第52話授業を終えて3(キム先生視点
「先生、僕は何を聞いても大丈夫です。教えて下さい」
「最弱というのは、何かの病気があっての事なのか」
私が恐れていたよりも冷静な声で、セドリック様と侯爵は問い掛けてくる。
冷静、なんだろうか。
いいや、どちらも冷静な振りをしているだけだ。
侯爵の方は何か複雑な感情を抑え込んでいるように見えるし、セドリック様の方は冷静というよりも私が何を言うのかすでに分かっていてもう諦めているように見える。
生命力が現状最弱というのを考えると、今セドリック様がこうしてソファーに座り会話しているのはかなり無理をしているのではないかと心配になる状態ということだ。
今までを知らないけれど、少し疲れただけで熱を出して寝込んでいたのではないかと思うし、今日は無理をして起きていただけでいつもはほぼ寝たきりなのかもしれない。
「先生」
「ガスパール先生はどの様に仰っていますか」
ガスパール先生に予め彼の状態を教えておいて欲しかったと恨めしくなりながら、侯爵に話を振る。
こんな酷い状態だと正直な話を幼い子供にするわけがない、ガスパール先生が彼に話していたことと私の話が違っていたらマズイことになる。
「少し肺が弱いと、大人になるにつれ良くなることもあるとは聞いています」
一瞬だけ侯爵の視線が右上に動き、すぐに正面に戻った。
先程の冷静そうに見える顔よりも、侯爵の今の視線の動きの方が感情を含んでいた様に感じてしまう。
少し肺が弱い程度なら、生命力が最弱とはならない。
つい最近風邪か何かをこじらせて肺の機能が著しく落ちていたなら別だが、それなら侯爵が今検査結果を伝えた時にそれを聞くだろう。例えば『先日まで肺炎を起こして寝込んでいたがこれが影響しているのだろうか』などだ。
侯爵は何もそう言った話をせず現在の生命力最弱を納得しているように見えるから、少し肺が弱いというのは嘘で本当はガスパール先生はセドリック様のお体の状態を正しく侯爵に告げているということだ。
そして、それはセドリック様に伝えられていない。
「なるほど、肺が弱いのであればこの結果も納得できます。肺というのは呼吸する時に重要な役割を担っていますからね。ちなみにガスパール先生は今どの様な治療をされていますか」
五歳とは思えない程大人びているセドリック様は、私と侯爵の会話を理解しているように思う。
私が言った検査結果も勿論理解して、生命力の低さに動揺しているだろう。
だからこそ侯爵は優しい嘘をついたとしか思えないから、私もその嘘に従う方がいい。
「肺の動きを良くする薬草茶と、体力を向上させる薬を飲んでいます。後は十日に一度ガスパール先生に治癒魔法を掛けて頂いています」
「薬草茶を今日は飲まれていますか」
「勿論です。治癒魔法は三日前に掛けて頂きました」
つまり、薬草茶を飲んでも大きな効果は無く、治癒魔法も気休めにしかなっていないのかもしれない。
ガスパール先生の治癒魔法が無ければ、ほぼ寝たきりでもおかしくはないのだろう。上級治癒師の治療を十日に一度とはいえかけて、毎日薬草茶と薬を飲んでいるというのは、侯爵家の財力があって出来ることだ。
普通の家なら治療費が払えると思えない。
「ガスパール先生に確認しなければなりませんが、肺が弱いというのが生命力に影響しているのだと思います。でもそれは魔法の勉強していくことで僅かずつでも肺の機能を強化していけるかもしれません。魔力が増えると身体能力が上がると言われていますからね」
ただセドリック様の場合魔力が少々上がったところで、どの程度身体能力が上がるか分からない。
このままだと、成人まで生きられないだろう。
それが生命力最弱という状態だ。
ガスパール先生の治癒魔法の腕はこの国では五本の指に入ると言われているから、彼がセドリック様を診ている限りはこのままの状態は維持出来るかもしれないが、それでも薄氷の上を歩いているのと同じ危うい状態で維持しているようなものだ。
例えば長く外にいただけで倒れてそのまま命が尽きる。それが大袈裟な話ではないのだ。
「希望はあるのですか」
「ええ、あります。ガスパール先生と治療について確認してからになりますけれど、諦めず治療を続けていけば希望はあります。セドリック様、私と一緒に魔法について学んで下さいますか」
「そうすれば、僕は長く生きられますか」
長く。
その一言で、セドリック様は本当にご自分の状態を正しく理解されているのだと分かった。
