17話:実験
日が沈みかけていた。
川の向こうの家々に、灯りがともりはじめていた。
「お願いがある」
グレハムは言った。
ジャスミンは膝を抱えたまま、彼のほうを向いた。
「今夜、僕の家に来てほしい。僕が眠るのを、見ていてほしい。記録機をつけて眠るから、僕の夢を、画面で見ていてほしい」
「どうして」
「今夜、僕は、夢で君に出会う」
グレハムは、紙ナプキンを見たまま言った。
「名簿の最後の一人は、母だった。今朝、母の夢を見た。本当なら、今日で終わりだった。でも、君に会った。名簿が一つ開いた。最後の一人は、君になった」
ジャスミンは、黙っていた。
「名簿の終わりが近い人の夢は、新しい顔を待ってくれない。たぶん今夜、僕は君の夢を見る。そして、終わる」
ジャスミンは、長いあいだ黙っていた。
それから、言った。
「私に、あなたが死ぬのを見ていろって言うの」
声は、低かった。怒っているのか、泣きそうなのか、グレハムには分からなかった。顔の右半分と左半分が、別々の表情をしているように見えた。
「そうだ」
グレハムは言った。
「ひどい人ね」
「分かってる」
「分かってない」
ジャスミンは、川を見た。
「だったら」
川を見たまま、彼女は言った。
「もっと会えばいい。駅の前を歩いてる人の顔を、片っ端から見ればいい。明日も、あさっても、誰かに会えばいい。旅に出ればいい。あなたのお父さんが言ったみたいに」
「考えた」
グレハムは言った。
「今朝、扉の前で二時間立ってた。開けられたのは、君に会うためだったからだ。明日も同じことができるとは、思えない」
ジャスミンは、何も言わなかった。
「それに、名前も知らない誰かの顔を見て終わるのは、嫌なんだ。最後に見る顔は、自分で選びたかった」
しばらくして、グレハムはもう一度話しはじめた。研究の話をするときの声になっていることに、自分でも気づいていた。
「僕の考えは、まだ、ただの考えなんだ。百を超える最後の頁は、全部、終わったあとに読んだものだ。誰も、前もって言い当てたことがない。だから、誰も信じない」
「私は信じてる」
「君は信じてくれた。でも、ほかの人は信じない。信じさせるには、前もって言うしかない」
グレハムは、指を一本立てた。
「今夜、君の夢を見て、僕が死んだら、考えは正しい」
二本目。
「君の夢を見ないまま死んだら、考えは間違っている」
三本目。
「君の夢を見て、死ななかったら、それも間違っている」
彼は、手を下ろした。
「三つのうち、本当になるのは一つだけだ。どれになるかは、記録機が見せてくれる。でも、見る人がいなければ、それはただの、死んだ男の夢になる。僕の夢に出てきた顔が本当に君の顔かどうか、確かめられるのは、君しかいない」
ジャスミンは、答えなかった。
風が出てきた。川の水面が、細かく波立った。
「ねえ」
やがて、ジャスミンが言った。
「名簿が埋まるから死ぬの。それとも、死ぬときが来たから、名簿が埋まるの」
グレハムは、少し考えた。
「分からない」
「あなたは、どっちだと思ってるの」
「埋まるから死ぬんだと、思ってた。ずっと。だから、母の顔を見るのが怖かった。母の顔が、僕を殺すんだと思ってた」
「私は、逆だと思う」
ジャスミンは言った。
「死ぬときが来た人に、夢が、会った人を全員見せてあげるの。最後に。忘れてた人まで、全部。母がそうだった。港のおじいさんも。だから、誰も悪くない。あなたのお母さんも」
グレハムは、何も言わなかった。
どちらが正しいのか、分からなかった。分からないまま、どちらの考えも、胸の中に置いた。
ジャスミンが、立ち上がった。
石段の上で、彼女は川を見下ろしていた。夕方の最後の光が、彼女の顔の右半分を照らし、左半分を影にしていた。
「条件がある」
彼女は言った。
「記録をどうするかは、私が決める」
「いいよ」
「広場に載せるかもしれない。載せないかもしれない。燃やすかもしれない」
「いいよ」
「あなたの考えが正しかったとしても、それを誰かに伝えるかどうかは、私が決める。あなたがいなくなったあとのことは、全部、私が決める」
「いいよ」
グレハムは言った。
「君が決めるのが、一番いい」
ジャスミンは、彼を見下ろした。
それから、手を差し出した。
「行きましょう。あなたの家に」
グレハムはその手を取って、立ち上がった。もう片方の手に、花の束を持って。
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