ストン、と
剣は重くとも、足取りは変わらず。
エントランスを抜け、展望エリアへ続くエレベーターに乗る。
上へと昇る短い時間に、歯車を見た。
(妖精は離脱した、か……赤い破滅と同時に相手するわけにもいかないから、良かったが……いや、未練だな。仕留め損ねた時点で、俺の手からは離れている)
何事にも優先順位は存在する。
朱い妖精の危険度は高いが、赤い破滅はそれ以上。悠太の不興を買ってでも真剣を持たせたのも確実に殺すため。
なにより、朱い妖精相手では高確率で悠太は死ぬ。
ヴァルハラ異界では不死性が生じたために追い払うことに成功したが、そこまでして爪先を掠らせるので精一杯。色即是空の理の前では生も死も等価であるが、進んで死ぬつもりなど悠太にはないのだ。
(……到着まであと……)
三、二、一、とリズムを取り、開くと同時に柄に手をかける。
一度目の侵入で全滅はさせたが、復活していないと言い切ることはできない。
幸いなことに襲撃はなかった。刃を抜きやすい姿勢のまますり足でフロアに降り、一〇秒ほど警戒を続けて、力を抜く。
(俺が斬り捨てた状態のまま。警戒しすぎ……は、ない。異界で見た理と業は、どれほど警戒しても足りないほど。神格が抜けた後でも、魔導災害はしばらく続くと思った方が良い)
愛別離苦の理。
彼我統一の業。
悠太の視点で判断しているので、細部に間違いはあるだろうが、大きくは合っている。
特に業は、悠太が捨てた境地を進めたもの。間違えるはずがない。
(気配は二人分……)
朱い妖精によって荒らされた後なので、視覚以外の感覚では察知しにくい。
呪力を直接知覚することは出来なくとも、間接的に影響は出る。鯉口に親指を当てながら、赤い破滅ともう一人を視界に捉え、身体が硬直した。
「…………なんで、ライカ先輩が?」
全ての情報を等価に処理しようとも、悠太は人間だ。
見ず知らずの誰かと、敬愛する先輩とでは、月とすっぽんほどの差が生じる。
ましてや右腕を首に巻き付け、人質に取っているのであれば、なおさらに。
「香織ちゃんから、ここに行けって言われて……捕まっちゃいました」
朱い妖精が割れた窓ガラスから飛び降りた後。
赤い女が心臓を抑え、苦しみながら膝を着いたのだ。ライカは反射的に駆け寄ると、背後を取られて人質にされてしまった。
「本当に、申し訳ありません……剣聖様を相手に、無策では向き合えず。駆けつけられるワタクシ達も他にいないので、策を弄しました」
意外なことに、赤い女は心底申し訳なさそうな声で謝る。
演技などでなく、本気で謝罪をしていた。
(真門くんが謝ってたのは、これか……)
怨むなら自分たちを、と言っていた意味。
ライカを巻き込むどころか、この場面で人質として利用させるために、わざわざ展望エリアへと向かわせたこと。
身体の向きはそのままに。
首を限界まで後ろへと回し、鯉口を切った。
東京タワーを斬り倒しかねない剣気を放つも、ほんの一瞬で刃を鞘に納める。
「想像以上に、感情を制御されるのですね。他の剣聖様を知ってはいますが、あなた様以上に制御される方は知りません」
「活殺自在、緩急自在、伸縮自在……奥伝に至るならばこの三つは収める必要があるが、特に活殺を自在にするなら、感情の制御は必須。強固な倫理観を破るのは大抵、愛憎のような激情だからな……まだ未熟ではあるが」
「ワタクシが言うことではありませんが、十二分に制御されていますよ。彼女に剣気を向けないために、危険を冒して後ろを向いたのでしょう? 人間味を感じ、ホッといたしました」
五秒ほど、一文字に唇を噛む。
ライカに配慮したと言うよりも、真門や香織へ剣気を届かせるため無意識に行ったことだからだ。もしも知覚範囲にどちらかがいれば、激情のままに剣を抜いたと断言できる。
勘違いされた方が都合が良いので、開かないように唇を噛んで耐えた。
「…………人間味があって、なぜホッとする?」
「だって、せっかく人質にしたのですよ? 無駄になってしまえば、良心の呵責に耐えられなくなってしまいます」
「耐えられないなら、解放してくれませんか? 二人の戦いを邪魔しませんから」
「無駄にならないと分かったので、ダメです」
