最初と二度目-3
一週間という時間は、妙に遅くもあり、早くもあった。
退屈だった平日授業の間、ユン・ソジンの頭をかすめていったのは、黒板に書かれた数学の公式でも、課題のテーマでもなかった。
騒がしいPC房でジャゲチの匂いを漂わせ、卵の黄身をつぶしていたカン・イランの間抜けた表情だった。
『俺、ショックで頭おかしくなったのかな?』
自分で情けないと首を振りながらも、ソジンの視線は休み時間の廊下で偶然すれ違うイランの後頭部に釘付けになっていた。
目が合えば相変わらずフイッと顔を背けたり、中指を立ててみせたりしてきたが、楽しそうに笑う顔を見ていると、怒りというよりは『何なんだこれは?』という妙な感情がモコモコと湧き上がってきた。
普段通りの、それでいて少しだけ違う時間が過ぎ、土曜日の午後1時。
ソジンは繁華街のビル3階にある漫画カフェ「BEETOON」の黄色い看板の下に到着した。
1時ちょうど5分前。約束の時間より少し早く着いたことに一人で満足げな笑みを浮かべていたソジンの目に、エレベーターを降りてくるイランが飛び込んできた。
先週も見かけたが、制服や体操服ではない無難な私服姿だったが、それがただ良かった。
「来たか? ピッタリの時間だな」
ソジンが先に声をかけると、イランは首の後ろをポリポリ掻きながらニッと笑った。
「俺、約束の時間だけは守る方だからな。入ろうぜ」
お店のドアを開けて入り、靴箱に靴を入れた後、イランはカウンターの前へ堂々と歩み出た。
そしてソジンを振り返り、片方の口角をニッと上げた。
「俺が今日の料金払うから、お前が飯奢れよ?」
「は? あーあ、どんだけ食うつもりだよ……!」
ソジンがブツブツと文句を言いながら睨みつけたが、イランはお構いなしに店員へカードを差し出した。
「6時間パック、2人で。部屋は奥の隠れ家っぽい洞窟ルームでお願いします」
「あ! 変えてくれ! 俺が払うから!」
「はーい、お前は飯担当決定〜」
「クソ野郎が……」
ソジンは結局白旗をあげて首を振った。PC房も漫画カフェも、元々の基本料金より食べ物代の方が高くつくものだ。
さっさと会計しておけば良かった。
だが、すでに時間は過ぎていたため、二人は早速それぞれの好みに合った漫画本を選ぶため本棚の間を回った。
イランは堂々と言っていた通り【TWO PIECE】の最新刊を根こそぎかき集めて腕いっぱいに抱え、ソジンは最近人気があるというスポーツ漫画と少女漫画を数冊慎重に選び取った。
二人の腕に抱えられた漫画本は、顔が隠れそうになるほど積み上がっていた。
「おい、お前それ全部読めないだろ」
「この俺様はだな、速読ってやつができるんだよ。知ってるか? 速読」
「俺様とか言ってんじゃねえよ」
ソジンが呆れ顔で突っ込むと、イランは鼻で笑って先を歩いた。
二人が割り当てられた部屋は、漫画カフェの一番奥、階段の下にある2人用の洞窟ルームだった。
落ち着いた illumination とふかふかのクッションが二つ置かれた小さな空間だった。二人は本のアパートを隅っこにドサッと下ろし、部屋の中へ這入っていった。
問題はその次だった。
イランが自然な手つきで入口のカーテンを閉めると、瞬時に外部の騒音と光が完璧に遮断され、二人だけの密閉空間が完成した。
「……」
「……」
そして同時に静寂が包み込んだ。
服の端が触れ合うほど近い距離。二人きりでこの狭い空間にいるという事実が、異常なほど肌に伝わってきた。
胸の奥がムズ痒いどころか、ドクンドクンと鳴る音が耳元まで響いてくるようだった。万が一にもこの音が漏れないよう、ソジンは静かにしろと心の中で自分に言い聞かせ続けたが, 言うことを聞くような心臓ではなかった。
