第1章 魔王討伐
強烈な衝撃波が、その部屋に響き渡った。
直後、長剣を持った男が吹き飛ばされたが――彼が地面に落ちる直前、急激に空気が圧力を増して彼を受け止め、派手に転倒するのを防いだ。
「すまん、カイ。助かった。しかし……何度斬りつけても平然としてるって、なんなんだ。不死身かよ」
男――ラングディールは振り返らずに礼を言いつつ、毒づいた。
鮮やかな金色の髪と鋭い視線を放つ碧眼。そしてその手にあるのは淡い光を放つ聖剣。それは勇者を名乗るに相応しい威容だが、その言葉には疲労の色も少なくない。
そしてその視線の先にいるのは、禍々しい異様の存在。
巨大な黒い角と翼。
全身を覆う漆黒の鎧。
大陸東方地域を制圧し、今なお恐怖に陥れている張本人、魔王ルドリアである。
ラングディールは幾度となく魔王の鎧や翼を切り裂いたはずだが――鎧自体が魔王の力なのか、幾度斬っても鎧は再生したし、ルドリアにダメージを蓄積できているとは思えない。
何とか刃が届いた時は手ごたえがあるだけに、逆に徒労感がいや増す。
体躯こそ普通の人間か、むしろ小柄なくらいだ。
だがその圧倒的な魔力は、今や魔王が支配するこのリーグ王国の謁見の間のすべてを圧するほどと言っていい。
そしてそれは、戦い始めた時から全く衰えが見られない。
「勝てるのか……これ」
「斬った直後はわずかに魔王の動きは鈍ってる。だから、傷はついているし影響はあるはずだ。ただ、すぐ回復してるんだろう」
すぐ横にいる親友――カイの言葉に、ラングディールは少しだけ覇気を取り戻した。
「悪いな。普通の武器じゃ接近戦は出来そうにないから、ランディに頼りきりだが」
「ランディ、怪我したらすぐに」
「ああ。援護してくれるだけで十分だ、カイ、シャーラ」
剣を佩いているが、その姿は剣士というより魔術師然とした風体のカイと、白い神官服を纏い、聖杖をかざしたシャーラ。
そしてラングディール。
彼ら三人は魔王ルドリアを倒すため、ここまで長い旅を越えてきた。
「効いてはいるってことか、カイ」
「ああ。間違いなくな。ただ一瞬で回復している」
カイはラングディールとルドリアの戦いを冷静に見つめ続けていた。
そして、ほぼ間違いなくルドリアに攻撃は効いていると結論付けた。
ただ、聖剣ですら貫くことが困難な魔王の鎧に阻まれ、致命傷となるほどの攻撃が届かない。
そしておそらく、傷それ自体は一瞬で回復されている。
いや、もはや修復と言えるかもしれない。
「私もそう思うわ。わずかだけど、治癒の力を感じたの。つまり」
「一撃で致命傷を与えれば可能性はあるってことか」
「ああ。確実に言えることは、聖剣なら魔王を傷つけられる。つまり聖剣を突き刺せば、可能性はあるが……」
カイはそこで言葉を切った。
(妙だ。魔王は、遊んでいるのか?)
