第7話懐かしい兄の姿
「お嬢様、あのどちらに向かわれるのですか」
しっかりと眠ったら朝はすぐにやって来た。
パティに中級の回復魔法を掛けた後、もう一度自分にも中級の回復魔法を掛けた。そして魔力がまだ残っていると感じて更にパティに中級の回復魔法を掛けてから、ぐっすりと夢も見ずに眠った。
自分の魔力量がどれほどか分らない。
神殿にある魔水晶で魔力量と自分の適性は見て貰うことは出来るけれど、あれは子供が気軽に確認したいからと使えるものじゃない。
大抵は節目の年に家族総出で神殿に出かけて確認するものだからだ。
一度魔力量を調べた後は、どの魔法をどれだけ使えるのか体験で把握するしかない。
魔力量限界まで使うと気を失うらしいけれど、以前の私はそこまで魔法を使った事が無かったからその感覚は分らない。
魔力量は使ってから時間が過ぎれば自然に回復するし、魔力回復薬を飲んでも回復する。
魔力回復薬というのは、魔法草などを使い錬金術師が作った薬で高価らしい。
錬金術師は錬金釜という魔法の道具を使い、様々なものを作ることが出来る。魔力回復薬の他傷薬や回復薬も作ることは出来るらしいが、どれも高価だから、普通の人は治癒師に治療を依頼するものらしい。
ではいつその高価な薬を使うのかというと、すぐに治癒師を呼ぶことができない時になる。
旅をしている時、迷宮という魔物が沢山出る場所に入る冒険者という者達が主な使用者になる。
迷宮というのは以前の私は一度も入ったことが無いけれど、スフィール侯爵領にも迷宮はある。
魔物を狩ると魔石の他色々なものを落とす、魔石というのは魔法の道具、通称魔道具と言われるものの発動するための力になったり、上級治癒師なら魔法を使う時の力にもなる。
魔道具は貴族の生活に必要なものだし、平民でも裕福なものは魔道具を使い始めているから魔石はいくらあっても足りない。つまり侯爵領の重要な財源の一つになっている。
以前の私は侯爵家の財力は貴族なのだからあって当然と考えていたけれど、昨日のパティとお母様の会話を見て、ジョゼットが思うような治療を受けられない現実を知って、あれは当然ではなく上位貴族の女主人としてもっと色々と考え理解していなくてはいけなかったのではないかと考えた。
以前の私は領地の運営や何もかもを夫に任せて、自分は無能だからと引きこもっていただけだったのだ。
それだけでなくまともに社交もせず、子育てはパティと家庭教師に任せていたのだから、家族から距離を取られて寂しくパティ以外誰もない中死んでも当然だったのかもしれない。
しなくてはいけないことから目を背け、寂しい、悲しい、私はそればかり考えている人間だったのだ。
理由は分からないけれど、私は過去に戻ってそれに気が付いた。
今ならばやり直しはできると思う、少なくともジョゼットの怪我を治すことはできる。
昨夜私は中級の回復魔法を何度も使えたし、体調確認の魔法も使えた。
ぐっすりと眠った私は、多分魔力は全回復している。
昨日自分自身にかけた回復魔法のお陰で、体の怠さもなくなったからジョゼットの怪我を治すなら今が一番良いと思う。
絶対にジョゼットを治療する。
空腹と共に目を覚しベッドに座ったまま軽い朝食を取った後、私はそう決意してパティと供に部屋を抜け出した。
両親は今日は私の様子を見に来ていない、というよりも昨日二人が部屋に来た方が珍しいことなのだ。
「パティ、お父様とお母様は今何をしているか分る?」
「旦那様はお出掛けになりました。奥様は再来月の王家主催の夜会で着られるドレスを注文されるとかで商人と会われています」
「ドレス、じゃあ時間が掛かる? 商人は来たばかり?」
まだ午前中の早い時間だと言うのに、お父様はもう出掛けてしまったらしいし、お母様は商人と会っているとは二人とも意欲的に行動しているなと、以前の自分の生活と比べて思う。
以前の私は、昼過ぎまで目を覚まさず、午後はぼんやりと過ごしていた。
本当に私は怠け者だったなと、両親と比べて情けなくなる。
「お母様、忙しいの」
油断すると大人の様な口調になってしまうから。意識して子供っぽい話し方にしようとするけれど失敗している気がして仕方ない。
三歳の頃の自分がどんな話し方だったかなんて、覚えていないのだから仕方ない。
パティはあまり気にしていない様だけど、他の人もそうだとは限らないからもっと注意して話さないといけない気がする。