ソジンは唾をゴクリと飲み込み、気まずそうに視線を泳がせた。
イランもわけもなく首筋をいじくり回しながら周りを見回していた。気まずさに息が詰まりそうだった。
「あのさ」
ソジンが耐えかねて口を開いた。
「カーテン……開けるか?」
ソジンの言葉にイランはギクッとしたが, すぐに咳払いをして首を振った。
「あ、いや? 閉めたままにしとこうぜ。外をやつらが通って目が合ったら面倒だし」
「そ、そうか? じゃあそうするか」
ソジンは手当たり次第につかんだ漫画本の表紙を開いた。イランも【TWO PIECE】を開き、目を固定させた。
狭い空間に漫画本のページをめくる音と、二人の浅く静かな息遣いだけが漂った。
ソジンは今の状況で漫画本の文字がまったく頭に入ってこなかった。わけもなく視線を泳がせ、隣に座るイランの顔色を伺った。
イランも同様のようで、ページをめくる手つきが極めて不自然で、肩に力が入っていた。
気まずくて狂いそうな雰囲気を打ち破ったのはソジンの口だった。何か口に出さなければ、本当に心臓が破裂しそうだった。
「な、何か食うか!?」
ソジンが少しトーンの上がった声で不自然に叫び、壁に掛かっていたメニュー表のラミネート紙をバッとひったくった。
「あ、そうだ! 飯喰う約束だったな。俺、腹減って死にそうだったんだよ」
イランも待っていたかのように漫画本を閉じ、メニュー表の方へ頭をグッと近づけた。
意図せず二人の額が触れ合いそうなほど接近した。触れるか触れないかの距離からイランの体温を感じ取ると、ソジンの胸は再び大きく波打ったが、あえて平然を装いながらメニュー表を指で指し示した。
「俺、サイドメニュー一つ選ぶけど。お前何食う?」
「んー、サイド? 油っこいものが食べたいな」
二人の指が同時にメニュー表の一箇所に向かって飛んだ。
【サイド:サクサクフライドポテト(フレーバー選択:オニオン)】
「あ?」
二人の指先がフライドポテトの文字の上でピッタリ重なった。驚いて顔を跳ね上げると、お互いの瞳が目と鼻の先で交差した。
「お前、フライドポテト食おうとしてたのか?」
「おう……お前も?」
「オニオンフレーバーで?」
「当たり前だろ。ポテトと言ったらオニオンだろ」
ソジンが呆れたように笑いを漏らした。
「飲み物は? 飲み物は頼まないのか?」
「飲み物は当然これだろ」
今回も文句を言う必要すらなく、二人は同時にメニュー表の隅にある【スプライト缶】を指で突いた。
「お前、もしかして幼い頃に生き別れた俺の兄弟か?」
ソジンが呆れ返って首を振ると、イランは心外だという表情を浮かべた。
「ふざけんなよ。マジで」
「分かった、分かったって。じゃあメインの食事メニューは何にする? 俺腹減ってるからご飯ものにしようぜ。一つずつ頼んで分け合おう」
ソジンがメニュー表をめくり、炒飯カテゴリーを開いた。
今回ばかりは絶対に被らないだろうと思いながら、ソジンは心の中で『キムチ炒飯』と叫んだ。
まさかこれ ladder 一致するはずがない。メニューがこんなにあるのだから。
「いち、にの、さんで同時に指さそうぜ。オッケー?」
「おう。いち、にの、さん!」
二人の指が分厚いラミネート紙の上をバシッと叩いた。
【おすすめ:ツナキムチ炒飯 + 目玉焼き】
まったく同じ文字、まったく同じツナキムチ炒飯の上で二人の指がピッタリと重なった。
スパムキムチ炒飯やタコ炒飯といった他の選択肢をすべて差し置いて、正確にツナキムチ炒飯だった。
「……」
「おい」
一瞬、二人の口が貝のように閉じた。
お互いの指を見つめ、そしてお互いの顔を見つめ直した二人の瞳が驚愕に染まり、やがて呆れへと変わっていった。
「ぷっ」