すでに戦いが始まって十分以上が経過していた。
普通なら、自分達はとっくに限界を超えている。それでも彼らが戦っていられるのは、ルドリアの攻撃がその感じられる魔力からは想像できないほどに、あまりにも『遊び』が多いからだ。
おそらくルドリアが本気で殺そうとすれば、一瞬でこちらが全滅するだろう。
それほどに圧倒的な力の差がある。
正直に言えば、これほど強いとは思わなかったし、実のところ今も逃げるべきか、カイは迷っていた。
そもそものルドリアの攻撃の『殺意のなさ』に違和感を感じ続けていて、判断が出来なかったのである。
(まさか討たれることを望んでいる――はずはないな。もっとも、力の差がありすぎるから拮抗しているが)
戦い続けるか、撤退か。
魔王を倒せるのは聖剣を持つ勇者のみ。それがこの世界における定め。
ただ、当代の勇者であるラングディールでも、魔王には及ばない恐れがある。
攻撃は届くことがあるのだから、乾坤一擲の一撃が決まれば可能性もあるが――その隙が作れない。
これまでの戦いで、ルドリア自身は戦い方に関してはそれほど洗練されてはいない。
ならば可能性はあると思えが――。
「ランディ、相手の攻撃に紛れて接近して、一撃でやるしかな――」
カイの言葉を遮るように、魔王が腕を振るう。それに応えるように景色が揺らめいた直後、空間そのものが白く輝く。
それは、二千度以上の超高温現象が生み出す光。
「ランディ、そのまま突っ込め!」
聖剣を構えたラングディールは、その友からの声を受けて迷わずその炎に突っ込んだ。直後、光が彼を襲う。
(高温によって窒素酸化物なども生じている。それも無効化しない限り、致命傷だ)
ラングディールへ突撃を指示したカイは、素早く魔術を構築する。相手の魔術それ自体を打ち消すための方法は、すでに把握済みだ。
「いけ!」
カイの魔術が発動する。
その直後、白熱化した熱が消え、代わりに濃い霧がその場に溢れ、それはさらに、カイが追加で放った風で吹き飛ばされた。
「――!?」
魔王が驚いたようにわずかに身じろぎをする。黒い仮面で顔は見えないが、あるいは驚きに目を見開いていたのかもしれない。一瞬、完全に動きが止まった。
その隙に魔王の懐まで飛び込んだラングディールが、聖剣を振るう。それに対して、魔王もまた黒い剣を幾本も生み出して、聖剣を受けた。
「デタラメだな!?」
剣の技量では、ラングディールはルドリアを圧倒している。
だが、幾本も生み出された剣は魔王の意思だけで動くのか、不規則な軌道でラングディールに襲いかかり、あっという間に防戦一方となった。
たまらず、ラングディールは数歩後退してしまい、せっかく詰めた距離はあっという間に離されてしまう。
直後、ルドリアのの手元に人の頭ほどの水塊が出現した。
それは赤みがかった液体で、すぐさま形を変じて槍となって、ラングディールに向けて放たれる。
「赤――まさか。避けろ!!」
「え……くあ!?」
速度自体はさほど速くなかったので、ラングディールはそれをかろうじて避け、槍は地面に当たる。
直後、その場所が抉られ、さらに煙が上がり、あろうことか石材が融けた。
そして飛沫まではよけきれなかったのか、ラングディールの腕からも煙が上がる。
「ランディ!!」
シャーラが慌ててラングディールに治癒の魔法をかける。
その横でカイは魔王を睨んだ。あの反応は間違いなく酸。それも赤ということは、おそらく金属すら融かす王水だろう。
それを超高圧で放ったのだ。直撃すれば、おそらくどんな鎧でも意味はない。
「カイ、あれは一体……」
治癒はすぐに終わり、ラングディールは再び魔王と正面から向き合った。
「特殊な魔法だ。だが、あれに触れたが最後、助かる可能性はない。聖剣すら危ない」
カイの言葉に、ラングディールは唖然とした顔になる。
「なんだそれ……って、ちょっと待て!」
ルドリアの頭上に、先ほどと同じ色の水が再び出現し始めた。
