死臭
裂け目を抜けると、一軒家の庭に出た。
「広い家だね。都心だと億は軽く越えるだろう」
「見る目がないな。人の基準は分からないけど、腐臭で澱んでいる。隠し方が下手だから妖精にだって伝わる。勇士とはほど遠い無能の住処だ」
ヴァルハラ異界を創造した朱い妖精は、勇士を好む。
力の有無も重要だが、それ以上に心のありようで判断をする。
神代から人を判別し続けた朱い妖精は、勇士たり得ない人間も判別できる。
「おそらくは、赤い破滅が現在の理に至った場所だろう。腐臭や澱みを再現できるほどに印象深いなら、生家の可能性が高いな。異界内にこびり付いた記憶に、父や母に懇願する姿があった。……お世辞にも、良い記憶とは言えなかった」
悠太でさえ、眉をひそめる内容だった。
彼我合一を統一にまで進めるには、多くのハードルがある。技術面をクリアしても、人間性や倫理観が必ず邪魔をする。悠太が彼我合一の境地を捨てたのも、人らしさに拘ったからに他ならない。
「異界の創造は神々に通じる極致だ。僕と違い、人の精神にのみ寄生する異界だとしても、そこは変わらない。そんなのが生まれる環境がまともなはずがないだろう」
「人のことを羽虫と称する割に、人を見ているんだな」
「羽虫は羽虫だが、生態くらいは観察する。時たま毒を持った個体が出るなら、発生条件くらいは調べる。それだけだ」
魔導師の性質が強くとも、朱い妖精は神代より生き続ける人外。
種族や時代、あらゆる面で人の常識が通じず、人に対する共感のない化け物。
人類など知性のあるモルモット程度にか考えてない。
「二人はどういう関係なんだい? 仲が良いのか悪いのか、よく分からないな」
「斬れと言われて斬った相手だ。心臓に穴開けたのに生き延びた化け物でもある」
「羽虫。神域に届く牙を持っているに過ぎない」
「あー、うん……基本は無関心、と理解する。突っ立ってても仕方ないし、まずは入ろう」
女は悠太に家に入るよう促す。
率先して入らないのは、自衛能力が皆無だからだ。
悠太も分かっているので、自らの手でドアを開けた。
「……腐臭よりも死臭が強いとは思わなかったが、これほど濃いのであれば、ここが中心で間違いない」
「すまない、何も感じないんだが、そうなのか?」
「俺も直接感じ取れるわけではないですが、間違いでしょう。こちらへ」
二階へと続く階段を上がっていく。
妖精と女はその後ろに続き、悠太が開けた一室を覗き込む。
「今日も起きないんだね。早く声を聞かせてくれ、■■■」
「汗を掻いているわ、■■■。拭いてあげるから、少しガマンしてね」
壮年の男女二人が、ベッドに向かって手を動かす。
誰かを看病しているような動きと、話し方であるが、ベッドの中には何もない。
悠太は数分ほど様子を眺め、ドアを閉める。
「……なんだい、今のは……悍ましさのようなものを感じたが……」
「ああ、読めたぞ。侵入者をあの女に同化させる儀式場なのだな。違う名前を発しているのは、お前は男女のどちらでもなく、あの女の一部なのだと再定義させる呪詛だな。手が込んでいるが、回りくどい」
異界で目覚めた悠太が、記憶と名前を奪われた状態で寝かされていた部屋。
数時間にもおよぶ一方的な願望を語り聞かされようやく辿り着いて、結論に朱い妖精は一目で至った。
「実際に体感したが、身動きできない記憶喪失の状態で、独善的ではあるが心配されれば情の一つは動く。洗脳や拷問と何一つ変わらないが、血が流れない分穏当な部類だな」
「かなりマズい状況だったのは伝わったが、彼らはどうするんだい? 中心部にいるんだから、何かを知っていると思うが」
「知りませんよ。人のように見えるだけの、ただの人形ですから。でも、この家が特別な場所であることは、一目で分かる光景だったので見せただけです」
居もしない子供の看病を続ける二人を置いて、三人は一階に戻る。
ソファーと、背の低いテーブルの置かれたリビングで足を止める。
