹き飛ばされ転倒する。
――ズサァァァ!
「きゃあああああ!」
数メートル滑り続け凍結の路面から出たあとにローダーが止まった。
「……いたた……もうっ! なんなのよっ! むかつくわねっ!」
文句をいうヒュリエ。
しかし、そんない気もつく暇もなく猪がローダーに足で踏みしめた。
――ガンッ! ガンッ!
二度、三度、もっと今までのお返しとばかりに猪は踏みつけ続けた。
「くっ……、よくもぉぉぉ! きゃあああ!」
と、立ち上がろうとするヒュリエだが体重をかけられ、中々起き上がれない。
そして、猪がついに口を開けて噛み付こうとした瞬間!
――ザシュッ!
それは、冒険者のローダーだった。
先行していたヒュリエの機体。
そこに遅れてやってきた冒険者のローダー。
そのローダーの剣が猪の胴体を貫いていた。
猪は目の前のヒュリエに夢中で近づいてきたローダーに気づかなかった。
そこに、剣を突き刺された。
何が起こったかも分からないまま、また一頭、絶命したのだった。
「大丈夫かっ!?」
「……余計なことを……わたし一人でもどうにかなったわよっ! ふんっ!」
「んだとっ、てめぇ! オレがこなかったらなぁ……」
「……で、でも、ありがと……う……」
「え……ああ……」
その後、立ち上がったヒュリエの勢いは凄かった。
既に四頭の猪が倒され、残り七頭になった猪。
その中でも、未だに数頭が立ち上がるのに苦戦している猪。
それを後ろからやってきたローダーと冒険者の剣士が狙いを定めた。
だが、何度も切りつけるが刃が中々通らない。
本来なら、そこで猪の首で打ち上げられる。
突進を喰らい、下手をすればそれだけで一命をなくすところだ。
だが、今は足の踏ん張りの効かない猪。
反撃などできようはずがない。
それが、その冒険者の救いとなっていた。
ローダーも攻撃を仕掛ける。
だが、路面が凍っているために踏み込めないでいる。
そのために、槍で攻撃……
なのだが、届かない。
そんな様子に、痺れを切らした冒険者が愚痴る。
「スクロール弾つかえやっ! 出し惜しむなっ!」
「バカ言えっ! いくらすると思ってんだっ!」
魔力量が少ないローダー乗りの虎の子のスクロール弾。
いざという時の切り札。
しかし……そう簡単には割り切れない。
そんな、世知辛い事情があるようだ。
その中を勢いよく飛び出すヒュリエのローダー。
「がぁぁぁ! よくもやってくれたわねっ! くらえっ!!」
屈辱の転倒に怒りながら、ヒュリエはハルバートを強く握り締め疾走するのだった。




