愛別離苦
――なんで、なんで、置いていっちゃうの?
――ワタシを一人にしないで
――ああ、そうだ。ワタシの中にいれば、一緒にいられるよね?
――先生、呪力がなければ、剣を極められないのですか?
――呪力を増やす方法はないのですか?
――呪詛を受け入れれば、お父さんやお母さんは、ワタシを見てくれますか?
――痛い、痛いです、やめて、ごめんなさい。
――呪力がなくて、剣が下手で、だから見捨てないで
――……ああ、そうか。呪詛を、妖刀を使えば、ずっと一緒にいれますね……
異界を進む度に、異界に触れる度に、記憶が聞こえる。
一人の少女が世界の敵へと堕ちるまでの、堕ちてからの情景が目に映る。
良識のある人間であれば吐き気すら覚える過去に、悠太はただ右から左へ流した。
「愛別離苦の理、というべきか」
流しているが、見ないわけでも聞かないわけでもない。
一言にまとめるほどに理解しながら、悠太の理に響かないだけ。
「君、なんで戻ってきたんだい? 百歩譲って戻ってくるのはけれど、いきなり何を言い出すんだい? 狂っているなら分かるけれど、正気だと分かるから怖いぞ」
「戻ってきたつもりはない。奥へと潜り続けたはずなのに、なぜかこの部屋に。――この異界の特性を考えれば、それが答えだろうが」
「特性というのは、今の愛別離苦の理、とやらか。どんなものだ」
「何をしようと、人は別れから逃れられない。それだけだ」
愛別離苦とは、四苦八苦の一つ。
愛する者、大切な者との別れは避けられず、それによって生まれる苦しみを指す。
「ごくごく当たり前のことを言っているように聞こえるが、耳でもおかしくなったかな?」
「理とは言葉の通り。物を持ち上げた後に手を離せば落ちる、のような当たり前を説明しただけのもの。重要なのは理を受け入れ、それを前提にどう活かすかだ。この異界に死者が留まっているのだから、別れた後に再会できるようした、というのが特性だろう」
「異界を見て回るだけで、そこまで分かるのか。……気持ち悪い」
空の目による分析。
赤い破滅の心情世界でもある異界、という特異性を抜きにしても「なんで分かるんだよ」や「分かりすぎて気持ち悪い」と感じても仕方ない。
魔導戦技部の部員なら、日常生活でも察しの良さを発揮しろ、と言ったかもしれない。
「分かるさ。色即是空の理を突き詰めて、辿り着いた境地に似ているからな。絶招魔剣か、異界か。捨てたか、持ち続けたから、という違いはあるが」
絶招魔剣――彼我合一。
己と相手、両者の自我の境を曖昧にし、生死の価値を等価に変える必中の魔剣。
この異界は、悠太が至り捨てたこの境地を、広げ突き詰めた果てであった。
「武仙流……いや、理業伝に当て嵌めれば、間違いなく業に至っているな。羨ましさや妬ましさはまるで感じないが」
業に至ることと、空を斬ることが違うから、ではない。
悠太にとってこの二つは、限りなくイコールに近い。空を斬ることこそ、悠太にとっての業であるし、武仙流への愛着もある。
単純に、捨てた境地への執着がないだけなのだ。
「君が理解したことについては分かったが、この後はどうするつもりだい? 床が水浸しになるから出ていって欲しいんだが」
「より深く潜る方法を教えてくれるなら、すぐにでも」
「…………――なんだ、本当に理解したのか。早すぎて気持ちが悪い」
「似た境地に、一度は至ったからこそだ。色々見ては回ったからこそ、この場所の不自然さが分かる。他が新品同然、理想のままだというのに、この部屋だけが古びている。なら、ここが中心部に繋がっていると考えるべきだ」
「正解だよ、後輩くん……と、言いたいが――ここは封印の蓋だ」
ぴちゃぴちゃと、水を踏みつけながらロッカーに手をかける。
何の変哲のないロッカーの中には階段があり、下へ下へと続いていた。
