第24話お父様へお願いしてみよう
「お嬢様、本当にそんなお願いをされるおつもりですか?」
目覚めてすぐ、パティに計画を話したら驚かれてしまった。
「ジョゼット嫌かな」
「母は元々私に行儀作法と勉強を教えてくれていました。私の家が治めていたところはとても田舎でしたから、雇いたくても家庭教師が来てくれなかったので仕方なく母が」
パティが言い訳のように言うその言葉に、そう言えばジョゼット達はかなり田舎の領地を治めている男爵家の出だったと思い出す。
パティは以前の私にも、男爵家が治めていた土地はいかに田舎で何も無かったかと何度も話していた。
本当に田舎だったからなのか、それとももう自分は男爵家を追い出された身だから良いところだったと思いたくなかったか、どちらか分からないがパティがその話をする時の顔は少し恐ろしく感じてしまって苦手だった。
「じゃあ、ミルフィの先生になってくれる?」
パティの機嫌を損なわない様に、恐る恐る確認する。
何故だろう、以前の記憶を思い出してから時々パティを恐ろしく感じてしまう。
私は姉の様にパティを思っていたのに、どうしてそう思うのか分からない。
今のミルフィの気持ちが落ち着いていないせいだろうか、先生……子爵夫人への恐怖があるから他の人も怖いと感じてしまうのだろうか分からないけれど、パティの機嫌を損ねては駄目だと以前の私の何かが言っているのだ。
「旦那様のご判断によるかと思います」
「ミルフィ、他の人怖いの。先生みたいに打つかもしれないでしょ、謝れって言いながら定規で叩かれるかも」
「お嬢様、それは……」
打つという言葉は、どんな人にも衝撃を与えるようだ。
勿論私自身にも、打つと言う度に、謝れ叩くと言う度に先生の恐ろしい顔が浮かんで両手の指先が冷えるような感覚に陥ってしまう。
「お父様にお願いするの! 行こう!」
ぐずぐずしていると先生の幻影が襲い掛かってくるようなきがして、勢いよく立ち上がるとパティの手をつかみ部屋を出る。
ジョゼットはお母様に呼ばれているらしく、部屋には来ていなかったから今はパティと私の二人だけだ。
「お嬢様、ゆっくり歩いてください。転んでしまったら大変です」
「あ、そうだった」
気は焦るけれど、転んで怪我でもしたらパティの責任になってしまう。
「パティ、手繋いで。引っ張ってごめんなさい」
するりと謝罪の言葉が出て、自分自身驚きながらパティと手を繋ぐ。
「お嬢様、走らずに少しだけ急ぐのはいかがですか」
「分かった、そうする!」
パティは私の手をしっかりと握った後でそう提案してきたから、私は少しだけ急ぎ足で食堂に向かった。
「おはようございます」
食堂に入ってすぐ中の様子を窺うと、お父様と兄様の二人しか座っていなかった。
お母様はどうしたのだろう、私の看病疲れで体調を崩したのだろうかと心配になる。
ジョゼットはお母様に呼ばれたというけれど、なんの用事なのだろう。まさか先生の行いに気が付かなかったことを責められているのではないだろうか、私が足を滑らせたことをジョゼットが悪いと言うのだから、先生の命令で私の近くにいられなかったジョゼットが叱られてもおかしくない。
「おはようミルフィ、椅子に座りなさい」
「お父様、お母様は?」
「すぐに来るよ。熱は下がったと聞いたが、気持ち悪いところは無いかな?」
「はい」
家庭教師の件は、食事の前にお願いをした方がいいだろうか?
