第2話生まれ変わったのではなくて、過去に戻ったようです。
「懐かしい筈よね、ここは私が子供の頃に使っていた部屋だもの」
両親とガスパール先生が部屋を出ていった後、ベッドに横になりながら一人考えていた。
侯爵夫人としての生涯を終えた私が、なぜか自分自身に生まれ変わったのだと気が付いた衝撃で、意識を失ったのはほんの僅かな時間だったと思うけれど、お父様とお母様を心配させるにはそれでも十分過ぎる時間だったらしい。
意識が戻った私が最初に見たのは、私の手を握りながら涙を流すお母様と、青い顔をしたお父様だった。
二人が私の部屋に来たのは、以前の私の人生と今どちらを合わせても多分初めてのことだと思う。
癇癪持ちで我儘で、その上出来の悪い私から両親は距離を置いていたからだ。
『おなかすいた』
心配する二人の顔を見ているのは申し訳なくて、でも心配しながら私の意識が戻るのを待ってくれていたと言う事実が嬉しくなった私は、二人を安心させた一心でそう言うと、すぐにスープが運ばれてきて皆が見守る中とろりとした具のないスープを食べるはめになった。
一口一口、ゆっくりお母様がスプーンで私に食べさせてくれる。
心配そうに私を見つめながら私にスープを食べさせてくれるお母様のその顔は、遠い記憶にあったお兄様を見つめる懐かしく優しいお母様の顔と同じで、思わず涙が出そうになった。
私もお母様に優しくして欲しいと、どれだけ願っただろう。
両親も使用人たちも私に冷たかったわけではないけれど、お兄様へ向ける目と私へのそれは違っていて、私はそれが苦しくてたまらなかった。
お母様の顔を見ながら、昔の自分を思い出すと涙が出そうになる。
それでもここで泣くのはおかしいと分かるから、私は涙を堪えながらスープの器の三分の一程度食べ、それだけでお腹が一杯になってふうと息を吐いた。
『沢山召し上がれましたな。これならもう心配はないでしょう』
ガスパール先生はもう大丈夫と言って私の頭を撫でてくれて、それを聞いて安心した両親とガスパール先生は一緒に部屋を出ていったのだ。
「パティ、疲れているのね」
先程の事を思い出しながら、眠っているパティを起こさない様に小さな声で呟く。
ベッドのすぐ傍に置かれた椅子に座ったパティは、その姿勢のまま眠っている。
私が倒れてから両親とパティが交代でずっと傍に居てくれたと聞いたから、睡眠が足りていないのだろう。
両親も私の傍にいたとはいえきっとその時間は僅かだったと思う、なにせ二人はとても忙しい。
さっき私の部屋にいる間も執事がお父様に仕事の事を話に来ていたし、お母様にも侍女頭やお兄様付きのメイドが指示を仰ぎに来ていた。
二人は忙しいのだから当たり前だと分かっていても、ガスパール先生の心配はないの一言ですぐに部屋を出ていく様子を見ると寂しいと思ってしまった。
「お父様もお母様もパティもガスパール先生も記憶通り。という事は私は生まれ変わったのではなく過去に戻ったのかもしれない。でも、どうして」
パティの眠りを妨げない小さな声で、私は呟き続ける。
頭の中で考えるよりも声に出した方が、考えがまとまる気がした。
「メイドがお兄様の事でお母様に確認しに来たということは、記憶通りお兄様も存在しているということ、それにこの部屋は確かに私が暮らしていた子供部屋。何もかも私の記憶にあるものと同じ」
さっき目が覚めた時に薄ぼんやりとした明るさだったのは、締め切ったカーテンの隙間から日差しが漏れていたせいだった。
そう遅い時間ではないとはいえ今はもう夜で、ドアの近くとソファーの近くに灯りの魔道具が置いてある。
ベッド近くに灯りが置いていないのは、私の眠りを妨げない様にだろう。
私が三歳ということは、パティは十二歳の子供。でもこういう気遣いをパティは若い頃から出来る人だったのは覚えている。
「三歳の頃、何かあったかしら」
目を閉じて考える。
はっきりと覚えているのは、五歳の誕生日を祝うパーティー。
綺麗なドレスを仕立ててもらえた私は、おおはしゃぎで一日を過ごした。
あの日は、私の人生で唯一のとても楽しく嬉しかった思い出だ。
この国の貴族は五歳の誕生日に盛大にパーティーを開き、交流のある貴族達を呼び子供のお披露目を行なう。
それまでは特別親しくない家には子供を連れて行かないし、婚約も結ばない。
誕生日パーティーよりも前の記憶と言えばなんだろう。祖母が亡くなったのは私が二歳になる少し前だったと聞いたことがあるけれど、流石に覚えていない。
そういえば乳母のジョゼットが居なかった。ジョゼットはパティの母親で、パティの妹スザンヌが私と同じ年だ。
ジョゼットは男爵である夫がパティの妹が生まれる少し前に亡くなって、男爵家を夫の弟が継ぐ事になり家をでなければならなくなったため仕事を探していた時に私の乳母の仕事を紹介されたのだと聞いたことがある。
パティがもっと大きくなってからなら婿を取り男爵家を継ぐ選択も出来たらしいけれど、まだ成人になる年齢には遠い幼いパティではそれは難しく嫁の立場のジョゼットは当主にも当主代理にもなれなかったのだと聞いたのは、私がだいぶ大人になってからだった。
男爵家を出たジョゼットは私の乳母になってスフィール家に住み込みで働き始め、パティも一緒にこの家で暮らす様になった。
そして、幼いパティはメイド見習いから始め、最終的には私付きの侍女となった。
男爵家を出て二人は平民になったのに、侯爵家の娘の乳母になったのはジョゼットを紹介してくれた人が余程信用できる人だったからなのだと思う。
家柄を考えると平民の乳母というのはあり得ないけれど、私はジョゼットが乳母で良かったと思っている。
そういえば、ジョゼットが怪我をしたのはいつだっただろう。
一時期ジョゼットが私の傍にいなかったことがある、それは記憶に残っている。
「ジョゼットの怪我……」
「お嬢様?」
「パティ。ジョゼットは?」
私の声で目を覚したのだろう。
慌てて立ち上がり私を呼ぶパティに、尋ねた。
私が具合を悪くして、パティだけが私の傍にいるなんておかしい。この頃常にジョゼットが一緒にいてくれたのに目覚めてから一度も彼女の顔を見ていないのだ。
「おか、母は今怪我をしておりまして、お休みを頂いております」
パティの悲しげな声に首を傾げる。
「怪我?」
やっぱりそうだ。
怪我で暫くジョゼットは私の傍に居なかった、あれがこの時期だったのだ。
それまで下働きをしていただけだったパティは、働けないジョゼットの分の穴埋めを自分がすると言って見習いメイドとして私付きとなったのだと、私はジョゼットの怪我の理由と共にお母様に聞いた覚えがある。
階段で足を踏み外した私を庇いながら、ジョゼットは一緒に落ちた。
私に怪我はなく階段から落ちた衝撃で発熱しただけで済んだけれど、ジョゼットはこの時の怪我が元で右足を引き摺るようになってしまったのだ。