それはみるみる大きくなり、軽く直径十メートル以上の巨大な水塊となる。
その赤い液体は、まさに魔王の禍々しさを象徴するかのようだ。
「あんなの放たれたら……」
シャーラが絶望的な表情になる。魔王とはこれほどに強大だったのかと、改めて思わされたが――カイはこの瞬間こそ、最大のチャンスだと気付いた。
「ランディ、俺が指示したら、魔王を斬ることだけ考えて突っ込め。あとは俺とシャーラが何とかする」
「カイ!? 無茶を言わないで。あんな魔法を防ぐ方法なんて」
「シャーラ。カイを信じよう。俺たちはそうやってここまで来た。そうだろ?」
ラングディールはそういうと、聖剣の切っ先を魔王に向ける。
「信じるぞ、カイ」
「ああ、任せろ。シャーラ、熱から守る加護を全員に付与してくれ」
「あれ、耐熱で防げるの!?」
「無理だ。だが、あとは俺が何とかする」
そのカイの言葉に、シャーラは一瞬だけ言葉を失った後、小さく頷いた。
これまでもそうだ。こういう時のカイは、本当に何とかしてくれる。
その信頼が、ラングディールとシャーラにはあった。
ここまでの三年の旅――いや、それよりずっと以前から。
「さて――待ってくれるとは、律義な魔王だぜ
」
ラングディールの軽口に、魔王はまるで人が笑うのと同じように、わずかに肩を揺らしていた。思わず、そんな感情があるのかと三人は驚く。
これまで、魔王と言えばただ無慈悲な、人々を苦しめるだけの存在だと思っていたのだ。とはいえ、やはり言葉を交わす気は全くないらしい。無論それは、三人とて同じだ。
「じゃあ――行くぞ!」
ラングディールが大きく踏み出す。直後、天井を覆い尽くすほどの赤い液体が形を変えて、放たれようとし――。
「させるか!」
カイはその水塊に対して、人の頭ほどの石を叩き付け――。
その瞬間。
水塊が突如爆ぜた。
その凄まじい爆発により、その場の全てが白く染まる。
ただ、その爆発の影響はカイたちにはほとんどなかった。カイが強力な障壁を魔王と自分たちの間に張ったからだ。
カイがやったのは中和。
あれが王水かそれに準ずる強力な酸であるならば、当然強塩基性の物質をぶつければ、強引に中和反応が起きる。
そしてこの規模の中和反応の影響は凄まじい。
発熱とそれに伴う水蒸気爆発、猛毒のガスが発生する。
だがそれらはすべて障壁より奥、つまり魔王へ襲いかかり、その威力は一瞬で謁見の間の奥の壁を粉砕した。
「!?」
同時に凄まじい高温が部屋に満ちた。
可燃性のものが一気に燃え上がる。
カイの障壁では高温だけは防げなかったのだ。
おそらく本来であれば一瞬で全身やけどになるほどの超高温なのだろうが、今の三人にはシャーラが張ってくれた耐熱防御がある。
この急激な変化は、仕掛けたカイ以外には予想できないだろう。
ルドリアが中和反応を知っていたかどうかは分からないが、あの爆発に巻き込まれたのは確実で、無傷であるとは思えない。
そしてラングディールとシャーラは揺らがなかった。
カイがなんとかすると言った以上、二人はそれを信じて自分たちがやるべきことだけを見据えていたのだ。
直後、凄まじい風が吹き荒れた。
おそらくは熱や毒ガスなどを吹き飛ばそうとした魔王の力だろう。
ただそれは、カイの張った障壁に阻まれ、カイたちのところには来ず――この大部屋――謁見の間の天井を吹き飛ばした。
青空が見え、太陽の光が差し込んくる。
その光が、魔王の姿を映し出した。
見た目は無傷なのは驚くが、それでも今の威力には影響を受けたのか、身体がふらついているようにも見える。
「ランディ、いまだ!」
カイの言葉に、ラングディールは迷うことなく魔王へと飛び込んでいく。
「魔王!!」
複雑な剣技など不要。
繰り出したのは、文字通り全体重を乗せた突撃。突き出された聖剣が、まだ体勢を立て直せていないルドリアの胸に迫り――届いた。
聖剣がルドリアの鎧に激突し、一瞬拮抗する。
「貫けぇぇぇぇぇ!!」
