鏡花水月の業
80万字突破です! 本話で一区切り付きますが、まだ続きますのでご安心ください(笑)
「――うん、信じるよ」
脊髄反射で答えてしまった。
信じてくれますか? という問いかけは、即答すべきものではない。
悠太が構えているのは剣だ。いつもの剣型デバイスではない、よく研がれた真剣。
抜き身で構えた後の行動など、一つしかないのに、即答してしまった。
(私の人生、ここで終わるのかぁ……)
信じると言ったのに、死を覚悟するのは間違っているかも知れない。
ヴォルケーノは死にたくないとばかりに暴走しそうになるが、ライカはそれを抑える。
抑えながら目を閉じて終わりを待てば良いのに、目は開けたまま。恐怖に身を委ねて閉じようとしたが、眼前の動きに目を奪われた。
(――綺麗)
切っ先を後ろに、刃を床にした構えが、ゆっくりと動く。
神社で奉納される神楽のようにゆったりとした動作で、剣が空へと掲げられる。
無駄のない機能美はもちろんある。悠太の動作は機能美に満ちている。一足一刀などその極みであるし、立居合も例外ではない。
しかし、それだけではない。
大黒柱のように一直線に伸びる手や背中。間合いを詰める足の運び方。間合いの伸ばす柄の握り方。動作を誤認させる視界の奪い方。
合理だけでは説明の付かない神秘性が、恐怖を塗り潰す。
(――――……ぁ……)
振り下ろされる剣の軌道が、目に焼き付いてしまう。
間違いなく視認しているのに、身体が付いていかない。拘束されていることなど関係なく、脳から発せられるだろう避ける指示も防ぐ指示も間に合わない。
無銘の刃はライカの身体を通り、何の抵抗もなく振り抜かれた。
――ごくり
生唾を飲んだのは、それだけ時間が経ってからだろうか。
時間が何倍にも圧縮されているからか、痛みの信号はまだ脳に届かない。
視界の下先に映るだろう惨状を見るべく、見たくない方向に意識を動かす。
(きっと血で赤く染まって……――ない?)
振り抜かれた剣へと意識を移す。
幻想や幻覚でなく、確かに振り抜かれている。
自分の身体だけを器用に避ける軌道という、摩訶不思議な動きをするはずもない。
肩から肺、心臓を通って剣が振り下ろされ、振り抜いたなら、どう足掻いても即死。不老不死であろうとも、悠太の剣の前では無意味。
「……なん、で……?」
剣聖の理不尽さをよく知るからこその疑問。
誰に宛てたわけでもない呟きは、ライカの背後から答えが出た。
「見事……です、ね……」
力をなくした人体が、床に倒れる。
首に絡みついた腕は解け、拘束から解放される。
自由になったのに、ライカは振り返ることも、身体を動かす気にもなれなかった。
「……術理について、お聞きしても……?」
地上に溢れ出た冥府はまもなく消える。
引き金となったのは、まもなく訪れる赤い女の死去。
喜ぶべきなのに、ライカは悠太から目を離すことが出来なかった。
「色即是空、空即是色。万物万象は須く等価であり、故に無価値である。無価値の中で人はどうなるかを突き詰め、人格の無意味さ、個に固執する虚しさに至り――それらを捨てた」
「ええ、その結論は理解できます。死別のある世界の苦痛を知り、死別の克服には現世では不足であるとし、伽藍の創造に至ったワタクシですから」
悠太の至り見出した人格なき世界。
赤い破滅の創造した異界は、悠太の極致に限りなく近かったのだ。
「探求の末に至った絶招魔剣の否定は、これまでの全てを否定するようなものだった。剣聖になってからの俺は、スランプとしか言えない停滞の中にいた。価値が等価なら、本質が無意味でなら、なぜ否定したのかと。――それは、目を逸らした矛盾と向き合うことだった」
「空を斬る、ですね……剣聖に至るほどの執着を抱えたあなた様は、全てを無価値としながらも、空を斬ることを絶対とする。理に反した振る舞いです」
「だからこそ、業の兆しなのだ。理を否定せずに否定する、俺の本質があるはずだ、と」