「先程到着されたばかりですから、昼近くまでかかるのではないかと思います」
私の問いに答えるパティは顔色がいい。
予想通り不寝番をしていたパティは、私が目を覚すと寝る前と同じ姿のまま椅子に座って目を閉じていた。
回復魔法はかけていたとはいえ、ずっと椅子に座ったままの体は辛いだろうに、まだ十二歳のパティがそうしている姿は考えるものがあったけれどどうしようもないのだと思い直した。
だって三歳の幼児でしかない私には何も出来ないのだ。
これからもこっそり回復魔法を掛けてあげるくらいしか、今の私にはできることはない。
「じゃあいいね。パティ連れて行って」
「お嬢様?」
「ジョゼットのところに行くの。ごめんなさいって言うの。絶対に」
「お嬢様」
ガスパール先生は午後私の往診に来て下さるのだと、朝起きてすぐにパティに言われたから今はまだ大丈夫。
家庭教師は私が元気になるまでお休みする事になっているし、お父様は出掛けていて屋敷にはいない。
「お母様達に見つからないように、急いで行こう」
「どこに行くつもり? ミルフィ」
「え」
「体は大丈夫なの? 熱を出したって聞いたよ」
私の部屋の前でグズグズしていたのが悪かったのだろう。
聞き慣れた懐かしい声に振り返るとそこに、記憶と同じ姿の兄様が立っていた。
「おはようミルフィ。良かった顔色が良い」
「おはようございます。お兄ちゃま」
確かそう言っていた筈だと記憶を探り兄様を呼ぶと、にこにこと優しい笑顔で兄様は私の頭を撫でてくれた。
「ああ良かった、ミルフィ。ずっと目を覚さないと聞いていたから心配していたんだよ」
私が三歳と言うことは。兄様は五歳の筈。
だけれど兄様はしっかりとした言葉遣いで、私を気遣ってくれる。
兄様は勤勉だったし元々頭が良かったから、五歳とは思えない口調も違和感を覚えることはない。
その兄様の後ろには、侍女が一人ついている。彼女も記憶の中の彼女よりもだいぶ若い、名前は分からないが顔は何となく覚えている。
「もう元気です。お兄ちゃま、お勉強は?」
「これからだよ。勉強の前にミルフィに会いに来たんだよ。元気になって良かったよ」
何度も何度も私の頭を撫でながら、兄様は良かったと繰り返す。
兄様はとにかく優しい人だった。
頭が良くて優しくて、学校でもお茶会でも兄様は皆に慕われていた。
「お兄ちゃま」
ぎゅうと兄様の体にしがみつく。
十代の後半、たったそれだけ生きただけで兄様は亡くなってしまった。
避暑のため田舎にある別荘に行った時、兄様は体調を崩しそのまま亡くなってしまったのだ。
嵐の晩だった。
元々体が丈夫では無かった兄様は夏風邪を引いて、それが悪化したのだ。
地元の治癒師を呼ぼうにも嵐で馬車が出せず、朝になって治癒師が駆けつけた時にはもう手遅れだったのだ。
「どうしたのミルフィ」
「お兄ちゃま、お昼は一緒がいいです」
「淋しかったのかな。勿論いいよ。ミルフィの調子がいいなら一緒にお昼を食べよう」
「はい。お兄ちゃま。頭を撫でてください。ミルフィ、元気になるの」
兄様の体温を感じ、涙が出そうになるのを必死に堪える。
優しい兄様が大好きだった。
あんなに早くお別れがくるなんて、思いもしなかった。
「ミルフィは甘えん坊だね。体まだ辛いんじゃない? 少し顔が赤いよ」
「大丈夫です。お兄ちゃまに頭撫でて貰えて嬉しかったの」
離れたくなくてぎゅうぎゅうと兄様にしがみつく。
生きているのが信じられない。
お父様とお母様の顔を見た時よりも、パティやガスパール先生の顔を見た時よりも、兄様が生きていてこうして触れられるのが信じられないし、とても嬉しい。
「そうか。僕も嬉しいよ。可愛いミルフィが元気になって。だから約束してね、階段を下りる時は注意するって」
「はい、気をつけます。約束します」
真剣な顔をして私を諭す兄様に、私は真面目な顔で頷く。
良い子になる。我が儘を言わず怠けず努力する。
昨日私は、自分が恵まれているのだと気が付いた、怪我に苦しんでも治癒師を呼べないなんてことなく、解雇されて路頭に迷うなんて心配もない。
我儘を言っても許されていた自分は、恵まれていたのだと気が付いたのだ。
だから、私は出来損ないでも今度は努力する。出来損ないなりに、努力していく。
だから、今度は生きて。兄様。あんなに早くいなくならないで。
願いを込めて、兄様にぎゅっとしがみついた。




