4話:最後の頁
広場の夢日記には、ときどき更新の止まるものがあった。
飽きた人もいる。機械が壊れた人もいる。けれど、ある種の止まり方には、特徴があった。最後の記録の数日後に、家族が一行だけ書きこむのだ。
祖父は、この夜明けに亡くなりました。長いあいだ、ありがとうございました。
そういう日記を、グレハムは仕事の合間に集めるようになった。最初は、ただの分類だった。死んだ人の最後の夢、という箱を一つ作っただけだった。箱は少しずつ重くなった。十を超え、百を超えた頃、彼は仕事とは別に、その箱を開いて読むようになった。
最後の頁には、共通点があった。
一つ目。亡くなった人の夢には、最後の日々に、久しぶりの顔が出てくる。
子どもの頃の先生。若い頃に一度だけ泊まった宿の主人。昔住んでいた家の隣の、名前も忘れた婦人。本人が何十年も思い出さなかったような顔が、夢の中にふいに現れる。日記の文章は、たいてい少し戸惑っている。
今夜は、ずいぶん懐かしい人が出てきた。なぜ、今さら。
二つ目。その頃から、夢から靄が消える。
夢の中の、顔のない人たち。通りすがりの群衆や、知らない店の店員や、誰でもない誰か。普段の夢には、そういう靄がたくさん紛れこんでいる。それが、最後の日々には、ぴたりと出てこなくなる。夢に現れるのは、本人が実際に顔を知っている人だけになる。
三つ目。顔は一晩に一人か二人ずつ順番に現れて、もう二度と出てこない。
まるで誰かが名簿を読み上げて、一人ずつ印をつけていくように。
グレハムは、ある老婦人の日記を、何度も読み返した。
彼女は八十を過ぎてから記録をつけはじめ、毎晩、孫の顔や、亡くなった夫の顔の夢を書いていた。最後のひと月、日記の調子が変わった。
学校の同級生が出た。もう六十年会っていない。
子どもの頃に預けられた家の、農家のおばさんが出た。芋をくれた人。
結婚式の日に髪を結ってくれた人が出た。名前は知らない。
一晩に一人。ときどき二人。そして最後の日記には、こう書いてあった。
今夜は、誰だか分からない若い男の人が出た。顔はよく見えた。どこかで一度、会ったことがある気がする。思い出せないけれど、確かに知っている顔。
添えられた記録には、粗い光と影の中に、若い男の顔だけが、はっきりと映っていた。
その三日後に、家族の一行があった。
グレハムは画面を閉じて、天井を見た。
人が一生のあいだに出会う人の数は、限られている。何千人か、多くても何万人か。夢は、その全員を知っている。本人が忘れてしまった顔まで、全部。そして最後の夜々に、夢はその顔を一つずつ取り出して、見せていく。
見せ終わったとき、何が起きるのか。
彼は、自分の考えを、すぐには言葉にしなかった。言葉にすれば、それが本当になってしまう気がした。
代わりに、箱をもう一度開いて、数えた。
最後の夢に、顔のない靄が出てきた例。一つもなかった。
最後の夢に、本人が会ったことのない人が出てきた例。一つもなかった。
最後の夢の顔が、それまでの夢にすでに出てきた顔だった例。これも、一つもなかった。
最後の顔は、いつも、その人の夢に初めて現れる顔だった。
その夜、グレハムはなかなか眠れなかった。
隣の部屋で、母が眠っている。廊下の先には、玄関の扉がある。扉の向こうには、彼の知らない顔が何千、何万と歩いているはずだった。その誰とも、彼は会ったことがない。
眠りに落ちる直前、彼は、自分の夢が知っている顔を数えかけて、やめた。
夢に、父が来た。
「旅に出なさい」
父の後ろには、いつもの靄があった。
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