エプロンに三角巾、マスク、ゴム手袋
女性陣の集まりに呼ばれなかった悠太も、キッチンで材料を並べていた。
「チョコレート、卵、砂糖、薄力粉、それに丸いケーキ型……」
慣れないお菓子作りを成功させるために、指差し確認。
また、エプロンに三角巾、マスク、ゴム手袋と完全装備状態。エプロンと三角巾が家庭用なのがまたアンバランス。
手を使わずとも分かるようにと、手順も全て印刷してぶら下げている。
最初の行程に移ろうと紙に顔を近づけようとしたところで、インターホンが鳴った。
「…………はい、南雲です」
「急に済みません。剣人会からの使いで、今お時間大丈夫でしょうか?」
断りたいが、断れない。
剣人会絡みならば剣聖への要件で仕事だ。
無駄に汚さないように武装解除し、玄関のドアを開け。
――心臓を貫かれた。
「おやおや~? これはこれは~、いぃですねぇ。不意を突いて-、反応も出来なかったのにぃ、斬り損ねちゃいましたー」
第一印象は、色褪せた日本人形。
一五〇センチほど矮躯で、日本刀を握る少女は、ヒドく親しげな笑みを浮かべていた。
「何の用ですか、姉弟子」
「おややぁ? 用がなければ来てはいけないんですかぁ?」
「用がないと来ないのがあなたでしょう。もしないというなら帰れ」
悠太の姉弟子、つまりは武仙の二番弟子。
名は――アリエル。幕末から存在する付喪神である。
「用があるので帰りませーん。お邪魔しますよぉ」
握られていたはずの日本刀はいずかに消え、するりと中へと入る。
二つに結んだ褪せた黒髪をひょこひょこと弾ませながら、キッチンに並べられたものを発見する。
「もしや、お菓子作り中でした? うーむ、チョコレートケーキの類いみたいですけどぉ、この時期にチョコ。まさかまさかぁ~、バレンタインデーのため~」
「色恋のいの字もない付喪神からバレンタインなんて単語が出るなんて驚きましたよ」
「あー! ああー! 差別だぁー!! 付喪神差別だー!」
「残念ですが、付喪神はアーティファクト系の魔導災害でしかありません。自我を獲得した個体であろうと例外なく。災害に人権なんてあるはずがないので、差別は適応されません」
「ぶぅーぶぅー、いけずだなぁ、もう」
二人同時に、適当な椅子に腰を下ろす。
「で、何の用ですか、姉弟子。見ての通り忙しいんで茶番はやめてください」
「んー、本気なんですけどぉ、祓魔剣の剛柔を見たかったのはありますねぇ。無意識で使えるくらいに修めているようで安心しましたよ~」
「…………そのために不意打ちするのはやめてください。というか、カメラを誤魔化すなんて、いつ魔導を修めたんです?」
「いえ、現体の見え方を調整しただけですよぉ。疲れるのとー、重さが変わらないので違和感が大きくなるからぁ、あんまりやりませんがね~」
付喪神アリエルの本体は、太刀だ。
日本人形のような少女の外見は、呪力で編まれた現体でしかない。
「現体って、そんな簡単に変えられましたっけ? 本質を人の形に変換した姿になると聞いた覚えがあるんですが」
「そうですよぉ。だから、調整するのは見え方なんですー。それでも疲れるんですがね」
現体は質量を持った呪力のため、肉体そのものを変化させるよりは容易い。
ただ、比較的にという話だ。本質に根付いた姿形を変化させるとは、己の本質を偽るようなもの。長く続けば本質が偽りに引っ張られ、自我に不可逆の変化をもたらす。
己を削るという意味では、肉体を変化させる以上のリスクがある。
「で、も~、カメラ越し、ドア越しなら空の目を誤魔化せるのは凄いと思いませんかぁ? そこまでして、旋空で防がれたのは驚きましたが。ちなみにぃ、剛と柔、どっちですか?」
「剛剣です」
「ほほほう、衝撃の向きが断ち斬られた感じがしたのでぇ、柔剣かと思いましたが、剛剣ですかぁ。ならぁ、柔剣は精神とかもっと繊細な部分に干渉する力ですねぇ」
悠太が「心」の理の皆伝なら、アリエルは「技」の理の皆伝。
