第十三話
夕闇に沈む『セクト・アーデ』の西門。
門に戻ると、注がれたのは衛兵たちの驚愕の視線だった。
それもそのはず、オレの体は返り血……
いや、魔獣の体液で緑色に染まっていたのだから。
だが、今のオレにはそれを気にする余裕はなかった。
「……フィル君。大丈夫、あとはわたしが報告しておくわ。今日はもう、休みましょう」
エニィ先生の声は、ただの「音」としてしか認識できない。
返事も曖昧に、オレは重い足取りで屋敷の奥へと向かった。
§§§
風呂場に向かったオレは脱衣所の鏡に驚く。
映った姿は、滑稽で不気味だった。
五歳の幼児の肌に、へばりつく魔獣の粘液。
触れるとぬちゃぬちゃと嫌な音を立てる。
それは、オレの肺に染み付いた「死」の匂いを放っている。
(――ターゲット確認。排除モードに移行)
脳の奥底に、こびりついて離れない冷徹な電子音声。
あれは、夢ではない。
魔力測定で絶望するはずのオレ。
なのに、なにか得体の知れない「怪物」が潜んでいる。
そう思えているからだ。
「……くそっ」
震える手で湯を浴びる。
緑色の液体が足元に流れ落ちていく。
しかし、心臓の奥で鳴り続ける不協和音は消えてくれない。
掃除の侍女がこの惨状を見たら悲鳴を上げるだろうな、
という場違いな自嘲が漏れた。
洗い流したいのは血だけじゃない。
あの、謎の音声も心の中から消したかった。
オレは、自分が手にしてしまった力の正体をまだ知らない。
§§§
――ヒュリエの部屋。
ぽふっ。
と、ヒュリエはベッドに腰を下ろし仰向けに寝転がった。
小さい頃、父から送られたものだろうか?
年季が入っている大きめのうさぎのぬいぐるみを抱えていた。
耳や腕は多少の擦れや色も褪せているが、大事にされているのがわかる。
それを、上に掲げ話しかけた。
「なんなのよ! あの子っ!」
年下のくせに生意気よっ!
このわたしに説教とか、何様のつもり!?
立場を理解しなさいよねっ!
「………ほんとに分かってよ」
願うように弱々しく呟いたヒュリエ。
その時、大好きなぬいぐるみもギュッと抱きしめた。
あんな、くだらないことしか出来ない貴族とは違う。
このわたしに向かって意見をしてくる。
あんな子は初めてだった。
けれど、不思議と嫌な気分にはならなかった。
まるで、すこし生意気な弟が出来た気分。
だからなのだろうか、フィルといると楽しいと思えたのは。
他の子は、わたしの家名にへりくだるか、ご機嫌を取ろうとするだけ。
そんなやつらは、こっちからお断りよっ!
わたしは、強くなりたかった。
強くなって、いつか……
「………いつかなんてあるのかな?」
家はお兄様が継承する。
わたしの目標だった『ベイマール』も……
三歳の頃、見た朝焼けに照らされたお父様の『ベイマール』。
その光景が目に焼き付いて離れない。
その時、いつか私が乗り込むんだっ!
そう決めて、今まで頑張ってきた。
わたしの我が儘で、手足が届くように改造してもらった。
母様や兄様は反対した。
けど、父様だけは別だった。
「まぁ、いいではないか。こやつがやる気を出しておる。その意気込みを買おうではないか」
そう言って、改造の許可が降りた。
その後、わたしは全力で練習した。
夏は汗臭いと言われながらも操縦席で練習を。
冬はどんなに寒くても、震えながらでも冬の戦い方を学んだ。
剣術だって、魔術だってなんでもやった。
必要なことならなんでもっ。
ヒュリエはぬいぐるみの腕を掴んで握り出す。
そんないつかは来ない……
そうと知っていても、諦めきれなかった。
「そんな思いで乗っているというのに、あの子達はっ!」
怒りに震えながら今度は耳を力の限り握り締める。
あの、やる気がない態度。
だらだらと脳天気に適当に流している。
だから、注意した。
すると「ハイハイ」と返事するだけ。
その瞬間、気が付けば殴っていた。
すると、恨みたらしい瞳で睨み体を震わせ、拳を振り上げた。
けど、そこまでだった。
わたしの家名に怯えたのね。
もし、反撃しても返り討ちにしてやったけどねっ。
けど、異変が起き始めたのはその頃からだった。
はじめは他愛のないこと。
荷物をぐちゃぐちゃにされたり、飲み物がこぼされていたり。
ほんと、くだらない嫌がらせだ。
それを問いただすと「さっき動物が逃げていくのみたぜ」。
「ですって。嘘も大概にしなさいよっ!」
イラついたわたしは、また殴った。
ほかの子は「師範に相談すれば?」。
そんなの家の恥よ!