「君のように、この世界に染まらない者は少なからずいる。君は目的があって留まっているが、普通は外に出て行く。だが、染まらぬ者を外に出したくない場合、どうするか? 答えはこの奥にある。見に行くのだろう」
「理と業に当てはまらない者への対処には、人の性質が出る。赤い破滅を理解するためにも、見に行く必要がある」
悠太は一人、降っていく。
上層では歩むごとに水面が広がったが、ここでは広がらない。
代わりに熱量が増えていく。足下から順に汗の量が増え、ノドの乾きや目眩を覚え、それでも降っていけば肌が焼けるようにヒリついていく。人の到達を拒む熱を、悠太は無視して降っていく。
生身ならともかく、ここは人の精神に巣くう異界。
空を斬る一念で剣聖に至るような異常者が、精神的な責め苦で足を止めるはずもない。
「……炎と館。北欧神話に、そんな一説があった気がするな」
最下層で待っていたのは、神話の再現。
炎に包まれた館は、ワルキューレの一柱であるブリュンヒルドが眠り続ける場所。神々によって与えられた眠りは、炎を突破した勇士によってのみ解けるとされている。
「これは……触れたら死ぬな。旋空のように薄く纏っただけだと、防ぐこともできない」
神話になぞらえて封印する理由は、目覚めて欲しくないから。
上層では取り込むためにリソースを割いていたが、ここでは排除することにリソースが割かれている。視覚や熱量で警告するのは、殺すよりも追い返したいから。
そして、眠らせる者を排除せずに、取り込み続けたいと、願っている。
「祓魔剣・絶招――虚空」
無形を斬る剣を、一振り。
手の届く範囲の炎が消失する。
生身で触れぬよう、ひと一人分のスペースを確保しながら、草刈りをするようにゆっくりと館へ近付く。
「防衛機能の一つでも出てくると思ったが、何もなし……つまり、この封印を作ること自体が不本意ということか……筋金入りだな」
理想は、誰一人拒む必要のない世界。
その果てに何が待つのかを、悠太はよく知っていた。
「全員の理想を叶えるなど、絶対に無理だ。復讐を望む人間と、望まれた人間。両者が妥協なく目的を達成しようとすれば、必ず矛盾が生じる。かといって、一つの考えを絶対の理想としても、必ず反発は生じる。全員が夢を見続けて、他者との関わりを断てば別だが――それを人間と呼べるのだろうか」
生死の価値すら平等となり、自己と他者の境すら失わせる、色即是空の果て。
人の生き方ではないと捨てた悠太が、この世界に共感するはずがなかった。
「お前はどう思う、妖精」
館の中には、ベッドが一つ。
文化祭で高校一つを異界に沈めた古種、朱い妖精が眠り続けていた。
「……徹底的に神話になぞらえているな。起こし方までは知らないが、斬ればいいか」
良いわけがない。
神話という形に収まる以上、正しい手順は存在する。知らなかったとしたら、それは知らない側が悪いだけ。正式な手順で起こさなければ、一時的な眠りが永続的な眠りに変わりかねない。その代わり、手順に沿う限りは安全に起こすことが出来る。
だが、剣聖とは剣を持った理不尽だ。
空の目に、祓魔剣と断流剣、これらを駆使して、封印の要諦を斬り裂いた。
「縛るモノは全て斬り捨てたが、気分はどうだ、妖精」
「…………何を考えて、こんな博打をした。有名な逸話だぞ」
「残念ながら、俺は頭が良くない。日本の神仏に関わるならともかく、北欧や東欧の神話に通じてるわけがないだろう。後遺症が出ないよう気を遣って斬ったから、それで良しとしろ」
「できるわけがないだろう!!」
叫ぶのは正常な証であると、朱い妖精の叫びは右から左へ流されるのだった。
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次回は、9月9日(水)1:00 を予定しております。
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