ですよね、とライカは嘆息をする。
油断はしていたが、あっさり捕まったのは赤い女が剣人会出身だからだ。
魔導戦技を通して魔導師の立ち回りを覚えるも、基本的には近寄らせず距離をとり、間合いの外側から一方的に攻撃を食えるというもの。遠距離や中距離同士の撃ち合いも対処に入るが、近距離はノータッチ。
なにせ、付け焼き刃で対処できる相手ではなく、自分諸共の自爆攻撃が最も有効と分かった程度。殺してはいけない世界の敵相手に取れる行動でないので、されるがままだった。
「愛別離苦の理を受け入れた割には、醜く足掻くんだな。死んでも異界の中で会える上、生き残った自分自身に後を託せば良いというのに」
「……――うふふふ、そこまで理解されながら、ワタクシ達に染まってはいただけないのですね。――確かに、ワタクシ達に託すことは出来ますが、ワタクシとは違うワタクシなのです。ワタクシの望んだ世界と変わってしまう以上、望んだ世界を実現できるまでは生き続けたいと足掻くのです」
「彼我統一を目指しながら、完全な合一は望まない。なるほど、業と呼ぶほかない矛盾だ」
悠太との違いは、まさしくココ。
自分と相手の境を消し、個人の識別を等価に均す彼我合一。
自分自身の理想に染めつつも、自分と相手の境を残す彼我統一。
近いからこそ理解し、理解したからこそ反発する。斬る以外の道は存在しない。
「ええ、矛盾です。剣聖様も抱える矛盾です。全ては等価故に、全ては無価値。けれど空を斬ることは譲れない。空を斬るために生き、生きるために斬る相手を国家に委ねる。――ならば、なぜ躊躇するのでしょう? この方ごとワタクシを斬るしかないのに、なぜ斬らないのでしょう? 空を斬れなくなるというのに」
悠太が赤い破滅を理解したように、赤い破滅も悠太を理解した。
心情風景という異界を浸食するということは、相手を自身の理で染めるということ。誰も居ない異界に、自分のみが居る。自分の価値観を絶対とし、他の全ては存在しない世界。
近いからこそ、赤い女は悠太の人間性に気付いたのだ。
(……分かっている。斬るしかない。でも……)
斬りたくない。
世界の敵であろうと、人を斬りたくない。
斬るしかないとしても、ライカを斬りたくない。
(傲慢……無価値と言いながら、俺は自分自身の価値観を捨てられない……無意味と知りながら、えり好みをしている……)
彼我合一を否定したときから抱えている矛盾。
これでは空に届かないと言い訳し、一振りの剣であることを否定した。
(いや、もっとえり好みしているのは、世の中に多いか。後輩とか……)
あまりにも斬りたくなくて、現実逃避を始めた。
後輩、紀ノ咲成美を連想したのは、ライカがいたからだろう。
(青春、青春とうるさいが、考え無しではないんだよな……断流剣の模倣は考え無しだろうが、無意味さも理解しているはず。なのに)
なんで、全力ではしゃげるのか?
自分とは違う視点、違う視座で未来を思い描くのに、なぜ考え無しに行動するのか。
連想することは苦手だが、記憶を辿る。鯉口に指を当てたまま、深く深く、自身の記憶に没入する。
――あたしは、青春を無駄遣いする人が大っ嫌いなんです
――人生じゃなくて青春です。一〇代のほんの数年間しかない、キラキラと輝く時間です
――一分一秒だって無駄に出来ない時間を無駄にする人なんて、嫌うに決まってる
古いと言っても、ほんの数ヶ月前。
自分を嫌っている理由を堂々と語り、■■■■と、確かに感じた……。
「……――ああ、そうか」
ストン、と。
宙に浮いて、保留にしていたナニカが、腑に落ちた。
「先輩――いえ、ライカさん」
無銘の剣を抜き、鞘を捨てる。
切っ先を後方に向け、鞘を握りしめていた指で刀身を挟む。
「俺のことを、信じてくれますか?」
立居合。
悠太が一目惚れした、最も美しい構えである。
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次回は、9月26日(土)1:00 を予定しております。
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