「……はいセドリック様」
「先生、キム先生どうかお願いします。私の魔力が増えたら、それが希望になるのなら精一杯努力します。魔法の勉強を頑張ります。どうか大人になれるように協力してくださいませんか。私が死んでしまったら、ミルフィが辛い思いをする」
セドリック様をその場限りの言葉で励まそうとしていた私の安易な気持ちは、幼い彼の告白で凍り付いた。
「キム先生、僕はミルフィが辛い思いをしていたと気が付きませんでした。辛くて痛くて、無意識に治癒魔法を使える様になってしまう程だったというのに。小さな可愛い僕の妹が辛い思いをしていたと気が付かずに、ずっと我儘な子だと呆れていたんです。健康な体を持ち思うままに動けるというのに努力をしない怠け者だと呆れていたんです。僕は愚かな僕を許せない、きっと一生許せない。だから僕は死んではいけないんです」
「セドリック様」
「先生、お願いします。僕はまだ死ねないんです」
私と言っていた彼は、僕といつの間にか言いながら私に希う。
外向けの会話から、彼の本心が見えて、なんて言っていいのかと途方に暮れてしまう。
「……ミルフィ様が目を覚ます前に検査をしてしまいましょう。詳しい話はそれからです」
「はい」
情けない事に、セドリック様へどう答えるのが正しいのか私は分からなくて逃げてしまった。
ミルフィ様を心配している彼の気持ちを利用して、彼への返事を後回しにしてしまったのだ。
「では、ミルフィ様の検査に必要な血を採取するため今からこの針を彼女の指に刺します」
採血用の針を見せながら、ミルフィ様の意識がない顔を見下ろす。
どんな結果が出るのか、こんなに恐ろしいと思うことは今まで無かった。
「はい」
「ミルフィ様、これは検査ですからね。少しだけ痛いですけれど、すぐにポーションを使いますから」
「キム先生、僕が水晶を持っています」
「それではお願いします」
セドリック様に検査用の水晶の魔道具を手渡すと意識が戻らないミルフィ様に声をかけてから、ミルフィ様の前に跪き彼女の手を取り細い指先に針を刺す。
「血を、数て……あ」
ぷくりと出て来た赤い血の雫は、水晶に一滴落ちただけで止まってしまう。
「先生?」
「血が止まってしまった。どうも治癒魔法を使われた様ですね」
こんな事あるだろうか、針を刺してから血が出るまでほんの一瞬の間で針を刺した痕が消えて血が止まってしまうなんて、そんな事可能なのだろうか。
目の前で実際に起きているのに、それが信じられない。
「申し訳ありません、これでは足りませんからもう一度針を刺します」
ぽとりと落ちた一滴では検査が出来ない。
最低でもあと五、六滴……いやもう少し必要だ。
「もう一度、針を刺します」
ぽとりと、だけどそれだけで血が止まる。
本来であれば針を刺して、その後指先を摘んで血を絞り出す。でもそれをする前に血が止まってしまうのだ。
一滴と言いながら普通の人に針を一度刺した時にぷくりと指先に出るよりも血の量が僅か過ぎて全く足りない。もう一度、もう一度、針を刺すのを繰り返すけれど、どんどんミルフィ様の治癒魔法の発動が早くなり結局検査に必要な血液を採取するまで十回以上針を刺し採取を終える。
血液が足りたのではなく、最後は針を刺して抜く時に治癒魔法が発動して血が出なくなってしまって諦めるしかなかったのだ。
これ以上血を取るには指先を切るしか無いけれど、そんな痛みを与えたらミルフィ様が魔力暴走しかねない。
だから諦めるしかなかった。
幸い最後の一滴で、最低限のことが調べられそうな量にはなっていた。これで駄目ならミルフィ様の意識がある時によくよく言い含めて採血するしかなかったから、助かったと言えるだろう。
「ミルフィ様の治癒魔法はかなり熟練されていますね。意識が無いというのに素早く確実に魔法を発動されている」
もう呆れるしかない。
こんな魔法の使い方が出来る人なんて、私は知らない。
まだ三年しか生きていないミルフィ様が、こんな風に治癒魔法を無意識に使いこなせる様になるまでどれだけ体を痛めつけられていたのか。
指導として、躾としてミルフィ様に体罰と罵倒をし続けていたミルフィ様の家庭教師だっという女性を呪い殺したくなる程、私は怒りを覚えていた。
「何度も針を刺してしまい申し訳ありません、ですがお陰で検査が出来ました」
どの値よりも早く、私は生命力の結果を見た。
セドリック様とは全く異なる。
ミルフィ様の生命力は大、現在の結果は中だった。




