双竜に逢おうて
拠点から少し離れた山道を歩きながら、俺は体の感触を確かめていた。
先ほど呼び出した『黒漆塗五枚胴具足』。わかっていたことだが、どうやらこいつはただの鎧ではないらしい。
戦う意思を持たず、ただ歩いているだけの今は、肩や胸元の急所など、ごく一部を護るだけの軽装状態に縮小しているのだ。おかげで足取りは軽く、動きを全く邪魔しない。
だが、試しに頭の中で「戦う」と強く念じた瞬間、カシャカシャと小気味よい金属音を立てて全身の装甲が展開し、髪を束ねていた金の三日月が額の前立てへとスライドするのだ。
「なるほど、よく出来たカラクリだ。戦ってない時は涼しく、いざって時は見栄えも守りも完璧ってわけか。異世界の職人も、なかなか伊達な仕事をするじゃねえか」
そのギミックに感心しながら、鼻歌交じりに歩を進めていた時だった。
「――やめろっ! 来るな……!」
不意に、森の奥から鋭い悲鳴と、金属が激しく打ち合う音が聞こえてきた。
俺は音を立てずに木々を抜け、崖の上から眼下の広場を見下ろす。
そこにいたのは、五人の男たちだった。 見たところ旅人のような簡素な外套を羽織っているが、その手には使い込まれた鉄の剣が握られており、統率の取れた動きで獲物を囲んでいる。後々面倒になりそうな、妙に手慣れた連中だ。
そして、彼らに追い詰められ、地面に座り込んでいるのは――一人の少女だった。
「……なんだ、あいつは?」
少女の姿は、俺の知る人間とは少し違っていた。 頭には小さな角が生え、腕や脚の肌の一部には、硬そうな鱗が浮かび上がっている。そして背中からは、爬虫類のような太い尻尾が伸びていた。
「この化け物め! 忌まわしいドラゴンの血を引きやがって!」
「大人しく首を差し出せ! そうすれば痛い思いはさせねえ!」
男たちの言葉に、俺は眉をひそめる。 なるほど、この世界にはああいう種族がいて、人間からは忌み嫌われているらしい。
少女は必死に木の枝を振り回して抵抗しているが、体力は限界のようだ。男の一人が、ニタニタと笑いながら少女の頭上高く剣を振り上げた。
「もらったァッ!」
無慈悲な刃が、少女に振り下ろされる。 ――その瞬間。
「……一対五で、女子供をなぶるのがこの世界の作法か?」
俺は崖を蹴り、宙を舞った。
落下と同時に、俺の意思に呼応して具足が鳴動し、甲高い金属音を立て、黒漆の装甲が俺の全身を覆い尽くしていく。
髪を束ねていた黄金の三日月が額に滑り込み、両頬を黒い吹き返しが護る。
地を蹴り、少女と男の間に滑り込む。 そして、居合の要領で『燭台切光忠』を抜き放った。
響く残響音と共に、振り下ろされた男の剣が、見事な弧を描いた光忠の一閃によって、甲高い音と共に真っ二つにへし折られた。
「なっ……!?」
折れた剣の切っ先が空を舞う中、男は目を丸くして立ち尽くした。
俺は斬り抜けた勢いのままゆっくりと立ち上がり、残りの四人を振り返る。 星空の水玉模様の陣羽織が、風を孕んでバサリと翻った。
「誰だ、てめえは!」
「どこから湧きやがった! そのふざけた鎧はなんだ!」
男たちが慌てて剣を構え直す。俺の背後では、尻餅をついた少女が、驚愕に目を見開いて俺を見上げていた。
「名乗るほどの者じゃねえが……強いて言うなら、通りすがりの伊達男だ」
俺は不敵に笑い、右手を眼帯へと伸ばした。 このまま五人とも斬り捨ててもいいが、せっかく試す相手がいるのだ。あの「力」を使わない手はない。
「女一人に寄ってたかって、ずいぶんと威勢がいいじゃねえか。……だったら、俺の『本気』にも、少しは付き合えるよな?」
眼帯を外す。 閉じられていた右目が開かれた瞬間、空気が凍りついた。
鮮烈な、紫の輝き。 そこから放たれるのは、単なる殺気ではない。もっと根源的な、圧倒的強者――「龍」が放つ、抗うことすら許されない絶対的な覇気だ。
「ヒッ……!?」
「な、なんだ、あの目は……っ! ああ、あ、あああ……!」
俺と視線が合った瞬間、男たちの顔から一気に血の気が引いた。 彼らは武器を構えることすら忘れ、がちがちと歯の根を鳴らして震え始めた。中には白目を剥いてその場に崩れ落ちる者、泡を吹いて失神する者までいる。
「……なんだ。口ほどのこともねえ」
つまらなそうに光忠を鞘に収め、再び眼帯で右目を覆う。
カシャカシャと音を立てて、黒漆塗の装甲が再び俺の急所だけを覆う軽装状態へと戻っていった。額の三日月も、元の通り後ろ髪を束ねる位置へとスライドする。
途端に森の空気が緩み、元の静けさが戻ってきた。
後に残されたのは、地に伏した五人の男たちと――彼らに追い詰められていた、二人の少女だけだ。
「怪我はねえか?」
振り返り、声をかける。
先ほどは「一人」かと思ったが、倒れた男たちの陰でもう一人、這いつくばるようにして倒れていた。どうやら、片方がもう片方を庇うようにして立ち回り、力尽きたらしい。
二人とも、頭には角があり、一部の肌には鱗が、背中には太い尻尾がある。
一人は、白を基調とした装束に身を包み、身の丈ほどもある槍を手にした白髪の少女。
もう一人は、黒と紫を基調とし、鋭い爪のような手甲を装備した黒髪の少女だった。