お父様の問いに返事をしながら考えて、自分の椅子ではなくお父様の側へ向かった。
「お父様」
「どうしたミルフィ」
「先生またミルフィを打つ?」
すぐにお願いを口にしても叶えてくれないだろう事は分かっていたから、お父様にとって衝撃があるかどうか分からないけれど反応を見るつもりで聞いてみた。
夫人のあれが行き過ぎていただけで、子供の教育には体罰が当たり前な可能性もある。
私は、自分の子供も孫も教育のすべてを、使用人達に任せていたからその辺りの事情に詳しくないのだ。
「何を言っている?」
「ミルフィ、昨日ちゃんと謝れなかったから。先生に沢山打たれる?」
お父様と兄様が私を凝視している。
食事の用意に忙しく動いていた使用人達の動きも止まった。
「ミルフィ、沢山謝れば良い? そうしても駄目? また沢山打たれるの? ミルフィが泣いたらまた大きな声で怒るの? 定規で沢山沢山叩く? ミルフィが泣いたらもっと叩く?」
何度謝っても先生は私を許さない「腕をここに置いて、これは躾です。あなたが悪い子だから、駄目な子だから躾のために行うのです。これをされるのは恥ずかしいことですよ。お父様にもお母様にも知られたら嫌われてしまいますよ」と言いながら、先生は私を打つのだ。
それを思い出しただけで、私の体は震えてしまう。
「あの女、いや子爵夫人はもうミルフィの先生ではないから、大丈夫だよ。落ち着いたら新しい先生が来るからね」
「新しい先生? 今度はその先生がミルフィを打つの? ミルフィを馬鹿って言う? 出来損ないって打つの?」
ジョゼットを先生にする為だとはいえ、言われた言葉を思い出すだけで涙が出てくる。
「お嬢様」
パティが私の側にしゃがみこみ、ハンカチで涙を拭いてくれる。
「パティ、パティ」
ぎゅうとパティにしがみつくと、困惑した声でパティが「お嬢様、大丈夫ですよ」と慰めてくれた。
「旦那様、お話しする許可を頂けますでしょうか」
「許す」
「ありがとうございます。お嬢様は昨晩も怯えていらっしゃいました。先生に打たれるのが怖いと泣いておいででした。旦那様達以外は私と母だけ怖くないと」
「私達以外は、お前とジョゼットだけ?」
呆然と私とパティを交互に見て、お父様は考え込んでしまった。
こんな顔を見るのは初めてだ。以前の私を見るお父様は何か諦めた様なそんな目でしか私を見ていなかった。
「ミルフィ? 新しい先生は大丈夫だと言っても怖いかい? それでも駄目ならセドリックの先生にお願いをしようか。二人見るのは大変だろうが、彼は信用できる」
「駄目っ!」
「ミルフィ?」
「だって先生言ってたもん。馬鹿な私が生まれたせいでお兄ちゃまを教えられなくなった。お前が生まれたのが悪いんだって。だから愚図な私は生まれてきてごめんなさい。お兄ちゃまを教えられなくしてごめんなさい。って謝らなきゃいけないって。だから、ミルフィ。何度も何度も。ミルフィは馬鹿で怠け者で出来損ないですって、生まれて来てごめんなさいって、それでもいっぱい打たれて怒られて……」
夫人は兄様を教えていたかったのだ、私なんて教えたくなかったのだ。
「ミルフィ、生まれてきちゃいけなかったって」
優秀な兄様、この家を継ぐ人を教えたかった先生にとって、私は憎くてたまらない存在だったのだ。
「そんなことまで言わされていたのか? ミルフィ、生まれてきたのが悪いなんてあるわけがないだろう?」
私を抱き上げお父様が、指先で涙を拭ってくれる。
これは演技なんかじゃない、止めたくても勝手に流れてしまう。
「でも先生が」
「他人が怖くなったのかな」
「他人?」
ぐすんぐすんと鼻を鳴らしながら、首を傾げる。
もうお父様は次の家庭教師を決めているのだろうか、その人はどんな人なのだろう。
先生ほどでなくてもお父様の前と私の前で態度を変える人はいる、以前の私の前では殆どの人がそうだった。評判の悪い私を馬鹿にする人ばかりだった。
私は萎縮してまともに話せずぎこちなく微笑むだけ、それを見て私の粗を見つけて意地悪く指摘するのだ。
それが何度も何度もあって、私は社交に出るのが心の底から嫌になってしまったのだ。
私の前では誰もがそういう態度を取るのが当たり前だったから、新しい家庭教師を想像するだけでまたあれが繰り返されるのではないかと体が震えてしまう。
「あぁ、まだ分からないね。お父様達以外だよ」
「ジョゼットは怖くないよ。パティも」
「それ以外は?」
「それ以外? 先生は怖い」
眉を寄せながら、お父様を見つめる。
なんとか涙を止めて、お父様にジョゼットを先生にしてとお願いしようとするのに、また涙がポロリと落ちる。
「先生以外は?」
「ガスパール先生は怖くないよ」
「その他はどうかな」
辛抱強く聞いてくれるけれど、今の私は他の使用人と会話したことは多分ない。
兄様の先生の顔を見たことはあるし、もしかしたら挨拶した程度はあるのかもしれないが、ちゃんと話したことはない。兄様のメイドや従僕も同じだ。
「旦那様、お嬢様は私達以外と話した事はないかもしれません」
「そうなのか?」
「はい」
困ったようすの私を見かねて、パティが口を挟む。
パティは大人の会話を聞いて状況を判断するのが、昔も今も上手いと思う。
「そうか」
「お父様、ジョゼットならいいよ」
「ジョゼット? 何がいいんだい?」
「ジョゼットが先生なら、怖くないよ」
私の言葉にお父様は目を丸くするのだった。




