今、この瞬間
「ごめんなさい」
手を――取らなかった。
代わりに深々と頭を下げた。
「理由をお聞かせいただけますか? なんとなくイヤだ、などの感情であれば、より説得させていただきますよ」
「あなたのような、深い孤独と悲しみを知る方にこそ、ワタクシ達の理想を理解していただきたいのです」
「……分かったようなことを、言うんですね」
「想像にはなりますが、あなたのような目をされた方を、多く見てきました」
伸ばした手を下ろしたが、諦めてはいない。
精霊を宿す器が目的か、それともライカ自身の救済か、はたまた両方か。
死臭を纏うのに、恐怖よりも安らぎを感じてしまう。
「今のあなたは、満たされています。どのような繋がりかは分かりませんが、友人や恋人などの、家族以外の繋がりを得たのでしょう。その繋がりをとても大切にされていますね」
「…………コールド、リーディングは……感心しません」
「直接語っていただけない限りは、想像で話すことになりますので。故に、想像して欲しいのです。あなたは、このような場にこれるだけの力を持っています。けれど、今日を無事に生き延びた後は、どうでしょう? ワタクシ達の世界が起こした魔導災害よりも、悪意に満ちた事態に対処して、無事に生き残れるでしょうか?」
答えられない。
夏休みには、神造兵器を破壊しようとする剣人会と争った。
文化祭の異界は、一流程度では対処のしようがない理不尽に満ちていた。
修学旅行では、周到な準備を整えた人間の、悪意と恐ろしさを思い知った。
それらと比べれば、赤い女の世界は優しいのだろう。範囲こそ桁違いに広いが、まだ誰も、死んでいないのだから。
「この世界は悪意で満ちています。理不尽が闊歩しています。古種や例外種の気まぐれで都市が滅びかねません。あなた自身がそれらに関わり、亡くなってしまったら、あなたの大切な方々はどう思うでしょうか? 亡くなったのが大切な方々であれば、あなたはどのような悲しみを抱くでしょうか?」
ズルい、と奥歯を噛みしめる。
腹の奥底に押し込めた激情を、ヴォルケーノが熱に変換させる。
プロの魔導師になることが現実味を帯びてから、何度も頭をよぎった想定だ。何度も頭を振りかぶり、中断してきた問いだ。
似た者を何度も見たというのは本当だろう。
わざわざ口に出すほど、似たような問いを誰もが抱いてきたのだろう。
「…………小学生の頃、ヴォルケーノが暴走して、デパートを全焼させかけました。私を止めてくれた子がいて、被害は出ませんでしたが、そこから管理が始まりました。学校には通えましたが、隔離されて、常に一人で……緩和したのは、高校三年生になってからです」
「被害が出なかったのは、幸いです。そして、よくぞ耐え抜きましたね。あなたの努力と忍耐に、敬意を表します」
ほだされた面は確かにある。
吐き出せなかった泥濘とシコリを、すべて吐き出してしまいたいという欲求もある。
一度口にしてしまえば、ノドと舌を止めることは難しいほどに、堰を切ったように感情が流れ出した。
「友達の作り方や、同年代との関わり方も忘れてしまった私に、他の生徒と交流しても良いって言われても、今更なにをって思って……でも、後輩の一年生が声をかけてくれました。一緒に部活を作ろうって。中学の時に私を見たことがある程度なのに、声をかけてくれて、それに甘えて……そこから、学校生活が一変しました」
流されるままに、部活を立ち上げたこと。
魔導戦技で成果が出ずに腐りかけたこと。
後輩の男子生徒に緊張したけど、普通じゃないのですぐに気にならなかったこと。
部活の皆にお茶を振る舞い、美味しいと言われるのが嬉しかったこと。
支離滅裂になりながら、思いつくままに口から溢れ出た。
「とても良い、青春を送ったのですね」
「違います。送ったではなく、送っているんです。今、この瞬間も、青春を送っています。だから――私はあなたの手を取れません」
ヘドロのような感情を全て吐き出して、何が言いたかったのかが分かった。