「アンタ……一体、何者……?」
先に口を開いたのは、黒髪の少女の方だった。
息も絶え絶えで、体中傷だらけだというのに、その瞳には全く怯えがない。いや、むしろ俺という「強者」を前にして、どこか熱を帯びた好戦的な光すら宿している。
その隣で、白髪の少女が静かに立ち上がり、黒髪の少女をかばうように俺の前に立った。槍を構える手は震えているが、その眼差しは酷く冷静だ。
彼女たちのことについて、少し知っておく必要があるな。
(こいつらについて、詳しく知りたいもんだが……)
頭の中で念じると、俺の手の中にずしりとした重みと共に、あの古びた『鑑定絵巻』が現れた。
「……え?」
「な、なに虚空を睨みつけてんのよ。気持ち悪い」
絵巻を開いて読み込もうとする俺を見て、二人が怪訝な顔をした。
どうやら、俺が突然何もない空間を見つめて固まったように見えているらしい。やはり、この絵巻は俺にしか見えないのだ。少し不格好だが、情報が筒抜けになるよりはマシだ。
目を細めて、小さな文字を追う。
『ドラゴニュート(竜人族)。かつて世界を支配したドラゴンの血を引く希少種。高い身体能力と魔力を持つが、現在は人間に忌み嫌われ、迫害の対象となっている』
『この二名は姉妹。長きにわたり流浪の生活を送っている。白髪の姉は槍術と戦術に優れ、黒髪の妹は近接格闘と本能的な戦闘に長ける。現在、名を持たず』
「…なるほど、名前もない流浪の身か。どうりで殺気立ってるわけだ」
絵巻を閉じ(それは再び霧散した)、俺は二人に歩み寄る。
白髪の姉が槍を突き出してくるが、俺はそれを手で軽く払い除けた。
「警戒するのは分かるが、殺しはしねえよ。俺は伊達政宗。通りすがりの、ただの伊達男だ」
そう名乗った瞬間だった。
俺の眼帯の奥にある「右目」が、トクン、と熱を帯びて脈打った。
同時に、二人の少女の体がビクッと震え、彼女たちの尻尾が、まるで主の帰りを待っていた犬のように、無意識に揺れ始めたのだ。
「……な、なに、これ……」
黒髪の妹が、戸惑ったように胸を押さえる。
白髪の姉も、警戒していたはずの槍の切っ先を下げ、どこか安堵したような、不思議な熱を帯びた瞳で俺を見つめていた。
「不思議……。貴方様の前にいると、とても……安心する……」
姉の方が、ポツリと、鈴を転がすような可愛い声で呟いた。無口そうに見えたが、随分と愛らしい声をしている。
どうやら、俺の「龍の目」は、人間を威圧するだけじゃなく、二人のような龍…この世界の言葉で言うと、ドラゴンの血を引く者には『絶対的な安心感と服従の引力』のようなものを与えるらしい。眷属を従える王の力、といったところか。
「アンタのそばにいると、心が落ち着くわ……。でも、それ以上に……」
妹の方が、よろけながらも立ち上がり、俺を真っ直ぐに睨みつけた。
「アンタ、強いわね。さっきの一撃、見事だった。……アタシは意味のある戦いと、強い奴しか認めない。でも、アンタになら……ついていってあげてもいいわよ。ど、どうせアタシたち、行くあてもないし!」
強気な言葉とは裏腹に、彼女の尻尾はパタパタと忙しなく揺れている。
その隣で、姉の方もコクリと小さく頷いた。
「ふっ……はははっ!」
俺はたまらず吹き出した。
人間に忌み嫌われ、ボロボロになりながらも、誇りを失わないその目。いい面構えだ。俺の右目のせいもあるかもしれないが、それ以上に、この姉妹の根性が気に入った。
「いいだろう。行くあてがねえなら、俺についてこい。俺の『右腕』と『左腕』として、この世界で一番面白く、派手な生き方をさせてやる」
俺は二人の頭に、ポンッと軽く手を乗せた。
途端に、姉の顔が真っ赤になり、妹は「な、なによ急に!」と言いながらも、その手から逃げようとはしなかった。
「お前ら、名前がないんだったな。これからは、俺が名付けてやる」
俺は、かつて日ノ本で背負っていた、誇り高き伊達の家紋を思い浮かべた。
竹に雀。そして、兜に掲げた三日月。
「お前(姉)は、冷静で静かだが、芯が強い。……『ササ』だ」
「ササ……。はい、政宗様」
「で、お前(妹)は、口が減らねえし、戦場を飛び回るのが好きそうだからな。……『ツバメ』だ」
「ツバメ……。ま、悪くない名前ね。ありがたく貰っておいてあげるわ」
俺はいったん、根城にしていた場所に帰ると、さっきの男たちが置いていった金を使って、ふもとの町で生地を買った。
二人とも、長旅で服がぼろぼろだ。そんな恰好をされては、伊達男の名が廃る。
偶然にも、俺はある程度、機織りの技術は心得ている。あとは、町で道具を貸してもらえればいいだけの話だ。
「ほらよ」
鑑定絵巻で調べたこの世界の衣装に、日ノ本の着物を合わせた服。ササには白色。ツバメには紫色。
「……うれしい」
「まぁ、受け取っといてあげるわ」
二人に着せてみると、やはり似合っている。馬子にも衣裳というが、美人には何を着せても美人だ。
こうして、何もない山の中で、俺は最初の『家臣』を手に入れた。
無口で真面目な姉のササと、毒舌で戦闘狂な妹のツバメ。
このやかましくも頼もしい双竜と共に、俺の天下取り――いや、国造りが、ここから始まるのだ。