「ええ、ええ……それをようやく、見出したのですね」
ライカは、悠太から目を離したくない理由に気付いた。
赤い女を、視界に入れたくない理屈を自覚した。
蚊帳の外に置かれた現状が悔しく、邪魔をしたくないほどに先を聞きたいのだ。
「であれば、問いましょう。あなた様はなぜ、無価値の中に価値を見出したのですか?」
「人が、無価値のモノに価値を付けるイキモノだからだ」
目を離したくない、離してはいけないのに、まぶたを閉じてしまいそうになる。
悠太の浮かべる表情に、どう向き合いばいいか、分からなくなる。
「紙切れでしかない貨幣に金額を付け、石ころでしかない宝石のために人を殺し、人の上に立ちたいと他者を蹴落とし、鏡に映る花を美しいと感じ、水面の月に風情を覚える――実体があろうがなかろうが、価値があると思ったものに価値を与える。それが人間だ」
「……客観としては、無意味……でも、主観には価値がある…………ええ、見事。見事としか言えませんが――傲慢そのもの」
異論はない。
否定もない。
赤い女がやってきたことと、同じなのだから。
同じだからこそ、先達として伝えねばならないことがある。
「価値の肯定と言えば聞こえはいいですが、他者の選択肢や価値観を奪うことにも繋がります。あなたが良いと思うものは、他者にとっては地獄そのものかもしれません。ワタクシ達にとって、死別のある世界がそうであるように。ワタクシ達の世界を、空を斬る世界のために斬り殺したように」
「当然、理解しているが――俺の都合で斬ったわけじゃない。国家の都合や、初空の未来視や天乃宮の星詠みの指示があったから、お前を斬ったに過ぎない。それないなら、俺はお前を斬らなかった」
責任転嫁をしていると、非難すべきではない。
社会を回すためには必要な機能であり、真っ当な仕組みなのだ。
人の命を扱うことは、それほどに重く、危険なこと。むしろ、個人の正義感だけで人を殺す方が危険なのだ。
「……まるで、真っ当な人間のようですね」
悠太の理屈に瑕疵はない。
瑕疵があるとすれば、悠太の人格や価値観の方にある。
「ワタクシとあなた様は、よく似ています。ワタクシの業は過去にあります。過ぎ去った日の結論を抱えたまま、その日だけを指針として生きてきました。それと比べるなら、あなた様の業は今を見ています。空を斬るために試行錯誤する今だけを見て、そこに価値を見出している。過去も未来も考慮せず」
「自覚はある。求道思想を極め、業に至るような人間が真っ当なはずがない」
「自覚があるのは素晴らしいですが、足りません。今を見るのであれば……」
ライカは、自身の背中に視線を感じた。
「人の感情にも……寄り添うべきです。社会の理屈と、個人の理屈は違うのです……あなた様が見出したのが――鏡花水月の業――であるのなら、主観の発露である感情にこそ……」
言葉が途切れる。
いくら待とうとも、いくら促そうと、続きはない。
「感情は、苦手だ……」
「…………苦手なら、練習すれば良いんです。ツラいときはツラいって、言えばいいんです。人前でするのが難しいなら、目を閉じますよ?」
「嬉しい提案ですが、今はやめましょう」
抜き身の剣を鞘に納める。
立居合の動作と比べれば雑な動きであるが、無駄はない。
「まずは、天乃宮達が待ってる車に戻りましょう。ここにいたら、良くなるモノも良くなりませんから」
「……うん、そうだね。ここは、危ないものね」
振り返ることのないまま、悠太に手を伸ばす。
悠太は戸惑いながらも手を取り、歩幅を合わせながらエレベーターへ先導した。
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次回は、9月30日(水)1:00 を予定しております。
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