出来るわけないでしょっ!
けど、黙っているとどんどん陰湿になる。
それで揉めると、今度はローダーの師範にも注意を受ける羽目になった。
そんな時に、嫌らしく笑うアイツ等。
決して、わたしは忘れない。
くやしくて、苦々しくて、腹立たしかった。
カーライル家とヴァーゲンザイル家のアイツ等っ!
ゆるせないゆるせないゆるせないっ!
そんな中、今度は大事なローダーにまで手をつけてきたっ!
落書きをされたっ!
それだけならまだしも!
訓練で出来た傷とは違う、刃物で削られたような傷跡までつけられていた。
ほんとに許せなかった!
だから、フィルがわたしのローダーに近寄った時のわたしは冷静ではいられなかった。
………もうしわけないと思った。
勘違いであんなことをしてしまって。
だから、せめて起きるまで看病をしようと思った。
そんな寝ているフィルを見ていて思った。
こんな小さい子が、あんな動き出来るなんて……と。
あそこまで、わたしの攻撃を躱したのが信じられなかった。
何をしてたら、あれだけ動けるの?
そう思った。
もしかしたら、この子もわたしと一緒。
何か、求めているものがあって努力しているのかも。
そう感じてしまった。
だけど、あれは許せなかった。
途中でニタニタと嫌らしく笑ってくれちゃって!
バカにしているのだと思った。
「あれじゃあ、バカ貴族の子と同じじゃないっ!」
そう思った。
それはそうとして。
わたしは目を覚ましたら、謝ろうと思っていた。
けど、謝れなかった。
フィルと話していると、なんか楽しかった。
わたしが、何を言っても嫌な顔もしない。
媚びてもこない。
憎たらしくこっちを見ない。
むしろ、落ち着いてて心地よかった。
こんな弟が欲しいと思った。
聞けば、グラン様の息子だという。
それで納得した。
グラン様にはアルトメイア様もいる。
アルトメイア様もグラン様の跡を継ぐにふさわしいと思っていた。
優雅で、やさしくて、気高い。
それに、ローダーの扱いも上手かった。
ああ、この人は本気なんだ。
わたしと同じなんだと思えていた。
尊敬すらしている。
その弟だという。
なら、あの動きも納得できた。
きっと、この子もわたしと同じなんだと思えたから。
その後、格納庫で見かけたとき。
また、あのバカ貴族の子が、わたしのローダーによからぬことをしようとしている。
そう思って、文句を言いに出ていこうとしていた。
すると、フィルが現れた。
わたしは咄嗟に隠れてしまった。
何をするつもりなんだろう?
気になって様子を伺ってみようと思った。
もしかして、止めようとしているの?
そう思っていたけど……
その考えは幻想だった。
「まったく、あの子にはひどい目に会いました――」
そう言って、あの子達に取り入ろうとしていた。
幻滅した……
結局、フィルもこの貴族たちと同じなんだと……
もういい……
勝手に期待したわたしがバカだった。
もういい……こんな子たちにわたしの気持ちが分かるわけがない。
そう、諦めかけた。
すると。
「――じゃあ、証明すればいいじゃないですか。言葉じゃなくて、結果で」
その言葉に、わたしは感動したんだ。
そう。
それは、わたしがいつも思っていたこと。
フィルは分かってくれていたんだ。
それが、嬉しくて堪らなかった。
あの貴族の子たちが去った後、いつの間にかフィルの前に出ていた。
言葉が出てこなかった。
一杯、言いたことがあったのに。
それが、ただ一言「……ありがと」。
それしか出てこなかった。
ほんと、あの時は嬉しかったんだ……
なのに……
「――嫌いになりたくないから」
なにが「ほんとにわからないのか?」よっ!!
悪いのはあいつらよっ!
それなのに……
フィルのバカバカバカ!
なんで、分かってくれないのよ。
「むぅぅぅ!」
ヒュリエはぶつけどころのない憤りに大好きなうさぎを抱きしめ悶々としていた。
そんな時に、ざわついたドアの向うの話声が聞こえた。
もう、うるさいわね!
考え事してるんだから、静かにしてよねっ!
これだから、市政のものはっ!
そんな中で気になる単語が耳に入った。
「――聞いたか? なんでも、ご領主の御子息様が魔物に襲われたらしいぞ」
えっ……その子って……
――ガバッ!
