誓いを語る
赤い女の心臓から生えた腕は、一本から二本に増えた。
肘や手首、指の関節までピンと伸びた二本の腕は、赤い女の胴体を引き裂くように広がっていく。腕の間には黒い穴が空いた。
穴からは頭、胴、と順々に小柄な人体がせり出し、重力に従いゴトリと落ちる。
「…………ぁ、ぁあ……あー……」
ノドを震わせるかすれた音は、うめき声、発生の確認作業と変化していく。
まるで新しく生まれ落ちた存在が、身体の機能を確かめるように。
「異界、からの脱出には……成功したようだな」
「ああ、ああ……妖精様、出て、しまわれたのですね……神格も、ワタクシ達の中から持ち出して……ご不満なことでも、ありましたか?」
「あらゆる点が不満に決まっているだろう。……不意を突かれたといえ、負けは負け。神造兵器達を鹵獲した手腕も認めるが、槍と、僕の世界を奪うことは別だ。枷が外れれば食い破るのは当然のこと」
「ふふふ……なるほど。あの方の手を借りたのも、そのためですか」
朱い妖精が生まれて落ちた穴は、どこにもない。
実体があれども、現体は物質ではない。呪力によって構成された身体だ。精神世界から現実世界に適応する現象が、穴として現出したに過ぎない。
そう理解できても、心臓から腕が生えたり、人体に穴が空いて人が生まれ落ちるなど、ショッキングな光景には変わらないが。
「手を借りたとは心外だ。あの羽虫が僕を利用したように、僕も羽虫を利用したに過ぎない。槍の欠片を取り戻すことと、お前の異界を破壊することは同義……だと、思っていたが、想像以上に歪だな」
「冥府の神格は、補助に過ぎません。ワタクシ達の世界は、ワタクシ達だけで維持しているのです。身重になった部分はありますが、重しがなくなった以上、妖精様を招いた時以上の出力があるのですよ?」
死にそうなほどに蒼白なままだが、壁に寄りかかりながら立ち上がる。
暴走の原因であった神格が取り除かれた以上、赤い女の体調も回復傾向にあった。
「異界の主として明言するが、お前の世界はすでに破綻している。増やした端末をお前に変換できていないだろう。大半は異界に接続されたことを視認できないが、適正のある一部はお前の世界へのアクセス権を認識した。お前の世界に異物が入る余地を残したのだ」
関東全域を覆う魔導災害は、神格の圧力に耐えるために起こしたもの。
何千万人もの人間をリソースにすることで、赤い女の異界は神格に対抗した。ある程度の成果を出したが、赤い女に変えるには時間がかかる。緊急事態にそんな手間をかける時間などあるはずもなく、自我を奪うという方向で接続した。
才能や適性など考慮にも入れず、無差別かつ広範囲に。
「異界を閉じたところで、一度繋がったのならこじ開けることは可能。他者と繋がることが、お前の異界の本質なのだからな」
本質とは、不変に近い部分だ。
赤い女に当て嵌めるなら、死別の克服。愛別離苦の理を覆すため、彼我統一という方法を選んだこと。赤い女に同化させる前提はあるものの、彼我を統一するために他者を異界に招くという機能が異界に備わっている。
不正利用されないために鍵を複雑に変えようと、異界の入るための道がなくなることは絶対にない。道をなくしてしまえば、それは赤い女の異界ではなくなるのだ。
「ふふ、ふふふ……なるほどなるほど。未来が潰えたとは、こういう意味でしたか……ふふふふふふ」
天乃宮家当主、隈護真門。
年末に遭遇した際に、彼から言われた言葉。
自身の命題が叶う未来は潰えたという予言が、形をなした。
「気でも狂ったか?」
「いえいえ、まさかまさか。困難になったことは確かですが、教えていただき助かりました。ワタクシ達が見逃していた結末をお教えいただきありがとうございます」
「敵に対して礼などと、どのような了見だ?」
「あなた様とそう変わりませんよ。ワタクシ達が死別の克服を諦めることは決してありません。あなた様が、その神格に立てた誓いを決して諦めないように」
