嬉野と歩田の画策3.1
3.
温泉はリラクゼーションエリアの一階にある。この周辺のエリアは弾性のある絨毯に変わり、照明も抑えられている。
異世界のような心地がして、絨毯をよく見てみると、馴染みのある草花が描かれていた。それを知って、この場所が日本だということを、強く意識させられた。
「歩田、もし脱出ゲームだとしたら、何を考える?」
従業員のいないカウンターを通り過ぎた。
「逆算するのかな」
嬉野が「ゴールはどこだよ」と笑う。
「言われてみれば。中間地点も、これといって」
「逆算は不可能か」
ゴールへ直線的に向かう方法は採用ができない。そうなると、一歩ずつ理屈を組み立てて、ゴールを見つけ出すしかなかった。
自分たちが作るタワーの向かう先は。正解を当てない限り分からなかった。間違いだと分かったとき、タワーはどこまで崩落するだろう。どこかで止まるといいけれど、推測に推測を重ねた理屈は、止まることなく地面まで戻される。
「ゴール手前で、水が出てくる」
「なんの話だ?」
「さあ」
ゲームコーナーでは赤、青、緑のLEDが点滅していた。小さなスペースに、タイミングをみてボタンを押すゲームが設置され、ハンドルのついたアクションゲームがデモプレイを表示していた。
「どこ行くんだ?」
「意味はないと思うけど、一応」
僕はレーシングゲームの広告を眺めた。CPUの一人称視点、三人称視点と移っていき、カメラの視点になった。その後にスコアの一覧が表示される。
「オンラインだったら、誰かの名前が表示されると思って」
「ゲームエリアの機械も全部オフラインだな」
僕は「当たり前か」と笑いそうになった。
ゲームコーナーを離れる。その先では自動販売機が駆動音を鳴らしていた。
「この自動販売機はどう。こんな音する?」
「こんなもんだと思うぜ」
僕は一昔前の機械として納得した。レトロな雰囲気を演出するために配置された可能性が高い。
「脱出ゲーム的視点か?」
「どうだろう。普段、話さないことを話しているだけだと思う。それが脱出ゲーム的視点なら、多分そう」
そう言って、受け入れる情報量を落とすことにした。
暖簾が見えてきた。僕たちは男性の暖簾をくぐり、浴場へと向かう。
脱衣所まで距離があった。まっすぐと続く廊下の先は左へ曲がっている。この距離を歩く意味を僕は考えていた。鳥居から本殿までの距離の話を思い出す。距離を設けると、期待の空想が膨らんでいくのかもしれない。
通路を曲がると湿度が一気に増した。脱衣所に到着する。
ロッカーはなく、麦わらのバスケットが長方形に並んでいた。数は三かける八で二十四個だった。
これも館の性質だと思っていた。フードコートにも机と椅子が数えなければならないほどあったように、館で暮らす九人に対して、過剰なまでに物が設置されている。
その意味を僕は、いまだ掴めなかった。
人が暮らせる人数は最大で十人。それに対して十人を超えたインテリアが設置されている。当然のこととして、九人が二十四個のバスケットを使うわけではなかった。数が多いことに意味があるのだろうか。
どこかの温泉をモデルとし再現したと考えたほうが理解がスムーズだった。
「やっぱ疲れたときは風呂だよな」
そう言って服を脱いだ嬉野が湯煙をまとって浴場へ消えていった。
僕もさっさとタオルを巻き、浴場へ向かった。
すでに嬉野の姿は壁の向こうへといなくなっていた。掛け湯をしながら、温泉の効能を読む。知らない単語に、とりあえず全部入っておけば健康になれる、と正しく認識できているのか、分からない理解の仕方をする。
浴槽に嬉野の姿を探す。まさか同じ場所に入るなんてことは考えられず、僕は窓際に面した大浴槽に入った。
湯煙が渦を巻き、水面を打つ音だけが聞こえていた。ガラスの向こうではライトアップされた植物が、白い石の下から伸びていた。「露天風呂がないのが惜しいよなあ」と嬉野の溶けたような声が聞こえてくる。
「同意」
「歩田の同意は脱出口の同意だろ?」
僕は笑ってごまかした。
「しっかし、俺たちなんでこんな場所に閉じ込められているんだろうな」
「なんでだろう」
「脱出ゲームと言えばなんだ?」
「クリアとか」
「賞金だろうな」
僕たちは、その賞金のために、この館へ入った。水面に映る歪んだ自分の顔に問いかける。……あなたが求めるのはお金ですか。
「ただ、脱出ゲームにしては、歩田が言ってたみたいに不親切だよな。設定ミスにもほどがある」
「難易度の高さは賞金の高額さだと思う」
「ヒントすらないんだぜ?」
あるいは気が付いていないか。しかし、本当にないという見方が優勢だった。
「ヒントがないってことがヒントの可能性は?」
「普段の生活でヒントがなかったらヒントになるのか?」
「それは、ない」
嬉野の指摘は的確だった。
「けど、もしこの場所に意味があるなら、僕たちは何かを達成しないといけないんだと思う」
「今までと、一緒だな」
会議でのテーマの方向性もそうだった。僕たちにはタスクが与えられている。そのタスクを見つけることが、僕たちが安心するための材料だった。
「要するに何かしろってことか……」
嬉野は「だったら……」と続けた。
「SOSの紙を流すとかはどうだ?」
「排水溝に?」
「この場所ならできるだろ」
僕は浴槽からあふれたお湯の行方を辿った。ぼうっとした頭にSOSが書かれた紙が浮かんでくる。紙は身を任せるように、水に流れていった。白い紙が途中で透明になって、やがて破れる。
現実に戻したのは水しぶきの音だった。
「今すぐ。この程度だったらすぐにできるよな」
その一言で僕も思考を切り替えた。




