嬉野と歩田の画策1.1
1.
アラームの音を聞いて朝がきたことを知る。日差しの明るさを見つけられなくて、朝を疑う。目覚めはいつも曖昧だった。
館で過ごすようになってから、晴れやかな日は一日もなかった。常に突きつけてくる不可解さで、頭が重くなるからかもしれない。
数年後が存在する予感は、楽観的かもしれないけれど、感覚にはあった。ただ、具体的な未来をイメージすると、館の中で過ごしているのかもしれないし、過ごしていたとして僕たちはどう生きているのか、想像ができなかった。
僕は多分、未来を描くことが許されない。
ベッドから降りると、床の冷たさを足の裏で感じた。天井から注ぐアラームは一定のリズムを保って今も響いていた。減衰しづらい部屋だと音は自由に飛び回る。その音を止めるには、タッチパネルまで歩いていく必要があった。
掃除ロボットがつま先にぶつかる。方向転換をして呑気に離れていった。
僕はあくびをして、ついていくことにした。掃除ロボットとは、たまたま行先が同じだった。白い床にゴミは無い。ロボットはまっすぐと進んでいった。
タッチパネルを覗くと、黄色いベルのイラストが目に入る。振動していたので、腕を振って手首に巻いた時計の液晶画面を表示させた。
嬉野祐介。
情報は正確だった。
「グッモーニン」
タッチパネルをタップすると複雑に絡み合った糸が声に連動して伸縮する。右上に表示されている時刻を確認した。七時十分だった。
「バッドモーニング」
不満を言ってみる。
通話画面のウィンドウを小さくして、今日のスケジュールに目を通した。嬉野と会うのは九時だった。
「何時に起きるつもりだったんだよ」
「八時二十分」
そう言い、この後に鳴るはずのアラーム設定を、今日に限定して解除する。二度寝をする自信はなかった。
「知ってるか? 音楽アプリにレディ・O・体操があるんだぜ」
「どういう意味」
「準備になるだろ」
「なんの」
「心臓の」
僕はゆっくりと、息を吸った。
身体のコンディションとかではなくて、心臓という遠回しな表現に引っかかった。九時から度胸試しをするのかと思って、伸びをする。心臓を動かすぐらいだったらそれで十分だった。
「ああ、頭の準備」
僕はそう思いついたことを言う。スピーカーから嬉野の笑い声が聞こえてきた。
「いつもギリギリになって起きるだろ」
嬉野からコールされた理由に少なくとも納得はした。
「寝起きだとダメだったんだ」
スポーツの誘いのときは、そんなことはなかった。
「あんまり良い予感がしないんだけど」
「むしろ、この場所にいて今までそんなことがあったか」
僕は空調の音を聞いていた。
「まあ、ないね」
そう、一言だけ返した。
「とりあえず、この後、寝ないようにな」
それから「頼んだぜ」と嬉野に言われる。
僕は情報の最小化がされた通話画面を眺めていた。呼吸を忘れていたことに気が付き、意識を向ける。頼んだと言われても、何を頼まれたのか、状況を把握していなかった。分かっていたのは、ありきたりではなさそう、というぐらいだった。
僕は嬉野の声が遠ざかったのを急に思い出し「待って」と呼び止める。「目的は?」そう質問した。考えなくても、直接聞けば済む話だった。
間に合ったみたいで、声が近くなる。ただ、「それはお楽しみ」と言われ、そのまま接続を切られた。
画面がさっき表示させた時間管理メニューに切り替わる。頭はまだ働いていなかった。
仕方ないので、ホーム画面からオーダーを選択して、普段通りの朝食をテンプレートから依頼する。その間、シャワーを浴びることにした。
洗面台とシャワー室は直角三角形になっている。台形から正方形を切り取ったあまりがこの部分だと思っていた。
棚の扉を開き、しばらく考えた。衣服を取り出すのをやめて、扉を閉める。引き出しを開いて、ジャージを探した。会う目的が分かっていないときは、嬉野の場合、動きやすい服を選んでおくのが無難だった。事前に分かっていても、最終的には競技のコートにいたりする。
部屋に戻ってくると、朝食の用意が済んでいた。テーブルと椅子は、部屋の映像とテキストから細かい指示を与えれば、配置、後片付けまでロボットがしてくれた。
遠くからだと自然に見える壁も、顔を近づけてみると、ロボットが出入りするための線がある。オーダーをすると、この壁が開いて、ロボットが指示通りに動いてくれた。
食事を済ませると、食器と家具が台車で回収されていった。僕はその後ろ姿を眺め、以前に後をついていったことを思い出す。
壁の向こうはどうなっているのか。
しかし、箱型で行き止まりになっているその空間は、センサーが反応したみたいで、変化することはなかった。何度試してみても、エレベーターを降りるときみたいに、しぶしぶ部屋へ戻ってくることになる。
簡単に館から出られないことは、そこまでというより、まったく、意外ではなかった。