その後、ドアに近づき話を聞いてみた。
「どうなったの? その御子息様は」
「なんでも怪我をしたらしく――」
そんな話を聞いた瞬間、ヒュリエはドアから飛び出したのだった。
飛び出した瞬間、話していた使用人はヒュリエの姿を見た。
すると、話を辞め背を正し、いつもどおりに拝礼をしたのだった。
§§§
「はぁぁ……さっぱりした。この世界にも風呂があるのはいいな」
そう思いながらも不安は拭えない。
けど、答えも分からない。
なら、今は一旦忘れることにした。
けれど……言い表せない不安はそう簡単には拭えない。
ぐるぐると頭の中で回る疑問に、答えも出せず、オレは部屋へと歩いていた。
そして、部屋の前でドアに手をかけた時、中から声が聞こえてきた。
「――ねぇ、フィル大丈夫なの? ……なんとかいいなさいよ……ぐすっ」
え? な、なに?
これヒュリエの声か?
なんで、ヒュリエがいるんだ?
それに、オレがここにいるのに誰と話してる?
「わたし、フィルにお礼も言えてないのよ……あの時、貴族の子たちに言ってくれた言葉、ほんとに嬉しかったの。それに、弟が出来たみたいで嬉しかった……なのに……そんな大怪我をして、わたし、どうすればいいの? ねぇ、教えてよ……」
な、なんか、すごく恥ずかしい告白をされている気がする。
こいつ、こんな可愛げがあったのか?
「あら、フィル君。どうしたの?」
「うあぁぁぁぁ!!?」
――ガチャ。
後ろからの突然聞こえるエニィ先生の声。
その声に焦ったオレはドアを勢いよく開け放ってしまった。
今日の報告をすませ、オレの様子を見に来たらしい。
「えっっ!!?」
涙を溜めて心配そうな表情を浮かべたヒュリエが、突然のドアの開閉に驚いていた。
そして、オレの姿をみると信じれないものを見る顔を向けてきた。
「えっ? えっ?、フィル……? えっ……?」
「や、やぁ……ヒュリエ」
「どういうことっ!? じゃ、じゃあ、ここにいるのは?」
――ガバッ!
ヒュリエは勢いよく上布団を外す。
中は何かを布で包んでいたものが設置されていた。
枕にある包帯のようにぐるぐる巻きに巻かれた布も置いてある。
「なに……これ?」
「ああ、それミーナさんが布団の湿気を取ると言って、乾燥草をくるんで置いてるんだよ。なんでも、故郷の直伝なんだって」
「はぁぁぁ……?」
ヒュリエは予想外の事に唖然とした顔をしていた。
鳩が豆鉄砲とはこのことなのかな?
そう思えるほどに。
そして、慌てたように何かを考え始めていた。
「え、じゃ、じゃあ、ちょっとまって……フィルはドアの外にいた……と、いうことは……」
――ボンッ。
って、聞こえてきそうなほどに顔を赤らめた。
そんな様子にエニィさんは「はは~ん」と、ニヤニヤしながら見てる
そして――
「ね、ねぇ、フィル。その……さっきの聞いてたの……?」
と、まるでロボットになったかのようにオレにそう訪ねてきた。
「い、いや……き、聞いてない。嬉しかったとかいうのは聞いてない」
「ガッ……き、聞いてたんじゃないのっ! バカバカバカッ! フィルのバカァァァ!」
ヒュリエはそれはそれは凄い声量のバカ発言でしたとさ。
§§§
その後、怒るヒュリエを宥めた。
宥める中で、魔物に襲われて戦い、エニィ先生のお陰で無事だったと伝えた。
死にかけた事は知らせていない。
詳しいことを話し出すと、あの事も話すハメになる。
だが、オレに説明出来る自信がないからだ。
エニィさんも、言葉では言わないが話さないオレを不信がってるのかもしれない。
そんな中でも、ヒュリエの機嫌が治らない。
そこで、エイダさんとミーナさんの取りなしでティータイムとなった。
非常に落ち着く香りで人気があるとして、カモミラティを出してくれた。
それに合う焼き菓子も用意して。
優しい甘い香りとカモミラティの香り。
その香りにヒュリエの悋気も、薄まっていった。
「あ~、この香り、落ち着くわぁ。それに、この焼き菓子おいしそう」
と、上機嫌なヒュリエにオレはホッと安堵した。
なんだかんだと、この子は自分の気持ちに素直なんだな。
美味しそうに食べる姿に、そう思わずにはいられなかった。
「それで、どうなりましたか?」
オレのその言葉にエニィ先生が真剣に話しだした。
話では、今回の件は昔、魔獣が現れた時と酷似しているらしい。
二十年前ほどに魔獣に追い立てられた魔物が街道に現れ被害を出したという。
具体的になにが起こったのかエニィ先生にオレは聞いたのだった。




