第25話お父様の答えは?
「ジョゼットか」
「駄目?」
考え込んでいるお父様に尋ねるけれど、答えてもらえない。
ちらりと兄様を見れば、食事の手を止め無言で私を凝視している。
その顔は困惑なのか、食事の時間に泣きわめいている私が迷惑なのか分からない。
「ミルフィは他人を信用できないかな」
「信用?」
それは三歳のミルフィが聞いたことがない言葉の筈だから、知らない振りをする。
ちらりと兄様の方を見ると小さく首を振った後、パンに手を伸ばし小さく千切り始めた。
その様子から兄様が私のことをどうでもいいと思っているのだと、気が付いてしまう。
賢いといっても兄様はまだ五歳、もしかすると私とお父様の会話に興味が持てなかっただけかもしれないけれど、でも私が泣いていても自分とは関係ないと割り切って食事に戻ってしまうのだから、それだけの関心しかないということだ。
「信用とは、ミルフィにはどう説明したものかな。……今はミルフィが怖くない相手でもいいかもしれない」
ジョゼットなら上手く説明してくれるのかもしれないけれど、殆ど私と関わってこなかったお父様ではどう説明しても難しい言葉にしかならないと思ったのか、言い方を変えてしまった。
「お父様」
「ん?」
「怖くないよ」
「あぁ、そうか。ありがとう」
怖くない相手と聞いて、私は素直にそう口にだす。
だってお父様は怖くないから、いいえ、本当は怖い。
それは、先生に感じる恐ろしさとは別の種類の怖さだ。
お父様が以前の私を見ていたのと同じ目で、そう私のすべてを諦めたような目で見るようになるかもしれないという恐怖だ。
お父様だけでなく、恐ろしいのはお母様も兄様も同じだ。
私は家族が恐ろしい、私をいつ見限るか分からないから、何か失敗したら最後だと思うから怖いのだ。
何も知らずに成長し、愚かなまま大人になって結婚して一人で死んだ以前の私と違って、今の私はなぜか周囲の様子を見て考えることが出来る大人の意識があり、以前の私の記憶もある。
以前の記憶があるだけでこんな判断ができるのが、一番おかしいことだと思うけれど、まだ選民意識を植え付けられていない幼いミルフィの心が私に混ざったからなのか、それとも何か他の理由があるのか、今の私は良いことも悪いことも素直に心に響いて、考えることが出来る。
以前の私は考えることが苦手だったのに、辛いことや悲しいことで胸が一杯になってしまって心を閉ざすことしかできなかったのに、一体何が違うのか分からない。
「お母様もお兄ちゃまも、ジョゼットもパティもガスパール先生も」
「それ以外は? 初めて会う人は?」
「初めて?」
「新しく先生を決めたら、ミルフィは怖いかな」
「打つ?」
「打たないよ、そんなことは二度とさせない」
「お父様は側にいてくれる?」
夫人は狡猾で、ジョゼット達は部屋から追い出されていた。
授業がどういうものか知らなかった私は、夫人の言葉をすべて信じて自分を出来損ないだと責めた。
「それは……」
「ミルフィ駄目な子だから、お父様はミルフィを嫌いだって先生言ってた」
「それは違う、ミルフィが不安になるのは分かる、わかるんだが、ジョゼットは」
「朝食を食べます。お父様ごめんなさい。ミルフィ悪い子でした」
これ以上は無理にお願いできない。
意識してしょんぼりと椅子に座り、しょんぼりとしたまま朝食をとる。
今日は何も嫌いな物が出ていなかったから、私は黙々と食事をしてごちそうさまをした。
「ミルフィ」
「はい」
「ジョゼットをミルフィの先生にするかどうかは、少し考える。本来であればジョゼットでは上位貴族の娘を教えるには教養が足りないのだが、しばらくはそれでもいいか検討するから待っていてくれないか」
「お父様?」
「部屋に戻って休みなさい」
「はい」
お父様はまだ決断していないけれど、可能性は残っている。
それにホッとして、大人しく頷く。
結局お母様は食堂には来なかったしジョゼットも来なかったから、私はパティに手を引かれしょんぼりしたまま食堂を出るしかない。
「ミルフィは悪い子だから、お父様はお願いを聞いてくれないんだね」
