第2章 大賢者の出奔1
「本当にいってしまうのか、カイ」
その声に、朝になって開いたばかりの城門をくぐりかけたカイ・バルテスは足を止めた。
「待ち伏せは予想してたが、よくわかったな」
リーグ王国の首都シドニス。
その北門で、カイはその声に振り返った。
振り返った先にいるのは、二十歳ほどの金髪の青年。
見るからに育ちがよさそうな、そして高貴さすら感じさせるが――実際間違っていない。
このリーグ王国の国王である、ラングディール・アウリッツその人だ。
ただ、今は仕立ての良い服装を纏ってはいるが、それ自体はそれほど珍しくはない。
それでも雰囲気はやはり感じるのだろう。
今も見張りの兵士が誰だろうかと気にしているのが見えた。
「お前が出て行くなら、タスニア島に向かうことはないだろうからな。とすれば、西か北。ただ、西はまだ復興してないから……」
「ったく、この大賢者様の思考を読み切りやがって」
呆れたように嘆息しつつ、カイはラングディールと共に街の外に出たところで、立ち止まって振り返った。
「悪いな。あの時手伝うと言っておきながら、投げ出すような形になって」
「お前は、十分やってくれてたよ。すべては、俺の力不足だ」
「そんなことはない。あの戦いから一年、ランディは十分やってるよ。無人となったシドニスが、今や大陸随一の大都市にまで復興しているのは、お前の尽力あってこそだ」
魔王討伐から一年。
魔王ルドリアに滅ぼされたリーグ王国は、王子あり勇者でもあるラングディールの名のもとに再興され、往時の姿を取り戻しつつあった。
無論、カイとシャーラもそれに協力した。
特に『大賢者』とまで謳われたカイは、その知識が復興の大きな援けになったのは、カイ自身実感していたが――。
「お偉方には俺のやり方がお偉方に面白くなかったのは、事実だしな」
カイの考え方と貴族たちの考え方は、徹底的に相性が悪かった。
ただこれは、もうどうしようもないことだろう。
そもそもの考え方の立脚点が、というよりは見ている景色が違いすぎるからだ。
「すまない……俺が庇いきれないばかりに」
「お前に負担を強いるのは俺の本意じゃない。それに復興は十分軌道に乗っている」
カイの提唱した改革案の多くは、貴族たちの抵抗によって一部実施できていない。
それでもある程度の道筋は整えられている。
無論、カイ自身まだ不十分だと思う部分は少なくはないが、急激な変化は大きな軋轢を生む。今必要なのは時間だ。
まして相手は、八百年以上リーグ王国を支えてきたという自負がある貴族達だ。
その感覚は、どうしても合理的に考えがちなカイには、想像は出来ても理解は出来ない。
「強いて言えば、お前とシャーラの子供の誕生を祝えないのが残念なくらいだ」
「なら、せめてそれまでは王都にいてはどうだ。あと半年と少しくらいなんだから。俺としては、お前に名付け親になってほしかったくらいなんだが……」
ラングディールの妻――つまりは王妃――シャーラは現在妊娠中。
予定通りならあと半年ほどで出産のはずだ。
たださすがに、ラングディールの言葉にカイは肩をすくめた。
「それこそ恐れ多い。一介の平民が王族の名付け親などと、貴族連中が聞いたらまた色めき立つぞ。シャーラを妃にするのだって、大変だったんだろう?」
平民出身のシャーラがリーグ王国の王妃となるにあたっては、貴族達との間で相当な軋轢があった。
カイが貴族たちと対立した時にラングディールがカイを庇いきれなかったのには、貴族たちに対してシャーラの件で譲歩させたことへの引け目もあったのだ。
「だが……」
「もう決めたことだ。何、今生の別れというわけでもなし。たまには来るようにするさ」
なおも何かを言おうとするラングディールだったが、その言葉は発せられなかった。カイが一度決めたことをそう簡単に変えることがないのは、彼自身よくわかっている。
「わかった。だが、これだけは約束してくれ。いつか必ず、帰ってくると。それまでに俺は、お前がいられる国を必ず作ってみせる」
「ああ。期待してるよ、親友」
そういってカイは拳を突き出す。ラングディールは、それに自らの拳を合わせた。
それは子供の頃から二人の間で交わされる、違えることのない約束の儀式。
「帰ってきた時に、子育てに苦労してるお前を期待してるよ」
「お前が奥さんと子供連れてくる未来だってあるんじゃないか?」
予想外の反撃に、カイは思わず目を瞬かせた。
「可能性は低そうだけどなぁ。根無し草に付き合うような女性は普通いないだろ」
「魔王を打倒した勇者の仲間のセリフとは思えんな、それ」
「ほっとけ。あるいは、お前から離れればあるかもな。一緒に並んでたら、いやでも女性の目は常にお前に釘付けだったからな」
「俺はずっとシャーラ一筋だったんだが……そうだったのか?」
「出たよこの無自覚勇者のフラグブレイカー」
「ふら……なんだそれは?」
「何でもない。こっちのことだ。それじゃ、元気でな。シャーラにもよろ……」
「あら。ちゃんと自分で伝えてくれないの? カイ」
軽口を合わせ歩き出そうとしたところで、別方向から声が響いて、カイは足を止める。
「シャーラ……」
そこに立っていたのは、シャーラだ。淡い緑色のゆったりとしたドレスで、いわゆるエプロンドレスと呼ばれるものに類似した、動きやすさを重視した服装でもある。
「出発日はともかく時間伝えてないのに、なんで俺がこの時間に出るってわかるんだ」
「カイが時間を決めずに一人で何かする場合、ほぼ確実に早朝でしょう。昔からそうなんだから。ランディ、ありがとう。カイを引き留めてくれてて」
カイはそれで、今の会話それ自体がシャーラが来るまでの時間稼ぎであったと悟った。
「相変わらず策士だなぁ、お前も。仮にも『大賢者』と呼ばれる俺をハメるんだから」
「カイが一度決めたら絶対にそれを変えないのはよく知ってるからね。とはいえ、ここまで早いと、シャーラも準備に時間がかかるんだ」
それでも王妃としてはあり得ないほどの軽装なのだろう。もっとも、四年前はこれでも十分、よそ行きの服装だったのだが。
「カイ。元気で。多分ランディも言ったでしょうけど、いつか必ず帰ってきて、私たちに力を貸して。あなたの才を、私もランディも、この先絶対に必要とするから」
「俺がどこまで何ができるかはわからんけどね。ただ俺自身まだ若造だ。だから、大層な『大賢者』とかって呼び名にふさわしいだけの知と力を得たら、帰ってくるよ」
シャーラはそれを聞くと、満足したように微笑んだ。その横でラングディールも頷く。
「必ず帰って来いよ、カイ」
「待ってるわ」
「ああ。二人とも。元気でな」
もう一度、今度はお互いに握手を交わし、今度こそカイは歩き出した。