「どうした、羽虫。何か見つけたのか」
「赤い破滅が両親の魂を取り込んだのが、ここだ。折檻という名の虐待をいつも受けていたが、命の危機を感じる怪我を負って……倫理の箍が外れた」
妖刀《綿霧》を宿した身で、近くにあったカッターナイフで父親の首を刺した。
母親の上げた悲鳴に一度は怯むが、キッチンから包丁を持ち出されて、身体が動いた。
剣人会で叩き込まれた動きのままに包丁を躱し、父親の首から引き抜いたカッターナイフで母親の首も刺す。
「自衛のために殺して、魂を取り込み、警察に通報。……凄惨な現場だが、幸か不幸か良識のある警官だったのだろう。虐待の痕が見られることから、正当防衛と判断されたようだ。触れた記憶はそこまでだが、現状を思えば裁いた方が良かったのかも知れない」
結果論と分かりながらも、そう言わざるをえない。
だが、正当防衛として処理された理由も分かる。そう処理される必然があるほどに、後に赤い破滅となる少女の環境は過酷であった。
「羽虫の感傷はどうでもいいが、何もないぞ」
「何もというのは、神格以外にも、ということですか?」
「腐臭の出所が以外には何もない。さきほどの儀式場の方がまだ何かありそうだ」
「死臭ではなく、腐臭なのか」
予想が外れたからと落胆しない。
襲われる気配がなくとも、ここは異界の中心。
どのような悪辣で性根の腐ったような罠が発動するかもしれない。
「もちろん死臭もするが…………やはり腐臭が一番強い。他の臭いを塗り潰すほどに」
「死臭とやらを気にかけているが、重要なのか?」
「冥府を核にしている以上、死は重要です。死体は腐るので腐臭でも違和感はありませんが、わざわざ死臭と分けているなら……」
異界で触れた記憶を思い返す。
両親を妖刀で殺し、魂で取り込んだことは赤い破滅にとって生涯に残る傷となった。腐臭という形で染みついているのが証拠だ。インパクトも強かったので真っ先に思い出したが、それよりも過去の記憶も存在した。
先生と呼ばれる剣士に、妖刀を奨められたこと。
もう一つは、生き物を抱き抱えて嘆く姿。
「……庭か?」
リビングの窓を開け、庭へと出る。
数人が集まってバーベキューが出来そうな庭の片隅、今にも朽ちそうな箱があった。
「一体何を見て……犬小屋、だな。何年も放置されている」
「妖精、死臭はあの犬小屋からしていないか?」
「……いや、何も臭わないが……――なるほど。隠している、ということか」
臭いが強ければ、朱い妖精が気付いただろう。
外よりも家の中の方が死臭が強いのも、本当に隠したい場所から遠ざけるため。
高い視座から俯瞰する空の目だからこそ見つけられた、盲点を利用した結界。
「――あった、これだ」
犬小屋から引っ張り出したのは、小さな金属片。
爪先ほどに小さいのに、凄まじいエネルギーが秘められていた。
「欠片を取り戻しさえすれば、すぐにでも出られるが――すぐにでも始めるか? やり残したことがあるなら、待ってやるぞ。神槍の欠片を見つけた礼だ」
「もう充分、この世界を見た。斬るのに必要な分の理解は済んでいる」
「なら、共闘はここまでだ。現実では敵同士。馴れ合おうとするなよ」
欠片を握りしめると、世界が揺れる。
犬小屋の周囲にヒビが入り、空間に大きな穴が空いた。
悠太が斬った亀裂よりも高く、大きく、恐怖を覚えるほどに色が深い。
「俺が、先に出させてもらう。神格がなくなった後、どうなるか分からないからな」
「構わん」
悠太は躊躇なく穴へと飛び込んだ。
明瞭だった意識は曖昧になり、深い暗闇へと溶けていった。
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次回は、9月16日(水)1:00 を予定しております。
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