朱い妖精と同化することはなかったが、手足であった神造兵器とは同化している。
兵器達から得た情報から、朱い妖精の命題が何であるかを知っていた。
「……僕の誓いを語る意味、理解していないとは言わせないぞ」
「充分に存じていますが、どうでしょう? 神格を取り戻されても、呪力や魂などのリソースの多くをいただいております。残っていた力も新たに現体を造ることに割いた今、どれほどの力が残っているのでしょうか?」
物質は莫大なエネルギーを保有する。
これは核分裂や核融合という現象からも分かることであるが、逆を言えば莫大なエネルギーを凝縮することで物質が生まれることを意味する。現体は物質ではないが、実体がある。実体を与えるほどのエネルギーがあれば、理論上は誰でも現体を造れるのだ。
問題は、莫大なエネルギーが必要なこと、実体に変換するだけの術式が必要なこと。
いかに古種と言えど、失った現体を一から造り直すことは容易ではない。
「……気に食わないが、いいだろう」
強者としての意地があるが、朱い妖精にも命題はある。
一度、赤い女の異界に取り込まれた以上、同じことになる可能性は高い。異界の仕組みは理解したので、対策を打てば問題はないが、対策を講じる時間がない。
感情に任せて行動するのが悪手と分かっていて、動くほど愚かでもない。
「これまでの不敬は万死に値するが、お前に割く時間はない。だから見逃してやる」
「ものは言い様、ですね。妖精としての本質から随分と遠ざかってしまったようですが、あの方に斬られてしまったのもそれが原因ではないのですか?」
「不遜な物言いだが、憐れで滑稽だな。僕が出てきた意味を理解して、少しでも力を取り戻そうとするのが透けて見える。そんな賭けに付き合う理由がどこにある」
妖精は女に背を向け、割れたガラス壁へと近付く。
人の子供ほどの力しか残っていない身体を、自らの意思で放り出した。
呪力はほとんど残っていない身体では、空を飛ぶ術式を編むことも出来ない。重力に従い速度を上げながら落下するが、中腹程度で落下が止まる。
「……迎えが遅い」
歯車の翼で空を舞う、神造兵器だ。
「無茶はおやめください。神格を宿そうとも、脆弱な身体では霊格を守れません」
「羽虫と鉢合わせる方が危険だ」
現在の朱い妖精では、悠太に対抗できない。
脆弱な子供程度の耐久力しかなく、祓魔剣を使うまでもなく殺されてしまう。
エレベーターや非常階段を使い、逃げ場のない状態で鉢合わせるよりも、一五〇メートルから自由落下し、神造兵器に受け止められる方が生存率は高かった。
「……消耗が激しい。回復まで潜む必要がある。……後は、任せる」
悠太に心臓を貫かれた時点で、霊格が大きく傷付いた。
そこから逃れるために異界を砕き、神槍の大部分を失ったことで、瀕死の身なった。
二〇〇〇万人を束ねた異界を保有すし、神造兵器三体を取り込んだ赤い女であれど、多少手傷を負った程度では手の出しようがないほどの存在が、朱い妖精という古種。それが取り込まれたのは、瀕死の状態で不意を突かれたからにほかならない。
異界からの脱出には成功したが、瀕死のみで無理を重ねたことに変わりはない。
「了承しました」
いつ消滅してもおかしくない状態から抜け出すためには、休息を取るほかない。
朱い妖精が目を閉じると同時に、現体は光に包まれる。指先やつま先から形を失い、最後に残った光の球体を、神造兵器は掌に包み込んだ。
「戦域からの逃走を優先。安全の確保に成功後、霊格の回復を開始」
歯車の翼を羽ばたかせ、神造兵器は赤く染まった空の上へと消えていった。
お読みいただきありがとうございます。
次回は、9月19日(土)1:00 を予定しております。
執筆の励みになりますので、ブックマークや評価、感想などは随時受け付けております。よろしければぜひ是非。