先に吹き出したのはイランだった。イランは手で口を覆おうとしたが、一度弾けた笑いは止められなかった。
「ブハハハハハ! キチガイだろマジで! お前、俺の魂の双子かよ!?」
「あー、マジで頭おかしくなりそう! ブハハ! ユン・ソジンお前マジで狙ってやってんだろ!?」
ソジンも結局耐えきれず、お腹を抱えて声を上げて笑ってしまった。
狭い洞窟ルームの中が笑い声で満たされた。少し前まで二人を押し潰していた気まずさは痕跡もなく吹き飛んでしまった。
笑いすぎて目元に涙まで浮かべたイランがクッションに体を投げ出してクスク스笑い、ソジンも呆れ返って壁に頭を打ち付けながら笑いをぶちまけた。
「あー、息が詰まる……マジで鳥肌立つわ、カン・イラン」
「俺もだよ! お前と食性の一致率100%なの、マジで奇妙な気分だわ」
イランがようやく笑いを鎮め、目元を擦った。赤くなった目元と上気した頬をして笑っているイランの顔を見ながら、ソジンはふと悟った。
ほんの一週間前までユ・ハヌルのせいで涙を流して苦しんでいたあの奴が、今は自分を見ながらこんなにも晴れやかに笑っているという事実を。
そして自分自身もハヌルに振られた傷などすっかり忘れ、この狭い部屋でカン・イランという奴一人のせいで腹が痛くなるほど笑っているということを。
ユ・ハヌルと付き合っていた時はどうだっただろう? こんな風に抵抗なく吹き出して笑ったことがあっただろうか? いや、一刻一刻が慎重だった。
けれどカン・イランとの時間は違った。
無理に合わせようと努力しなくても、良く見せようと上品ぶらなくても、ただ投げかければピッタリとハマった。
呆れるほどの偶然と好みの if が作り出すこの愉快さは、言葉では表現しきれなかった。
これを表す言葉があった。絶対に存在した。
けれど、まだ認め shoes たくはなかった。
「おい、カウンター行って注文してくるわ」
ソジンが笑みの残る顔でカウンターへ向かうため席を立った。イランが後ろからクッションを抱きしめたまま声を張り上げた。
「ツナキムチ炒飯大盛りにできるか聞いてくれ! ポテトの粉多めで頼むって言えよ!」
「分かったよ、この大食い野郎。スプライトの氷カップ二つ貰ってくるから漫画本でも読んでろ」
ソジンがカーテンを押し開けて出て行きながら、チラッと後ろを振り返った。イランが機嫌の良い笑みを浮かべ、漫画本を再び開き直していた。
「バカ」
QRコードで注文できるのに、わざわざ行く必要なんてないのに。
ソジンがなぜそうしたのか分かる気がして、イランは透き通った笑い声を漏らした。ソジンには聞こえない声だった。
カウンターで食べ物を注文した後、洞窟ルームへ戻ってくるソジンの足取りは異常なほど軽やかだった。
カウンターで呼び出しベルを受け取って戻り、再びカーテンを閉めたが、もう気まずさは感じられなかった。
狭い部屋の中、並んで座り漫画本をめくる音の合間に、ソジンはチラッとイランの横顔を見つめた。
『ハヌルは見る目がないんじゃないのか? こんな面白い奴を振りやがって』
心の中でハヌルを存分にバカにしたソジンは、口角をそっと上げた。
失恋は最悪だったし、その果てに出会ったお互いの元カレもまた最悪だと思っていた。
だが、その最悪と最悪が出会って作り出した今の週末は、不思議なことにソジンの人生で一番面白く、楽しい時間だった。
「何見てんだよ?」
「見てねえよ。漫画本見てるんだよ、文句あるか」
「俺がイケメンだからって」
「調子乗りすぎだろ、マジで」
軽口を叩き合いながらも、二人はお互いを見つめ合って大きく笑った。
まもなく呼び出しベルが鳴り、二人はまったく同じツナキムチ炒飯とスプライトを前にして美味しく食べるだろう。
恐ろしいほど似通っているお互いを見つめながら。