なぜ、赤い女を拒んだのかを、頭ではなく心で理解した。
「青春を送っているから、手を取れないですか? 人によって定義は異なりますが、必ず終わりますよ?」
「青春は短いから、だから全力で楽しむ。私の後輩はそんな感じの子で、とても眩しいんです。マネできないくらい輝いていて、だからマネしたいって思って……後輩の男の子とは、よく言い争っています。楽しむために暴走するのを、適度に制御しているから仕方ないですけど」
「賑やかそうな部活ですね」
「はい、とても。私にはもったいないくらい楽しくて――皆、頼りになります。文化祭で学校が異界に呑まれたときも。私と、もう一人以外は覚えてないけど、力を合わせて朱い妖精の前まで辿り着きました」
「まあ、本当に? 妖精様の記憶はまだ見れていませんが、スゴい方々ですね」
驚愕と称賛。
心地よさよりも気恥ずかしさを感じるほどに、真摯な眼差し。
だというのに、虚しさを覚える。
「解くにスゴいのが、後輩の男の子です。どれだけ傷付いても諦めないで、最後には朱い妖精を倒して、異界も破壊して」
あら? と赤い女が首を傾げる。
もしかして、と遠慮気味に問いかけた。
「後輩の男の子ですが、最弱の剣聖ですか? よくよく思い返してみれば、神造兵器の方々の記憶に、一緒にいる場面があります」
「そうです。あたなが意識を奪った剣聖が、後輩の悠太くんです」
まあ、と口を丸くして驚く。
世間の狭さか、それとも短時間で関係者と邂逅したことか。
「朱い妖精の異界を破壊した後、多分、悠太くんの異界が漏れ出しました。泥みたいなものが溢れ出て、全身漬かって、そしたら何も見えなく、何も聞こえなくなりました。上も下も、右も左も分からない、そんな世界です」
そこから先は、がむしゃらに行動した。
「何も考えずに、私は悠太くんのいる方に向かいました。あの時は、悠太くんの世界かもとか、怖いとかよりも、悠太くんを一人にしちゃいけないって思って、身体が動いたんです。運良く、悠太くんの手を掴めて、その後に、綺麗な光景が広がりました」
雲一つない、澄み切った青空。
波一つない、青空を映す水鏡。
悠太一人で完結する、寂しい孤独な世界。
「私は、思うんです。もしもあなたの手を取ってしまえば、悠太くんの手を掴むことも、綺麗で寂しい世界を一緒に見ることもできないんじゃないかって。今が怖いなら、死んだ後に聞けばいいやって、きっと逃げてしまいます。それが、イヤなんです」
「逃げることが怖いのですか? 確かに、立ち向かうことに比べれば楽な道に見えます。しかし、逃げることも時には必要な」
「――違います。逃げること、そのものがイヤなんじゃありません」
魔導戦技を通して、無駄死にというのをイヤというほど経験している。
生き延びるためには逃げも必要で、抵抗感はかなり薄れている。
「死んだ後に会えるって思ったら、今、この瞬間――全力で生きられなくなるんです! 死んだ後っていうゴールが保証されたら、私は今を生きられなくなります! だって、……だって――隔離されながら学校に通っていた私が、今と比べたら死んでいるのと同じだから」
きっと、後輩に――紀ノ咲成美に毒されたのだろうと、内心で嘯く。
彼女に誘われて部活を立ち上げていなければ、感じていないのだから。今、この瞬間に、血が沸騰したような熱が、血管を通して全身に広がる感覚を、知ることはなかったのだから。
「そう、ですか……残念です。無理強いな……ど……――」
唐突に、蹲っていた赤い女は、のけぞった。
不規則に痙攣し、赤みを帯びた瞳孔を見開き、声にならない嗚咽が漏れる。
ライカと、赤い女。二人が、何が起こったのかを視認するまでの数瞬の空白。
――赤い女の身体を貫き、心臓から腕が咲いた。
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次回は、9月5日(土)1:00 を予定しております。
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