断流剣を極めた化け物であるからか、見せてもない祓魔剣の柔を言い当てた。
「柔剣の方も見せて欲しいですがぁ、気にすべきは別ですね――」
ずずい、っと顔を寄せる。
黒い瞳は褪せているのに、底が見えないほど深い。
「業を知りぃ、空を斬りましたか」
「……――まだ、届いていません」
「斬れないでなく届かない。語るに落ちるとはこのこと。色即是空から至った業ならぁ、方向性はそうですねぇ」
ひょこひょこと、キッチンを漁る。
良いものないかなぁ、と冷蔵庫や戸棚を開け、最終的にはバナナを一本むしり取る。
それを悠太に向けてパスした。
「皮、剝いてみてくださいなぁ」
訝しみながら剝いて、手が止まる。
房からむしり取ったばかりだというのに、バナナの身が十等分に斬れていた。
「極技、鏡花水月。触れども斬れず、触れずば斬る。中国のぉ、華山派の達人が至った剣技でしてねぇ。その人は鎧や障壁を抜いて人体を斬ることにしか使いませんでしたぁ。煩悩まみれの俗人らしい最後をむかえましたが、斬るものの選別はまさしく絶招。空だけを斬る剣を求めるならぁ、ここに至ると思いましたが、どうですかぁ? 当たりですかぁ?」
斬れたバナナを皿の上に載せ、皮をアリエルに投げつける。
顔に当たるコースだったが、アリエルはゴミ箱に入るように流した。
「ケンカ売りたいだけなら帰ってください。斬りかかるなんて、姉弟子を喜ばせるしかないことを俺はしませんから」
「ん、んん~? 何で怒ってるんですかぁ? 極技について触れなかったのはー、答えに繋がる発想を聞くのをイヤがると思ったからですよぉ。業はぁ、知るまでの過程こそが重要ですからねぇ」
剣士としては何も間違っていない。
もしも事前に見せられても、明鏡止水の業には至らない。
だから、別の部分で間違えたのだが、アリエルは言っても理解しないし、できない。
「姉弟子が人外の化け物だと、改めて思い出しました」
「ヒドーいなぁ。ちゃんと気遣ったのにぃ」
「京都で鬼面殿に会いましたけど、姉弟子へのグチや不平不満を聞かされました。人外の化け物と呼ばれたくないなら、鬼面殿に褒められるようになってください」
努力はしている、間違いない。
悠太もその点は認めるが、アリエルは人間ではない。
色褪せた日本人形のような少女だが、霊長類ではない。
――魔導災害だ。
人の振りをして、自分で自分を振るうという世にも奇妙な武器だ。
人のように動き、人外の理屈で動く、生きた骨董品だ。
「おお! よもや鬼面さんに会ったんですかぁ! そして私に対して言及したってことはぁ、兄弟子だったと明かしたんですねぇ。よくあの頭でっかちに武仙流との関係性を語らせましたねぇ。驚きですぅ。一体どんな手をぉ?」
「普通に、推理して当てました。破城剣を始め、ヒントは色々あったので……ああ、そうだ。師匠にも言いましたが、皆伝に三剣の剛柔を語らないのはどんな了見ですか。鬼面殿に言われて、懇切丁寧に説明されて、恥ずかしい思いをしました」
「先入観をもって欲しくなかったのとぉ、自力で辿り着くべきだと思ったからですよぉ。下手に教えるとぉ、選別して斬るって正解に辿り着きそうだったのでぇ。実際ぃ、ヒントになったでしょ、空を斬ることへの」
言い返したいのに、言い返せない。
エネルギーそのものでなく、ベクトルを斬って攻撃を無力化することは、まさに空を斬ることに近い所業。それがあったからぶっつけ本番で未踏魔剣を成功させたのだ。
業に至るまでそれを試さなかったのは、偏に人としてのありかたの問題。己の業を問う段階に至らない時点で、空を斬る方法を思いついたとしたら。毒にしかならなかったという確信はある。
ただし、剣士の理屈としては、だが。
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次回は、11月4日(水)1:00 を予定しております。
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