「お嬢様、そんなことはございません。母を先生にするのは土台無理な話なのです。母は家庭教師が出来る様な良い学校に通っていたわけではありませんから」
田舎の男爵家の娘だったジョゼットは、地方の学校に通っていたのかもしれない。
子爵夫人は確か、お父様やお母様が通っていた王都の学校に通っていたと聞いたことがある。
あそこは王族も通う歴史と伝統のある学校だと、子爵夫人は自慢していたからよく覚えている。
「新しい先生にもミルフィ馬鹿って言われるのかな」
「そんなことございません、すべての教師がそんな乱暴な教え方をするわけではありませんよ」
とぼとぼと歩きながら、パティに慰められる。
食堂から私の部屋は遠いから、幼いミルフィの足では長く歩くだけで疲れてしまう。
お父様が即答まではいかなくとも、ジョゼットを教師候補にしよう程度には言ってくれるのではないかと期待していたのに、教養が足りないと言われてしまうともう私にできることなない。
がっかりしすぎた私は、歩く気力が無くなっていた。
「パティ、パティは一緒にお勉強してって言ったらしてくれる?」
「私がお嬢様と? そんな恐れ多いこと出来ません。私は使用人ですから」
「そっかぁ」
立ち止まってパティの顔を見上げ、また俯いて歩き出す。
教師が決まるまで授業はお休みになったし今日はもう何も出来ないから、部屋で何か次の手を考えよう。
「パティ、お菓子食べたい」
「まあ、お菓子ですか? 今朝はお食事の量を減らしてあったようですし、足りなかったのでしょうか」
「足りなかった?」
なぜ量を減らされていたのか分からずに、パティを見上げると何か考えている。
「お熱を出されていましたから、消化に良いものを少しだけ用意したと料理人が言っていました。午前中ガスパール先生が診察にいらっしゃいますので、お菓子はその後がよろしいのではありませんか?」
「ガスパール先生とお菓子食べるの?」
ガスパール先生は以前の私の癇癪に辛抱強く付き合ってくれた優しい人だから、一緒にお茶の時間を過ごせるなら嬉しい。
先生はもしかしたら、私の歪な心に気が付いていたのかもしれない。
一緒にお茶の時間を過ごして、いつも私の話を静かに聞いてくれたのだ。
「お忙しい方ですから、それはどうでしょう」
「そっかあ」
三歳児に出来ることは少な過ぎて溜め息が出てしまう。
自分の考えをはっきり言うことも出来ず、一人で屋敷の中を歩くことすら出来ない。
そもそも私の小さない体では、ベッドから下りることも上ることも出来ないし、着替えすら一人で出来ないのだからこんな私が何か出来ると考える方がおかしいのかもしれない。
「ミルフィ」
今日はもう部屋で大人しくしていよう、調子が悪いと言ってベッドの中に潜り込んで毛布を頭から被って眠ってしまえば、ガスパール先生が来るまで時間はすぐに過ぎていくだろう。
諦めの心境で歩いていたら、兄様の声した。
「お兄ちゃま」
「ミルフィ、何があったの?」
「何?」
兄様には珍しく、廊下を走って私の所までやって来た。
「あいつに打たれたの?」
「え?」
何故兄様がそんなことを聞くのだろうという疑問は「さっき、お父様に打つのか聞いていたから」という言葉で解消された。
兄様は興味なさそうに途中から食事に戻ってしまったけれど、私が泣きながらお父様に訴えている会話の内容を理解していたのだ。
「僕の部屋においで、僕が教えてあげる。ミルフィが怖いと思う大人に教わるしかないなんて、怖いのを我慢する必要はないから」
兄様は私の手をパティから取り返すように両手で掴むと、そのまま引っ張ってどこかに連れて行こうとする。
「セドリック様、旦那様がお許しになりません」
「ミルフィを打つ? 謝らせる? そんなの僕が許さないからっ」
「もう子爵夫人はこの屋敷に入れませんから、そんなことは二度とおきません」
「セドリック様、どうぞ落ち着いて下さいませ。興奮するとお熱が出てしまいますっ」
パティと兄様のメイドが二人で宥め始める。
私はといえば、生まれてはじめて聞く兄様の大声に、目を丸くするしか出来なかった。