ラングディールの叫びと共に、聖剣が強い光を放つ。
その光で黒い鎧がはじけ飛び、聖剣が魔王の左胸に突き刺さった。そのままラングディールはルドリアに激突し、聖剣の切っ先がルドリアの背へ抜ける。
それでもなおルドリアは倒れなかったが――。
ごぽり、と何かが溢れた。
それは、ルドリアの口から溢れた血だ。
直後、突然ルドリアの姿が変わった。
禍々しい鎧も角も、翼も霧のように一瞬で消え失せ――。
同時に、黒い面に覆われていたルドリアの素顔も明らかになる。
それは――。
「え……女性……?」
力なくラングディールにもたれかかっているのは、白いワンピースに似た服を纏った、年のころは自分達と同じ二十歳かそのくらいの、長い栗色の髪の美しい女性だったのだ。
「確かに、魔王ルドリアは女性だという噂は聞いたことがあったが……」
ラングディールが戸惑いながら、魔王の身体を自らから離す。すると、魔王ルドリアの肉体は力なく崩れ落ち、自然に胸に突き刺さっていた聖剣が抜けた。
倒れたルドリアからはとめどなく血が溢れだしている。
どう考えても致命傷だった。
「これが魔王ルドリアの……素顔ってことか」
「こんな素顔だったなんて……ちょっと信じられない」
シャーラの言葉に、カイも小さく頷いた。
そのか細い姿は、戦いの中に身を置く様な人物には到底見えない。
瞳は閉じられ、口元の血がむしろ痛々しい。
今もなお血は流れ出ているが、身体はすでにほとんど動かなくなっていた。
完全に死んでいるのは間違いない。
「……終わったな。ランディ」
「ああ。なんかその、実感わかないけど」
「おめでとう、ランディ。いえ、勇者様」
「やめてくれ、シャーラ。でも……そうだな、終わったんだな」
「ああ。やったな、勇者様」
「これでやっと、大陸に平和が戻る。これからも大変だろうが……カイ、シャーラ」
「分かってるよ、王子様。この後も手伝うさ。俺に何が出来るかは分からないけどな」
「またカイの謙遜が始まった。頼りにしてるわ、カイ。もちろん私も手伝うわ」
「お前らはまず後継者のことを考えろ」
「え?」
「祖父が元国王なんだから、王族の義務だろ。な、ランディ。頑張れよ」
その言葉に、ラングディールとシャーラの顔が真っ赤になる。
「お、おまえ、戦いが終わっていきなりそれかよ!?」
「な、何言ってるの、カイ!」
カイはしどろもどろになる二人をからかって、なおも笑う。それから、カイは倒れたルドリアを見た。もう、あの禍々しい魔力の気配は、全く感じない。むしろ――。
(こうやって見ると、まるでただの人間に見えるな――)
無論、人間であるはずはない。魔王ルドリアが誕生したのは三十年前。だが、今倒れている魔王の見た目は、どう見ても二十歳前後だ。ただ――。
(むしろ、満足気に死んだような安らかな表情をしてるのは……なんだ?)
胸に天敵のはずの聖剣を突き立てられて死んだのだ。その表情は苦悶に満ちたものであっても何ら不思議はないはず――なのに。
その表情は、どこか嬉しそうにすら、カイには見えたのだった。
それに、最期の瞬間。聖剣が鎧を貫くまで、ほんの一瞬だが間があったように思う。その間にラングディールへ魔法を放ち、あの危地を脱することもできたように思えた。だがルドリアはそれをせず――そのまま討たれている。
無論、そんな余裕がなかった可能性もあるが――。
(一体――魔王とはどういう存在だったんだ?)
魔王とは世界に仇なす存在。そして勇者が女神に導かれ、聖剣を授けられて魔王を倒す。この三年の旅で、カイ達はそれを疑わずにここまでやってきて、本懐を遂げた。
だがそれを達成した今になって感じるこの違和感は、カイの中に小さなしこりとして残り続けることになる。
リーグ王国歴八四四年、春。
リーグ王国王家唯一の生き残りであるラングディール・アウリッツが、勇者として魔王ルドリアを打倒した。
世界は再び平和な時代を迎えると、この時は誰もがそう信じていた。




